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トカシキ島の生活 その2
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トカシキ島の生活
島には素敵な砂浜と海がすぐそこにあった。せっかく来たのに海に入らない手はない!
本当なら1週間ほど、ここで羽を伸ばして農作業の手伝いをしたり、海に行ったりしたいものだ・・。
町の公民館で「バイオディーゼル燃料を使って世界一周」の様子を写真を交えて報告させていただいた。急な告知だったにも関わらず、多くの方が集まってくれた。
話の最後に「もう一度このバイオディーゼルカーで世界一周するなら一緒に来たい人?」と聞いたら子供達よりもお母さん達の方が手をあげていたのが印象的だった。
ヨーロッパやアメリカでも、時々冗談で一緒に行きたい方はいますか〜? と聞くと男性や子供よりも主婦が圧倒的に多いのは、なぜなのだろう!?
「わらびや」の主であるチャリ(坂田)さんは、海で魚を捕ることや魚をさばくのはお手の物。また、半自給自足を目指して有機無農薬で米や麦、野菜を作ってしまうそんな生活力のあるたくましさがある。もちろん奥さんのアキコさんも、教員の免許を持ち、アウトドアスポーツ万能の2人は、高齢化が進む隣近所の手伝いや、島の小学生のために放課後、勉強をみるなど、島ではなくてはならない存在。
自分が子供だったら絶対このわらびやに来ちゃうだろうな。
「わらびや」では海や山では自然との付き合いを、島人からは伝統を学び、心も体もたくましく成長する、そんな場を目指しているという。また、過疎対策や不登校対策ではなく、「島で一年間暮らしたい」という意思のある子どもを受け入れている。
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離島留学noわらびや in 渡嘉敷島
渡嘉敷島で山村留学「わらびや」を運営する坂田竜二とは、かなり古い知り合いだ。最初に会ったのは彼がアドベンチャーレーサーとしてレースに出場していた頃だっただろうか。タイで船作りをしたり、大抵の大工仕事はなんでもこなす器用な男だ。
世界中を旅してきて、日本に帰り彼が山村留学に携わっていることを聞いて最初不思議に思ったが、話を聞いていくうちに彼の考えが段々わかってきた。
現在、「わらびや」には6名の子どもたちが生活している。
小6男(沖縄)、中1男(沖縄)、中1男(沖縄)、中1男(神奈川)、
中1女(和歌山)、中2女(沖縄)
みんなハキハキして元気がいい。彼らは親に勧められてというよりも、自分からここに来たいと言って親を説得して来る様な子達で、島での生活は積極的だ。ご飯の仕度や後片付けなど、わいわい話をしながら分担作業をこなしていく。う〜ん、一緒にいて気持ちがいい。
まずはバイオディーゼルカーに乗って島を案内してもらった。思ったよりも大きな島で農耕地もあり、大きな山もある、そして美しい川や海がある。ある意味、食料は自給自足しようと思えばなんとかできるし、ちょうどいいサイズで住み易い島だと思った。
今日は、毎日が修学旅行の様な「わらびや」に泊めていただく。ワクワク
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サバ二帆漕レース出場の巻 その4
今年で10回目を迎えるこのサバ二帆漕レースは、天候に恵まれベテラン「海想チーム」が午前11時38分(3時間38分かけて)に泊港にトップでゴールした。1時間あたりおよそ10kmを進んだことになる。女性クルーだけで構成される「女海想チーム」も見事3位を入賞、その実力をみせつけた。すごい!
