上の写真は、気仙沼・松岩駅から約500m北西にある高台から。
写真の遠方に見える海までは1.5kmほどの距離。
眼下にある松崎の3つの集落、片浜・前浜・北沢の街がほとんどがれきの山と化した。
僕がここ気仙沼に来たのは、奇跡ともいえる偶然の出会いからだった。
陸前高田で車をとめて打ち合わせをしていた時のこと。
「あの…」とあるライダーから声をかけられた。
なんと遠い昔にオフロード関連でお会いしたことのある千葉さんだった。
聞けば千葉さんは気仙沼でお豆腐屋さんを営んでいたが、津波で被災。家族全員命は助かったが、家も仕事場も失った。「地震が起きて、逃げなければと思いながら、一度家へ戻り、寒いからとダウンをはおって、バッグの中から携帯だけを手にとって走った……」
同じバッグの中に財布が入っていたのに、動転していたのだろう。なぜか取り出したのは携帯だけだったという。
聞けば、ラリー関係で僕もよく知る服部さん、田代くんも気仙沼に救援活動のために来ているとのこと。僕も導かれるように気仙沼へ向かった。
下の写真 左から千葉さん、服部さん、シゲさん、田代くん。久しぶりだな、しかも被災地での再会。普段会うことは滅多にないのに、なぜかこうして現場で再会してしまうものだ。
千葉さんがもってきた冷蔵庫運びを男3人でお手伝い。彼らの荷台には津波に浸かってしまったどろどろのオフロードバイクが積まれていた。持ち帰って動くかどうか試してみるとのこと。
震災前、千葉さんはリヤカーを引っ張って豆腐を売っていたそうだ。
「軽トラの荷台に合うように、フルオーダーしたリヤカーだったけど、それも津波でぐしゃぐしゃになった」
“日本最北のリヤカーひきの豆腐屋さん” なのだそうだ。
現在、千葉さんは大船渡・吉浜に身を寄せつつ、ご両親はこの小屋を改造して何とか暮らしを始めている。
「横浜で豆腐づくりの道具を譲ってくれる人が現れたんです。それをここ気仙沼に運び、また豆腐を作りたい」ぐしゃぐしゃになった街を眼下に、千葉さんはそう語ってくれた。
このがれきの山を前に「気を落としても仕方ない、辛いのは自分だけじゃない、前を向こう」とわかっていても、ふと気持ちが落ち込んで途方に暮れてしまう。被災者たちがうけた心体のダメージは、想像を絶する。
街がまだがれきの山でも、同じ被災者である千葉さんが、もしも近い将来お豆腐を作ることができたら。きっと被災者たちへの大きなエールになるに違いない。僕もできる限りの応援をしたいと思う。