釜石へ救援物資を運ぶ vol.01 = 釜石への道のり =

2011年3月14日
日本一周の旅の途中。岩手を南下中に、この大災害が起こった。
悲劇的な惨状に、少しでも何かできることはないかと思い、
地元の農家さんと協力して、救援物資の運搬を個人的に行うことにした。
(この数日間、物資を運んだり何か力になれないかと情報収集を続けていたが、花巻市役所や東和町役場、消防署、最寄りの警察署へ行っても、「オファーはうれしいが、個人的な物資の運搬は受け付けられない」「他地域の情報はわからない」というような状態だった。何か運ぼうにも情報もなければ、統率している災害センターのようなものもなかった。ならば、自分たちで物資を運び、現地の情報を収集してこようと思ったのだった。)
農家さんから物資を援助してもらったり集めてもらい、
その物資をバイオディーゼルカーで運ぶ。

今や壊滅的な沿岸の被災地だけでなく、内陸でもガソリンが手に入り難い。
いっぽうで、僕の車は廃油から燃料を作って走るので、ガソリンスタンドの状況に左右されないのだ。
まず岩手の農家「ウレシパモシリ」さんから、救援物資として水とお米と衣料を頂き、車の後部座席に積み込んだ。
14:15頃、釜石方面へ出発。
車中では、AMラジオ”684いわき放送”から
「……甲子小学校の状況は……みんなすべてを津波で流されてしまった人々です。すぐ側まで道路が通行できるようになっているのに、物資がない。飴ひとつを、どうぞあなたにと、わけあっている状態。明日のご飯がどうなるかわからないから、その飴ですら次の日にとっておく人もいるんです。どうか食料がほしい……」と、声をふるわせて涙ながらに訴える女性の声が聞こえてきた。
車中ですぐに甲子小学校の位置を確認。僕らが向かう釜石の少し手前だということがわかる。取り急ぎ、その小学校も目標地点のひとつに向かうことにした。
気になっていたのは、検問について。物資を運んでいても「混乱を招くので通してくれない」とか「関係者か釜石住民でなければ通行できない」という情報だった。それではせっかく行っても、大切な燃料が無駄になるのでは……と足踏みする人もいたのだ。
ラジオのコメンテータは
「燃料の予備が十分にあり、物資を運んでくださる方、どうかお願いします。交通規制をしていますが、食料を見せてくれれば、検問で止められることはないはずです」という。
とにかく行ってみないとわからない。
【東和 → 遠野】
R283を道なりに東へ。
遠野は救援部隊の拠点になっていたが、検問はなし。町ではいくつかの大きなホームセンターなどは営業している。瓦が一部落ちていたり、火事で焼け焦げた家を1件見た以外、乱れた町の様子はなかった。
※「道の駅 遠野 風の丘」には公衆トイレあり
※鱒沢駅近くのデイリーヤマザキは開いていた

【仙人峠 = 新道・旧道のわかれ道=】
仙人峠の新道と旧道の分かれ道で検問あり。
(まっすぐ進むと通行止めにの新道、左へ曲がると通行可能な旧道)
そこで「救援物資を運んでいます」と言って物資を見てもらうと、「お気を付けて」と通してくれた。検問が通りづらいと聞いていたが、物資を運んでいれば何も問題はなかった。そこからは山の間をぬうようなグネグネ峠道が続く。
僕らが出発した花巻町から釜石まで、約2時間弱の道のりだ。

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