我が新丸は5時間26分でゴールして32位だった。途中からメンバー交代でウェイク(櫂:かい)を握らせてもらったわけだが、真上から太陽が照らす中、ひたすら海の上で漕ぎ続ける体験は、強烈なものだった。かけ声に合わせて声を張り上げウェイクを漕ぐという体験はアドレナリンが出まくりだったのか、途中から至福感に満ちあふれ、もっと漕ぎ続けたいという気持ちが沸いた。心よくメンバーに入れてくれた新丸のクルー達は渡嘉敷島に住んでいるものの海人はその中の1人ぐらいで、その他のクルーは役場の職員だったり、ホテルの経営者だったりと、海の専門家ではなかった。また、仕事も忙しくメンバーが揃って練習したのも数回だという。経験のない僕をよくクルーにいれてくれたものだ。新丸の皆さん大変お世話になりました。
表彰式は午後6時から「とまりん前広場」で行なわれた。昼過ぎにゴールしてホテルもとっていなかったので、この広場で昼寝をして時間をつぶす。みんな着替えてすっきりとした姿で広場に集まって来た。
電気やガソリンに頼らず自分の力で海を渡りきった満足感はなにものにも代え難いものがある。参加者達の顔は疲労感はあるものの皆明るい。表彰式のパーティではみなお互いを讃え合い、写真を撮り合ったり、笑い合ったりと楽しい時間が過ぎた。
主催者の粋な計らいで表彰式会場にバスコファイブを置かせていただいた。食事がある程度終わったら興味のある者達がバスコファイブに集まって来た。さっそく、仕組みを説明したり、天ぷら油でどうやって走るのか、等々話に花が咲いた。
左の写真は、左端が1981年から何度もダカールラリーに出場している内田正洋、右端はNOKチームのナビゲーターとして出場した経験を持つ斎藤淳。彼らとは砂の海で何度も会っているが、日本の海で3人が再び再会するとはほんとうに奇遇なことだ。右の写真はこのレースの主催者であり縁の下の力持ち。左からフォトウェーブの塩澤朋子さん、添畑薫さん、塩澤文彦さん、清水博文さん。みなさん大変お世話になりました。そして貴重な体験をありがとうございました。
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サバ二帆漕レース出場の巻 その3
僕は、サバニに乗るのはまったく初めて、レース経験もないままのぶっつけ本番だった。不安はあったものの、めったにないチャンスなので言われた右舷の真ん中の席に腰をおろし、舵を取るチャリさんのかけ声に合わせて、「フー・ハイ!」と声を張り上げ、ひたすら漕いだ。
漕いでいるうちに以前ラリーで骨折した左手首や右肩に激痛が走った。オールを漕ぐような腕の使い方をしたことがないため、古傷が痛み出したのだ。しかし、かけ声をかけながらオールを海に突き刺し、水を掻く行為は重労働だが、なんだかうれしい。100年以上も前からこのような船でポリネシアやアジアを行き来していた時代に思いを馳せ、海の男達の気持ちに触れた様な気がした。漕げば漕ぐほど気持ちがいいのだ。
なにか内側から力が沸いてくるものがある。もっと漕ぎたいというなにかがこみ上げてくる。そのうち痛みがどこかに行ってしまい、その単純な動作が心地よくなっていった。なんだかランニングハイに似ているような感じだ。
島から離れ外洋に出ると海の顔が一変する。波しぶきが体にかかり、風が体を駆け抜ける。クルーのかけ声が一つになり、一体感を感じ、潮風を感じる感覚は参加してみないとわからないものだ。すると段々と那覇の港が見えて来た。
やはりトップ集団の船は走りが違う。風をつかむ力、潮の流れを読み、普段から鍛えた漕力の一つ一つが重なり合い大きな力となる。ただ漕げば良いというものではないようだ。それに見ていて迫力があるし、クルーの顔が引き締まってカッコイイ。特に女海想チームの漕ぎは力強く美しいものがあった。(写真右上)サバニは奥が深いなぁ。
サバニについて聞いた話で関心したのは、この船は漁業だけでなく、遠くまで海を越えて移動できる力を持っていることだ。とくに構造上、転覆してもすぐにもとに復帰しやすい構造だったり、台風などで大波にあっても沈まない構造になっているところだ。波風が荒い時は逆に船の中に水を入れてある程度沈ませ、やり過ごし、必要なときには船の中の水を掻き出し、通常の状態に復帰させ漕ぎ続けることができるという柔軟で沈没しない構造になっているところだ。さらに帆の力と漕ぐ力を併せ持ち環境に合わせて進むことができるすぐれた船だということが、わかってきた。
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サバ二帆漕レース出場の巻 その2
レーススタート当日がやってきた。42艇が古座間味浜に並んだ。スタートは午前8時。コースは座間味島の古座間味ビーチから那覇港沖までの約19海里、約35.2キロメートルで行われる。空は少し雲がかかっていたが暑すぎないので船を漕ぐにはもってこいの天気だ。上の写真は、クルーとして参加させていただいた新丸(渡嘉敷島)の走っている姿だ。
左上の写真は、渡嘉敷島から出場する新丸とチーム全員の記念写真。右下は、沖縄初日にお世話になったアーストリップの大前くんとその彼女(女海想チーム)のツーショット。
朝7時半から航海安全を祈る拝神の儀式があった。神人の踊りと祈りをみて、長いこの島の歴史に少しだけ触れた様な気がした。
いざ、出発!!
