整備と燃料精製

車を保管させていただいた場所が車の整備工場ということもあり、車を整備するにはとてもありがたい。さっそく、今日はオイル交換をする。実はキエフで入れたエンジンオイルがガソリンエンジン用だった。それでも走れない事はないが、念のためディーゼル用のオイルに交換することにした。エンジンオイルはカストロールの高級オイルだった。さすがオーナーがレーサーだけあっていいものがそろっている。

ウラジオストックのワレンチンさんが紹介してくれたモスクワのサポーター、ウラジオスラフさんもちょうど来られたので、みんなで記念写真を撮る。


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アレクサンドラ君

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8月27日(水)雨 13℃
宿泊先を提供してくれたアレクサンドラ君。コンスタンチンのガレージに勤める若者達の友人で彼はまだ29才だ。医者だという彼はとてもバイオディーゼル燃料に興味があるようだ。
毎日のように雨が降り、じめじめしている。ガレージで燃料を作りながらカザフの招待状を手配する。やはり、カザフスタンでダカールラリーに何度も出場しているライダーのワディムにお願いする事にする。彼は心よく引き受けてくれすぐに招待状をFAXで送ってくれた。なんとか明日にはカザフのビザ申請ができる見込みがついた。旅の後半はだんだんダカールつながりになってきた。とにかくありがたい。
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お世話になった方:Alexandr、Alexei(事務所のドライバー)、Konstantin(”M-ART”の社長)、Vadim from KZ

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アレクサンドラ君

8月27日(水)雨 13℃

宿泊先を提供してくれたアレクサンドラ君。コンスタンチンのガレージに勤める若者達の友人で彼はまだ29才だ。医者だという彼はとてもバイオディーゼル燃料に興味があるようだ。

毎日のように雨が降り、じめじめしている。ガレージで燃料を作りながらカザフの招待状を手配する。やはり、カザフスタンでダカールラリーに何度も出場しているライダーのワディムにお願いする事にする。彼は心よく引き受けてくれすぐに招待状をFAXで送ってくれた。なんとか明日にはカザフのビザ申請ができる見込みがついた。旅の後半はだんだんダカールつながりになってきた。とにかくありがたい。

お世話になった方:Alexandr、Alexei(事務所のドライバー)、Konstantin(”M-ART”の社長)、Vadim from KZ

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Mr Dakar in Moscow

夕方コンスタンチンのガレージにもどるとメカニック達がこの車にとても興味を持ってくれ、燃料を作っていると大勢集まってきた。それではとさっそくプラントの説明とバイオディーゼル燃料の作り方をナジーラの通訳で説明しはじめる。プロジェクトが終わったら売ってくれとか、これはいくらだ?とか質問が飛び交う。

夜、9時過ぎにコンスタンチンが事務所に帰ってきた。彼は、僕と同じ2007年のダカールラリーに出場している。アメリカで作ったバハ1000仕様のモンスターバギーで出場し、部門優勝している強者。他にもエジプトやモロッコ、チュニジアラリーなどにも出場していてロシアでは知る人ぞ知る存在だ。彼は元空軍の上級クラスで空爆を担当していたトップガン。リーダーとしての資質があるのだろう。大勢の若者や人のネットワークが広く、面倒見がいい性格。タバコを吸いながらニエト・プロブレム(問題ない)というのが口癖で頼もしい。

ロシアの道には詳しい彼はルートについても色々アドバイスをくれた。



メカニック達とワイワイやりながら、この日は夜10時過ぎまで燃料を作った。

走行距離:0
廃食油:0

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カザフ大使館へ

8月26日(火) 雨 14℃

8:30起床。バスと地下鉄で1時間半かけてカザフの大使館に行きビザの申請をしに行く。地下鉄の地図も持っていないので通行人を止めて、どの列車に乗り,どの方向に行けばいいか聞きながらの珍道中だ。文字をみても発音もできなければ意味がわからない。駅と駅の連絡通路も距離が離れていて大変だった。

大使館に行ってからわかったことだが、ビザを申請するにはまずカザフの誰かからの招待状が必要ということだった。すぐにカザフの知人に電話をしたり、FAXを受け取る手配をしたりしたが申請時間が昼の12時までなので今日は時間切れとなった。ビザの申請には1週間かかり、日本人は申請料は無料だということがわかったが、予定ではそんなに滞在するつもりではなかったので、なんとかもっと早く取得できる方法をさがしてみる。

申請に必要なもの:
1. ビザ申請用紙
2. 写真1枚
3. パスポートのコピー
4. ロシアビザのコピー
5. カザフスタンの招待状


その後、近くのメトロの乗り口にあるトルコ料理屋に入って軽い食事をする。日本なら3人で1500から高くても2000円程度の食事なのに請求書をみると日本円で1万円。それはおかしいとよくよくレシートをみると打ち間違えだったことがわかった。それにしても支払ったのおよそ1000ルーブル。約5000円だ。モスクワの物価の高さに驚く。なんとか午後3時半ころ帰宅。午後4時からコンスタンチンのガレージで燃料を作りをする。

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ついにモスクワ到着!

