3月19日 おばちゃんとカレー 〜被災地の給食室より〜

▲「いちばんはじめはこんな小さいオニギリ一つきりだったのよ」とおばちゃん。「みんなで助け合おうと約束したの」と笑顔がこぼれた

「大槌小学校」で炊き出しを担当しているおばちゃんたち。
彼らもここ大槌で家や友人、仲間をなくした被災者だ。
地震発生当時、家にいる時に激しい揺れに襲われ、近所の老人たちを室内から連れだしながら無我夢中で高いところへ逃げて津波から助かったという。
大震災から一週間。おばちゃんたちは、1日3食、最低600人をこえる分の食事をここでまかなっている。食材は自衛隊が届けてくれる災害本部からの支給に加え、個人の持ち込みによる寄付でやりくりしている。
「野菜が足りないの。だからね、お汁にも細かく細かく刻んで入れるしかないの。それでさえも、味噌汁はまだ2回しか出せていないのよ。しかもお椀がないから、湯飲みで飲むしかないの。今は割り箸があるけれど、はじめのほうなんかお箸もなかったから、こう、ずずっと飲むようにしてね……。それでも、温かいお味噌汁がやっとのめた、ホッとしたってみんな言ってくれてね……」
支給されるのは紙コップばかり。でも紙コップは温かい飲み物もお汁も入れることができないし、すぐにだめになる。
せめて、強度があって何度でも使えるお椀や、プラ製の食器類があれば、汁ものもたくさんの人に行き渡るのに。
この寒さの中では、温かい一杯のミソ汁がどんなに安堵感をもたらしてくれるだろう。
送られてくる支給品は、実際には現場で使い勝手が悪いものもある。ここ数日で道も開通し、物資もどんどん入ってきた。しかし、かゆいところに手が届かない。この生活があとどれくらい続くのかメドがたたないが、かなり長期戦になることは、誰の目にも明らかだ。そんな状況の中で、ざっくりと選ばれた必要最低限なものだけでは、心身ともに疲弊してしまう。
支給する品目や品選びも、ちょっとした工夫と現場の声を反映するだけで精神的にほんの少しでも安らげたり、便利になったりするのに。「頂けるだけでもありがたい」と被災側は遠慮もするが、送る側もどうせならニーズに合ったものがいいにきまっている。
現場の声は、送る側からは気が付かないものが多い。「この素材より、あの素材がいい」「これは足りているから、あれがほしい」そんな声は、実際に避難所を訪れ、ひとつひとつ聞いてまわらないと、なかなか気づけないものだ。
岩手の人は遠慮深くてシャイだと聞くが、それはほんとうだ。
ぎゅうぎゅうでプライバシーのない学校の教室で1週間。床に毛布を敷いて、電気がないから暗くなったら寝る生活。お風呂も入れず、着る物も一週間同じまま。お茶すらまともにない。それでも「命があっただけでもありがたい」と、足りないものがあっても言わずに我慢している。
「大丈夫ですか? 足りないものはなんですか?」と2、3度聞いただけでは、「遠くから来て頂いてありがとうございます、物資も届いたし大丈夫です」と返ってくるだけで、なかなか口を開いてくれない。
おばちゃんたちが食器の後片付けをしている時、側にいるとそっとおばさんが話をはじめた。
「ほら、老人のオムツあるでしょう。オムツもね、必要以上に我慢しちゃうのよ。気持ちが悪いだろうに、みんなほしいって言えないのね。それに近くの親戚で倒壊しなかった家に身を寄せることができても、みんな2〜3日で帰ってきちゃうの。その家に申し訳ないと思ってね……」
遠慮して帰ってきてしまうのには、理由がある。
倒壊しなかった家もまた悩みを抱えている。家がある身だから、避難所へ行くなんて申し訳ないと思ってしまうのだ。しかし、家があったとしても、電気も水も出ないし、スーパーだってもちろんあいてない。食料が尽きるのも時間の問題だ。
おばちゃんに、ほしいものは他にないですか? とこちらが何度も時間をかけて聞いていると、教えてくれた。じつは色々あったのだ。
「靴、スニーカーがほしいの。ほら、急いででてきたからこんなサンダル履きみたいのしかないのよ。エプロンもあったらいいな。炊事や掃除やらしていると、どうしても服が汚れてしまうのよ。でも服も一枚しかないでしょう? もったいないから。あと、皆さんから頂くのはオシャレで細身なの。オムツをした老人は、大きいズボンがいいの。それにおばちゃんは太めだから、パンツもズボンも、お腹とお尻のおっきいLとか、2Lとかじゃないと入らないのよ……」
そう笑って話すおばちゃんが、今いちばん出したいメニューがある。
「子供たちにね、カレーを食べさせてあげたいの」
隣町の避難所では、今晩のメニューはカレーだったそうだ。でも、この避難所ではまだ出してあげられない。本部から届く支給物資の中にカレーはない。個人のボランティアからの寄付では600人分ものカレーなど、届けられるはずもない。
当たり前のように食べていたカレーが、今は懐かしくて遠い、夢の食べ物だ。
一瞬、言葉をのんでしまったこちらを、逆に気遣うかのように
「ね、助け合っていかなきゃね。ようし、がんばろう。そう、そう」と、おばちゃんが、また食器を洗いはじめた。
(大槌小学校の給食室にて)

カテゴリー: around Japan パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です