今日の釜石のマチ。
メインロードを走れば、解体されるのでしょう、建物のまわりにネットがはられ、足場の組まれた建物の姿があちらこちらで見られます。
道路の舗装工事もあちらこちらで行われています。
この後、大槌町や山田町まで走りましたが、国道45号線もあちらこちらで工事中。片側通行で少々渋滞がおきているところもありました。
今日の釜石のマチ。
メインロードを走れば、解体されるのでしょう、建物のまわりにネットがはられ、足場の組まれた建物の姿があちらこちらで見られます。
道路の舗装工事もあちらこちらで行われています。
この後、大槌町や山田町まで走りましたが、国道45号線もあちらこちらで工事中。片側通行で少々渋滞がおきているところもありました。
国道45号線の菜の花の花壇に、看板を増やしました。
元々看板を建てているのですが、ここは長い花壇なので看板が見えない場所はまったく見えず。道路工事や建物建設のためにトラックも行き交うため、増やすことに。
片岸の地元の方にもお手伝い頂きました。
大工仕事がお得意とあって、さすが速い!!! ありがとうございました。
菜の花が元気に咲きますように。
仮設住宅を訪問。
あの時のこと、数ヶ月前のこと、最近のこと、色々とお話をお伺いしました。
そのことはまた記しますね。
「おもち焼いてあげるからね〜」と出して頂いたのが、これ。
うるち米を使った”きりせんそ”というそうで、ご友人が作った評判のきりせんそなんだそうです。甘いおもちのお菓子みたいですっごく美味しい!
こちらからおじゃましているのに、いつもこうして美味しいものを頂いてしまいます。
そのたびに、この土地の家庭の味や故郷の料理というかけがえのない豊かさに触れるのです。
山田町長崎の花壇。
ここは私たちが行う【菜の花大地復興プロジェクト】として
9月にたくさんのボランティアさんの手をお借りして、花壇を修復、瓦礫を撤去、土と有機肥料を投入し、手作業で花壇を復活。(その時のブログはコチラ、コチラも、コチラも)
10/2に地元の方々と共にナタネ播きを行いました。(その際のブログはコチラ、コチラも)
この道は1階部分が水没したものの、家の形が残り住民がそのまま居住を続けているエリア。そして子供たちの通学路でもあるのです。そのためより安全で明るい町づくりのお手伝いができればと行ったのでした。
その後、下の写真(12月に撮影)のようにすくすくと順調に育っていましたが、道路と縁石の工事が入り、やむなくこのようにひっくり返ってしまいました。
工事は片側のみ。なぜ工事を行っているのかというと、震災の影響で道路が陥没してしまったため(下左写真の矢印の部分)、道路の舗装工事を行わなければならず、その道路に続いている花壇の縁石も修復が必要とのことです。
花壇では、縁石をひとつひとつきれいに並べてセメントを流す工事現場の方の姿がありました。こうして被災地では様々なところで道路工事や基礎を壊すなどの工事が続けられています。現場のみなさま、寒い中ご苦労さまです。
この花壇、元々行政側からは「いつになるかわからないが、工事が入った場合は花壇が壊れることもある」とアナウンスをされていましたから仕方ないのですが……
もちろん救えるものは救ってやりたい。何とかしなければ。
現在、菜の花は茶色く枯れているように見えますが、寒さの中で冬眠中。こうしてじっと我慢して春をまって、温かくなったら芽を出して伸びていくのです。
眠っていた菜の花もいきなりひっくり返ってびっくりしたことでしょう。
取り急ぎ、根っこの出た個体は、根が凍ってしまったら死んでしまうので急いで救出。
しかしどうやってレスキューを進めていこうか…。
工事の進み具合とも息を合わせていかなければなりません。
菜の花の具合を見ながらここで作業をしていると「菜の花とても楽しみにしていたの、残念だわ」と地元の方から声を頂きました。また「じつはたまに来て花壇のお手入れをしていたのよ」と見守ってくれていた地元の方もいらっしゃいます。