スタートの合図と共に最初のクルーが船に乗り込み、交代メンバーが海にサバニを押し出す。各サバニには安全のため伴走船が付く、その船には途中で交代するクルーが乗り、必要なときに海の上で伴走船を横付けしてクルーを交代させることができるようになっている。しかし、伴走船がサバニに近づきすぎると波を起こしたり、風上にいると風を遮るのでレース特有の技術が必要になる。
僕は、真ん中あたりで交代する予定だったので、それまで自由に動け、撮影できる船(監視艇)に特別に乗せていただいた。スタートを撮影した後、すぐに港にもどり、その船に乗り込みトップのサバニを思う存分撮影した。その後、ルートの真ん中あたりで新丸を待ち、伴走船に飛び移った。クルーの交代の時期まで様子を見、クルー交代の合図で新丸のサバニに乗り込んだ。
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サバ二帆漕レース出場の巻 その1
レース前日となる今日は、各チームがサバニの調整とチームの練習。そして午後からはインスペクション(艇体検査など)と海岸清掃が行なわれることになっている。サバニの各チームの様子や海岸清掃に参加したいとレースのスタート地点となる古座間味浜に行くことにした。
それから今回のレースに出場する渡嘉敷島のチームに入れてもらいレースに参加できるかもしれないというので、そのチームに会う必要があった。
選手の中にはダカールラリーで何度も会ったことのある内田さんの顔もあった。今では砂漠の海とは反対の海洋ジャーナリストとして有名だ。アウトリガーをつけない古式サバニを操るという。出場する艇のうちほとんどがアウトリガーを取り付けて出場しているのに対し、不安定な昔ながらの古式サバニを操るのは技術と経験が必要と言われているだけに大変なのだ。
今回参加するのは43艇、その中にはゴールドウインの社員と海洋冒険家の第一人者の白石くんが組んだ「うみまる」、地元の中学生チーム「海学校」など沢山の人達が集まっていた。
実は渡嘉敷島に最近移り住んだ知人のチャリさんが昨年もこの新丸チームの一員としてレースに出場していたとこともあり、彼を通してチームに空きがあれば無謀にも飛び入りで参加させて欲しいと頼んでいたのだ。知人は、アドベンチャーレースやアメリカ先住民が行なったアメリカを走って横断するセイクリッドランで会っていた。現在彼は離島留学といって渡嘉敷島での生活を希望する全国各地の子供達を預かって共同生活をする「わらびや」を主催している。
※わらびやは、1年間、小中学生が寮で暮らし、島の学校に通う。有機・無農薬の米や野菜を作って自給自足。珊瑚の海で泳ぎ、野ヤギがいる山を走り回る。渡嘉敷島の大自然の中、「たくましく生きる力」をつけるというもの。
新丸チームはすぐ隣の島の人達なので、この座間味には泊まっていない。彼らが仕事を終えて夕方、船で座間味に来るのを待たなければならなかった。上の3枚の顔写真はチームに入ることを心よく引く受けてくれた渡嘉敷チームの面々だ。初対面なのだがみんなやさしい人ばかりだ。
午後3時からは参加者、関係者が集まりビーチクリーンが行なわれた。主催者からゴミ袋と軍手が支給された。大勢でゴミを拾うとあっという間に浜は奇麗になった。ゴミをみていると韓国から流れて来たものが目立つ。そうか、考えてみれば沖縄からは韓国がかなり近いわけだ。
古座間味ビーチに駐車していたバスコファイブを見た人から質問を受けているうちにだんだんと人に囲まれ、説明しているうちに仲良くなったのでみんなで記念撮影。
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座間味島へ
6月26日泊港からフェリーに乗り、座間味島へ向かう。どこから乗船するのかわからずウロウロするが、なんとかバスコファイブを船に乗せてから船内に乗船することができた。伊豆の松崎で会った海洋冒険家の白石康次郎くんに再会する。