8月25日(月) 曇り時々雨 今朝20℃、午後18℃

朝8時、バイオディーゼル燃料をプラントから車に給油する。昨日の国境ではすでにエンプティランプがついていて、けっこうガス欠寸前だったのだ。国境でプラントを出して給油するわけにもいかず困っていた。ホテルで朝食をとり、モスクワに向けて9:40に出発した。

昼にトラックドライバーが寄るようなカフェ兼食堂で車をとめる。そこのおかみさんは化粧が濃く、ふくよかな体つきが印象的だった。メニューはあったが、ほとんど今出せる物はないと言われ、しかたなくピロシキとホットドックのようなものとスープを頼んだ。お茶にスプーンがついてこなかったのでスプーンを頼むと、スプーンはないと言う。「日本は先進国で豊かな国だけど、ロシアは物がなく貧しい国なんです」と言われ、大国ロシアでバブルなモスクワに近いところでも日本に対してそんなイメージで見てるのかと思うと考え深いものがあった。さらに廃食油を尋ねると油は使い切ってないそうだ。やっぱりロシアで廃食油を探すのは難しいようだ。

バイオディーゼルカーの話をしたので、おかみさんが見たいという。外に停めてある車のところに行きプラントについて説明することになった。リヤハッチを開けて説明しているとあっと言う間にまわりにいたトラックドライバー達が集まり、とても興味深くいろいろ質問される。特によく聞かれるのはこのプラントはいくらするのか?というのが多い。また、水で走る車や電気自動車のことを知っているという話も出た。水で走る車の話は他でも時々聞いた覚えがある。結構、そういった新しい燃料の車に興味があることがわかる。

途中でガソリンスタンドでタイヤに空気をいれようと止まったところ、アメリカ製のトラックで走っているベラルーシ人がやってきてプラントについて色々聞いてきた。Biodiesel燃料についてテレビで見たそうだ。燃料にとても興味を持っているという。意外とバイオディーゼル燃料について知っている人はこちらの国でもいるようだ。

夜6時ごろモスクワの南部に到着した。ルート上にある「一番星」と言う日本食レストランにたちより油をわけていただく。すでに話は伝わっていたので、話は早く貯めておいていただいた60リッターをさっそくいただく。続いて一番星3号によらせていただくと、なんと80リッターも貯まっていてビックリ。一番星のみなさんありがとうございます。

雨が降ってきて,モスクワの中心部は大渋滞で全然動かない。キエフ出発のぎりぎりまでモスクワの滞在先が決まっていなかったが、ユーリの紹介でダカールラリードライバー、コンスタンチンがガレージを貸してくれることになった。彼のガレージに着いたのは夜の10時になっていた。10キロほど進むのに2時間ぐらいかかったことになる。今日の宿泊地に着いたのはおよそ11時、近くのイタリアンレストランで遅い夕食をとる。

※注:この日と昨日のユースケが撮影した写真は、保存したハードディスクのトラブルで取り出せず、写真をお見せできません。一番星のみなさんすみません。もう一度油をとりにうかがったときに改めて撮影させてください。

距離:546km
廃食油:140リットル
お世話になった方:一番星2号店–Gerasimovsergey Anatolyevych(店長)、一番星3号店–VinogradovOleg Alexandrovych(店長), Lyudmila Mandjieva-maneger, Andranik Sarkisyan (コック)、Konstantin Mesheryakov, Alexandr.