菜の花レスキューにはマンパワーが必要なので、今後、レスキューボランティアを募集する予定です。無事にひと株でも助けて、春にはこの通学路にきれいな菜の花が咲きますように。皆さんぜひご協力をお願いします。
昨年12月1日にプレオープン、12月3日に本格オープンした「おおふなと夢商店街」へやってきました。こちらは中小企業基盤整備機構の仮設施設整備事業(無償貸与)による無償貸与の複合店舗。駅周辺で被災した商店街のお店を中心に、計31店舗がこの仮設商店街に集合してがんばっています。場所は大船渡駅の裏側。看板がよく目立ちます。
こちらの商店街、通路の足下はウッドデッキになっています。支援団体からの寄付なのだそうですが、木が敷かれていると気持ちがいいですね。さすがに今は極寒の夕方のため出歩く人の姿もまばらですが、歩きやすいですし、植物を囲むベンチなどで休むこともできます。つくづく木の温もりはなくてはならないものだと実感するばかりです。
髪が伸びっぱなしだったので床屋さん「バーバーミノル」さんに立ち寄ってみました。
閉店もぎりぎりの時間でしたが、快く出迎えてくれました。
これがもうすばらしかった!顔の隅々までカット、さらにマッサージ付きで至れり尽くせり!ここン十年そんな心のこもった癒される床屋さんへは行ってなかったので感動しっぱなしでした。何にしても速さが求められる時代だけど、こうして手間をかけることは心を豊かにしてくれるものです。
「バーバーミノル」は、昭和40年にオープンしてから親子で守り続けている美容院。”ミノル”はこちらのお父さんのお名前なんだそうです。「被災してぜんぶ流されました。悔しいですよ…」とお父さん。震災当時は「ミノルさんが散歩中に湧き水の出る場所を見つけていたので、水に関しては助かった」のだそうです。「長年使っていた手になじんでいる道具がなくなったのが本当にショック、お金で買えないですからね…」と娘さんが静かに語ってくれました。
外はもう真っ暗になり、いつの間にか周囲のお店から灯りも消え始めていました。お客さんは僕だけ。ウトウトした意識の中で、はさみとラジオの音がそっと聞こえてきます。
【菜の花大地復興プロジェクト】
寒さの中、菜の花がどのような状態にあるか、見回りと観察です。
◆陸前高田 下矢作の菜の花
ここは内陸の地域。沿岸部より雪が多く気温も2〜3℃低いため、菜の花は雪の下で眠っています。
◆陸前高田 竹駒町滝の里
こちらは先日の雪の名残がちらほら。他は雪ではなく、水が凍った状態に。菜の花の葉っぱが氷の中に透けて見えます。外気温によって溶けたり凍ったりする状態、過酷ですね。
↓スーパーMAIYA
↓スーパーMAIYA近くの農地
釜石市の栗林周辺で活動を続ける「NPOねおす」さん、鵜住居や根浜の地元のお父さんやお母さんとともに仮設住宅内にて夕食をご一緒させて頂きました。
カンパ〜イッ! と食卓にあがった料理、なんと地元お母さんの手料理です。
↑ こちらはお母さんたちが「海鮮漬け」です。ものすごくきれいで美味しい!
地元の海のものと、山のものを手で丁寧にお漬け物にした、まさに「地元を頂く」ひと品。東京の岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」でもすぐに売り切れてしまう幻のお漬物なんです。
「これはうちで作った “手前味噌”なの」という手作り味噌もおいしい! 昔からこうして味噌も手作りするのが普通だったこの地域。家庭それぞれの味噌の味、おふくろの味があるのです。
「化学調味料は一切つかっていないの」という、味がじっくりしみたおでん。こんぶは地元の海でとれたものです。こちらもほんとに美味しかった。
レディース軍団はここでいいの!と台所の前で話し込んで座りながら、ご飯のお世話をするお母さんたち。頬を赤らめたお父さんたちも賑やかに盛り上がります。
地域のゆるがない繋がり、僕らを温かく迎えてくれる懐の深さ。人間の強さといちばん大切なもの。そんなものにふれられた夜でした。美味しいごちそう、すてきな時間をどうもありがとう!
