2011年3月15日(火)
今日も物資を載せて釜石へ行くことを決めた。
午前中は東和町のとうふ屋さん「五助堂」からいただいた廃食油を使って燃料作りに専念。午後には昨日避難所で必要だと頼まれたオムツや粉ミルク、下着、靴下、ウエットテッシュ、除菌剤、食料などを花巻市内に行き買い出した。そして農家3件(やえはた自然農園、自然農園ウレシパモシリ、入江さん)を周り、灯油、プロパン、卵160個、みそ25kg、古着などの援助物資を載せて花巻市を16時に出発。
すでに外は雪が降りはじめて周囲が白く染まり始めていた。
今日はさらに寒くなりそうだ。被災者の皆さんにとって過酷な夜となるに違いない。
釜石市内に入ったのは、夕方18時頃だった。
甲子町から海側へ向けて4件の安否確認を行った。直接家を訪ね、扉を叩いた。
未だ電気はきていない。真っ暗闇の中、甲子町の第4、8、10地割の各家を訪ねると、
避難しておらず、家で静かに過ごされていた。どの家族も「食料と水も確保できていて大丈夫」とのこと。一件、灯油が不足とのことだったので、積んでいた灯油をわけた。
このエリアは、津波の被害があった地域枠から5キロ以上離れている。車で町をぐるぐるまわると、倒壊している家はなく、電気が来ていないだけで、他に変わった様子はなかった。
なお近隣のスーパーでは購入制限はありで店頭販売をしていて、卵や食料など購入しているという。
地震から5日目。釜石では交通が確保され、物資も届き、分配システムも比較的に安定してできつつあり、手の届く避難所に物資は届いている模様。しかし、孤立したような避難所の細かいケアが必要となっている(そういった避難所の数も把握できていない)。獣道を徒歩30分かかるような避難所(お年寄りが動くことができない)もある。そこでは物資を手で運ぶしか方法がなく、現地で有志が運んでいるそうだ。外との連絡が難しいため、そういった避難所が、何を必要としているのか、どのような状態なのかが把握できず、他地域からのボランティアも、協力したくても的確に動くことができないのが現状だ。
◆ 通信・電源状況
釜石エリアでは、未だに携帯電波なし。
(TVで携帯を使っていた映像があったとのことだが、現状では携帯は使用できない)。また、ほとんどのエリアが未だ停電中なので充電もできない状態。
昨日から釜石では衛星電話がひとつ設置されたということだが、避難所の場所も広エリアにわたるため、それを知っている避難者もごくわずかだ。ほとんどの人々が通信とれない状態だと思っていい。
ただ甲子町の松倉駅の周辺では、電気工事をしている最中だった。在住の方に聞いたところ「もうすぐ電気がくると言われました」とのこと。
訪れた1箇所の避難所「甲子小学校」では、家庭よりも優先的に電気が得られてはいたが、それ以外の避難所で電気が利用できるところの情報はなし。
◆災害対策本部
釜石市では「シープラ」が災害対策本部。被害者リストもそこにあり、各避難所にいる方々のリストがカタカナで掲載されていて閲覧できるが、全避難所分はなかった。
◆物資について
物資は「シープラ」の三角テントに集められて、各避難所に分配される。
小林さん(議会事務局長)によると、「釜石では毛布の常備がある状態。必要なのは、とにかく食料である。それもお米です。カップラーメンよりも、できればお米がほしいんです。お米は保存もできて、必ず無駄にはなりません。この状態は長期に渡ることが明らかです。とにかくお米を運んできてください」とのこと。
◆ボランティアセンター開設
ちょうど本日3/15日に「郷土資料館」で開設された
(担当者が不在だったので詳細は不明)
釜石小学校に物資を届け終わったのは午後10時を廻っていた。雪の降る中、旧仙人峠を越え2時間かけて、ホームステイ先のやえはた自然農園にもどったのは夜中の12時を過ぎていた。こんな時間なのに藤根夫妻は暖かいご飯を用意して待っていてくださった。泊めていただいているうえに、さらに暖かいサポートはほんとうになんと言っていいのか、感謝。