5/7 津波は堤防を越えた。唐丹町の被害

高台の唐丹中学校から坂を下ると、すぐに家々が見えてくる。
標高は約30m。その家をよく見ると1F部分が浸水してぐちゃぐちゃになっていた。
そこから坂をさらに下ると、標高20〜30m以上の家も倒壊していた。
そして眼下の低地は一面がれきの山だった。その先には海が見える。小白浜漁港だ。
その町と海を隔てるように、高さ10mを超える防波堤があった。
防波堤は途中でごろんごろんと積み木のように壊れて倒れていた。

この高い防波堤は、明治29年、昭和8年、そして昭和35年のチリ地震での壊滅的な被害をうけて、11年という歳月を費やして建造されたものだ。
高さ12.5m、幅8.5m、長さおよそ420m。
その壁に守られていたはずの町では、
低地にある標高約15〜20mまでの家々が、がれきの山になってしまった。
この頑丈な防波堤をゆうに越えて、津波は町を襲ったのだ。
もしもこの防波堤がなかったら、もっと被害は大きかったのかもしれない。
しかし。
この防波堤がもしも建てられなかったら。
(防波堤ができる以前より谷に家はあったようだが)
過去幾度にもわたる津波被害の記憶を、人々はいかにとらえただろうか。
人は、ふたたびここに家を建てようと思っただろうか。
(写真は盛巌寺前の道、岩澤鮮魚店周辺から、南西・南の海方向を臨む)

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