外にでると、満点の星空が輝いていました。
「津波で公園や空き地には仮設住宅が建ち、子供たちの遊ぶ場所が減ってしまったので公園を作りたい。それもプラスチックではなく、木材を生かした公園を作りたい」
そんな釜石地元住む創作郷土料理屋「コスモス」さんの声を実現すべく、僕らが木材を調達したのは11月のこと。
陸前高田で高台に家を作るため切り倒した木材のいき場所がなくて困っていたので、相互ニーズを繋ぎ合わせてトラックで運んだのでした ↓(ブログはコチラ)
……そして、現在。
↓「コスモス」さんのところで作られている公園は……なんとこれ!
すごいぞ〜。釜石保育園の給食室を作った大工のフィルとよしろうさん、長野の大工みちくんや仲間たちが、あの木材を使ってこんなに楽しい自然の公園を作り上げています。ジャイアントウッドくんが頭にかぶっているのは……鉄のオカマだ!
アースバッグを使ったプチハウスもいい感じだね。
現在、冬のため一時お休み。完成まで、まだ少し時間がかかりそうです。
楽しみですね!
滋賀県のNPO「愛のまちエコ倶楽部」さんから、廃てんぷら油から精製したバイオディーゼル燃料(BDF)が届きました!!
僕たちはBDFを精製しながら支援活動をしていますが、支援活動にかかる1日の移動距離は長く、200〜300km走ることも珍しくありません。精製作業が追いつかないため後方支援をご協力頂きました。
「愛のまちエコ倶楽部」さんからは、震災直後からこうしてBDF燃料の後方支援を頂いています。とてもクオリティの高い燃料で、ここ東北の寒冷地でも凍ることもありません。
支援のための燃料として、大切に、大切に、使わせて頂きます!!
いつも本当にありがとうございます!!
ドラム缶を運んできた宅急便は2トントラック。雪道、しかも細い道をようやく入ってきてくれたのですが、それもここまで。ここから先、100m先まで人間の手で運びます。
普段は土の上を転がして運ぶのですが……
「うぉぉりゃ〜〜!」… ツルッ…「なぬ〜〜!」…ツルッ…「どぅぉぉ〜!」…
雪で道が凍結しているため、ドラム缶もツルンツルンこれが滑る滑る。まったく進まない!宅配便のお兄さんと一緒に、男二人で必死で格闘しました。
「そうだ!前をスコップにのせてみよう」とやってみたら、ちょっといい感じ。
こうして続けること1時間。汗だくになりながら、ようやく落ち着く場所にもってこられたのでした。
ホッ。お兄さん、ありがとうございまさす、ご苦労様でした。
無事に置かれたドラム缶。斜めになった陽の光に浮き上がるように見えるのは「愛のまちエコ倶楽部」の皆さんが描いてくれた手描きのメッセージ。かわいらしい菜の花の絵も描かれていました。ひとつひとつの言葉に、繋がりを感じ、元気と勇気をもらえるとは、まさにこのことなのだなあと想い、感激でいっぱいでした。
こうして環境にやさしいエネルギーBDFを通じて、手と手をとりあう支援の輪が広がっています。
NPO「愛のまちエコ倶楽部」さんは、”エネルギーと食の自給” に通じる地域づくりのプロジェクトを行っています。例えば”里守隊”として「自分達が住むまちの里山を守りたい!」「子供たちが遊べる明るい森を取り戻したい!」そんな思いの人たちが集まり、月に1度、山や森の整備作業をしています。自分たちの手で地域を楽しく元気にしていくこのような地道な活動は、今まさに必要とされていることにちがいありませんね。
昨年12月からプレハブでオープンした、釜石市の飲み屋街「呑ん兵衛横丁」。
今日もあかりがともり、のれんをくぐる地元のお客さんの姿が見られました。
この横丁は昭和30年代前半に誕生しました。
戦争で家族や夫をなくし、屋台を経営して暮らしていた女性たちが、市の中心部にあった水路上にふたをして長屋を建ててはじめたのがきっかけと言われるそうです。
しかし津波ですべてのお店、全26店が流されましたが、約15件がこの仮設店舗でオープン。まだ開店準備の真っ最中のお店もありました。窓からもれるあたたか〜いあかりと匂いにそそられます!
場所は、JR釜石駅から西へ徒歩2分、駅からすぐ近く。
市教育センターの隣の広場、マイヤやケーズデンキの道をはさんで向かい側にありますよ。