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ロシアの国境へ

8月24日(日) 晴れ 34℃

やっと、キエフを出発する日がきた。ユースケ達はキエフにおよそ2週間ほど滞在していたことになる。約200リットルほどの油を集めてようやく出発することができた。朝、8時からアパートの荷物を片付け、車とトレーラーに荷物を積み込み始める。国境の税関で問題がおこらないように整理してパッキングする。(特にメタノールタンクにはビニール袋をかけ、その上にキッチンペーパーや水のボトルを載せたり、テントなど荷物をごちゃごちゃ積む)

午前11時、アパートを出発。東に向かって片側3から4車線ある幹線道路を走る。途中北東に向かうあたりから2車線くらいの道になり、交通量も減ってきた。途中、ひまわり畑があったので路肩に車を停めて,撮影がてら小休止する。キエフからロシアに向かう幹線道路なので国境まで楽勝かと思いきや、あと150キロほどで国境というところでポリスが立ちはだかり、道を封鎖していた。トラックや車などが数台止まっていてなにごとかと思いきや、どうもこの先の道路が工事中で通過できないということで迂回しなければならないというのだ。

しかたなく細い田舎道を北上するが、道が悪くスピードが出せない。また、GPSで道を見るとかなり北上してから迂回しなければならないようで燃料が心配だ。途中の村で道路の状況について尋ねるともう一つ北にロシアに抜けるルートがあるのでそちらに行った方がいいという話も聞く。しかし、迂回した車はみな最初のルートにもどっているようなので、どちらに行くべきか迷う。北に上がってしまうとモスクワまで遠回りになってしまうので、できたら元の道にもどりたいところだ。バスの運転手や地元の車のドラバーに聞いて情報を収集するが、いまいちはっきりしない。

ロシアナンバーの車がけっこう反対方向からやってくるのと,迂回した車が元の道へ行く様なので思い切ってそちらに行く事にする。燃料の余裕がないのでミスは許されない。

線路を越えるとやっと幹線道路にもどることができた。工事中だが,結構車が往来している。走れそうだ。よかった。しかし、しばらくいくと今度は工事用のローリーが道を塞ぐ。1人の男性が、ここは通れないから左へ行けという。しかたなく指示にしたがって北上するがGPSをみても迂回する道がないようだ。困ったなと思って立ち止まっているとロシア側から来た車がやはり、さっきの男の指示でこちらに迂回させられこっちにやってくるのが見えた。その車を停めて、ロシア側への道の状態を聞くとここから先は問題なく通過できるという。そうか、走行可能ならなぜ迂回させるのか?!

どちらにしてもロシアから来た青年と情報交換し、お互いにやはり先ほどの道にもどろうということになり、Uターンする。ロシアの青年が先ほどの分岐で、例の男性と話をしている隙にこちらはロシア側へ左折して、さっさと元の道にもどる。

道は快適に延びていて、国境までこのまま行けるかと思っていると、そうはいかない。その道は工事中で全面通行止めになってしまう。路肩のダート道がかろうじて走れそうだが,土のフカフカな上かなり傾斜がきつい。向こうから来る車はほぼ30度ほど傾斜した悪路をなんとか走ってくる。車が横転しそうなくらい傾く場所がある。しかし、このルートしかこの先道がない。しかたなく覚悟を決める。しかし、この傾斜だとトレーラーが傾きすぎてねじれて転がりそうだ。一か八か、やることにする。ここでひっくり返ればすべては終わるかもしれない。

ダートに入ってみると溝が掘れていて思ったより右に傾く。屋根にも油があり、重心が高いし,車内の右側には70キロの発電機など200キロ以上の重さの荷物が積んであるのでもともと右に重心があり、さらに右に傾いてる感じがする。しまったと思ったが行くしかない。ゆっくり走っているとスタックしそうなフカフカな道なためある程度アクセルを踏んで行かなければならない。しかし、一瞬砂につかまりそうになったがなんとか前進していく。トレーラーも左側車輪が持ち上がり,横転しそうだ。こんなに大変な道はアフリカでも経験したことがない。なぜウクライナでこんなに大変なことになるのだろうか、とぶつぶつつぶやきながらなんとか魔の500メートルをクリアすることができた。ここがもしかすると今回の地球一周で最も道が悪い場所なのかもしれない。とにかくよくこの悪路をトレーラーを引いて通れたものだ。

しばらくすると国境の14キロ手前でまたもや工事中のため道が通れなくなっていた。ポリスに止められて違う国境ルートを勧められるが、モスクワまで行くには遠すぎる。燃料が足らないので森の中のダート道を通り近道をすることにする。最短ルートがわからず困っていると黒いランクルで現れたユーリさんが現れ、僕らのバスコファイブを携帯カメラを出してバチバチ写真を撮り始める。なんとテレビか、新聞で僕らの事を知っているというのだ。彼は、その森を抜ける道を知っているので案内してくれると申し出てくれた。森の迂回路は約10キロほどだが道が悪い。ユーリさんはピカピカの黒塗りのランクルで辛抱強くこちらにあわせて走ってくれた。別れ際に「トヨタ、一番」と言って親指を立ててあえた事を喜んでくれた。彼はトヨタの大ファンだったのだ。