そもそもこの座間味に来たのは、松崎で白石くんがサバニレースのことを話してくれたからだ。彼は、例年参加している地元の伝統漁船「サバ二」を使ったレースに出場することを話してくれた。
那覇上陸後、心よく迎えてくれた沖縄の旅や観光を紹介してくれるスペシャリストの「アーストリップ」の皆さん。会社の前で記念写真
泊ふ頭から出る座間味島行きのフェリーに無事乗船すると、甲板で伊豆で会った白石康次郎くんと再開した。バスコファイブもうまくフェリーに乗れたのだ。
座間味島に着いて、さっそく港に集まったサバニを目の前でじっくり見ることができた。見れば見るほど、今まで見たこともない変わった形をしている帆漕船に魅力を感じ、ワクワクしてきた。
港のターミナルに展示してあるサバニ展を見に行く。歴代のポスターを見ているとクォリティの高さにウ〜んとうなってしまう。これはただものではないぞ・・。(後で知ったのだがこのポスターは、フォトウェーブの塩澤朋子の弟でもある塩澤文彦さんが作られたものだった。)サバニの知識もこのレースの歴史もほとんど知らないでやって来たこともアリ、見るものすべてが新鮮だった。
この日、宿に入り、やっと部屋に落ち着いたころヨットレースや海のカメラマンとして第一人者の添畑さんが、訪ねて来てくれた。2003年にニュージーランドで行なわれたアメリカズカップを取材に行ったとき、先輩でもある添畑さんからレース取材方法についていろいろ教えていただきお世話になったのだ。その時に「サバニ帆漕レース」のことを初めて聞いたのだ。それ以来機会があればぜひレースを見に行きたいと思っていた。
添畑さんとはなんと6年ぶりの再会となる。久しぶりに会った彼はこの島の歴史からサバニのレースが始まった由来、サバニの持つ深〜い意味やレースに参加する地元の子供達の未来について熱く語ってくれ、夜は更けて行くのであった。彼の持つ熱い想いはほんとうにスゴイ。
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25時間の旅
6月25日フェリーの旅は沖縄までおよそ25時間かかる。けっこう長い。
飛行機でいうと日本からヨーロッパまでおよそ12時間くらい、南米のブラジルまでおよそ30時間ほどかかることを考えれば、地球の反対側へ行くくらいの時間がかかる。それから車の運賃とひと一人の料金はおよそ10万円ほどする。往復で20万円かかるのだから日本国内でありながら沖縄は遠い。それだけに期待も膨らむというものだ。
時間があるのでブログアップやメールチェックに時間を使う、でも電源確保に一苦労。
乗客もあまり混んでいないので楽チン。途中、奄美大島や徳島など小さな島々によりながら南下する優雅な旅だ。
夜8時ころ沖縄の那覇に到着した。富士エコパークであったノンちゃんの紹介でアーストリップの中村圭一郎さんのお宅におじゃますることになった。突然の訪問にもかかわらず、アーストリップのみなさんは心よく歓迎してくれ、一緒に沖縄料理を食べに行った。写真はアーストリップの面々。
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いよいよ鹿児島から沖縄に向けてフェリー乗船
6月24日、沖縄には25日に到着していたかったので鹿児島をゆっくり見る時間がないまま熊本から鹿児島新港に向かった。高速のサービスエリアでバイオディーゼル燃料が足りなくなり、観光バスの横で給油をした。観光客が給油中のバスコファイブを撮影しにこられる。撮影後、燃料の作り方など説明。バイオディーゼル燃料に関心をもったかたは思った以上に多いものだ。
鹿児島で佐伯市から同行していた古林氏は仕事のために東京に帰ることになった。これから再び一人旅だ。さあ、どんな旅が待っているのだろうか。
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