ウクライナの国境に午後6時ころ到着した。着くとすぐに黄色い蛍光色のジャケットを着た若い青年が車の停める位置を誘導して、自賠責保険に加入するようにすすめる。車を停めるとすぐに人だかりの山になった。みなカメラや携帯カメラを出し撮影し始める。どうもテレビのニュースや新聞で読んで、ここを僕らが通過することを知っていたらしい。こんな国境まで僕らのことが有名になっていたようだ。

誘導の青年に連れられて道の脇にある小屋で自賠責保険の加入手続きをする。3ヶ月の加入で110ユーロだった。自賠責保険の書類を持って,今度は国境へ行く。ウクライナの国境警備隊なのだろうか? こちらに来て、どうも賄賂を払えと言っているらしい。順番待ちの後ろの車に通訳をしてもらうと、係官はどうも賄賂を要求しずらくなって、そのまま通って良いということになった。きっと公然と賄賂を要求できないのだろう。しかし、これだけでは終わらなかった。税関検査では車を停め、係官から荷物を全部下に降ろせと言われる。こちらがロシア語がわからないと知ると「プレゼント」「プレゼント」と連発する。自分一人だけ呼び出され、小さな部屋でお金の話をしてくる。ドルまたはユーロがあるか?と聞いているようだ。部屋の中には若い係官の女性と男性が3人ほどいて、公然と賄賂をだせと言っているようだ。らちがあかないと見ると、わざわざロシア語と英語がわかる旅行者を連れてきて賄賂を払えば、荷物は全部ださなくてもいい。賄賂を払わないと荷物を全部降ろし、お金を払わないと時間がかかるぞという意味のことを通訳させた。なぜ、回りのポーランドやウクライナの人には賄賂を要求しないでこの日本人の僕だけ賄賂を要求するのか?と聞いてみるが、日本人は金があると思うのか、どうもワイロを積まないと先へは進めなさそうだ。

ロシアの入国が大変だとは聞いていたが,ウクライナの出国でこのような賄賂を要求されるとは考えてもいなかった。今までの経験からも入国に手間取っても出国が大変ということは無かったので,ビックリ。賄賂はできたら使いたくなかったのでだいぶ時間を稼いだのだが、しかたなく前もってポケットに用意していたユーロを差し出すことにした。

「プレゼント」と叫んでいた係官が、しばらくしてパスポートを返され、これを入国係官に持って行くように言われる。自分のパスポートを調べるとなんとさきほどの5ユーロが挟まれていた。それをそのまま係官にパスポートごと渡すと、その女性の係官はパスポートに挟まれたユーロを発見し、こちらをみて「これを私にくれたのね?」という顔をしたのでうなずいてみせる。そそくさと彼女はそのユーロをしまい、さっそく手続きに入るがなんとスムースに手続きが進んで行く。入国審査を通り、税関の係官のところへ移動する。そのときも彼女が便宜を計ってくれたが、トレーラーの書類(登録書)がないということで、またストップ。フランスで買った領収書をみせるが登録書がないので時間がかかる。どうもトレーラーを購入するときにはその登録が必要のようだ。購入したときになにも言われなかったのでまったく知らなかった事だ。

ウクライナの国境を出たのは夜の9時。ロシアの時間で午後10時(1時間時差がありタイムを進める)もう真っ暗だ。今日の宿も決まっていない。ウクライナとロシアの国境の中間地点で車を停め、パリのトシさんにいただいたお香を焚くことを思い出した。車にしまってあったお香を取り出し、車と荷物、人を清めこれからの旅が安全にそして、うまく行くように星空の下祈った。

いよいよもっとも難関だと思っていたロシアの国境に入る。覚悟を決めていく。ロシアの国境は人も少なく簡素だった。車を右に寄せて停め、まずパスポートを提出。その後、荷物の検査に移る。トレーラーの荷物をめくり荷物を出せという。トレーラーの後ろの扉をあけろと言われ、扉の留め金がしぶくなかなかあけられないでいるともういいと係官に言われ、今度は車のリヤハッチを開けろという。ハッチをあけるとカモフラージュでいろいろ積んであった荷物が転げ落ち、あまりの乱雑な荷物が詰まっている状態をみて、もういいと言われる。トレーラーは、日本から持ち込んだことにして日本ではトレーラーの登録はいらないといいはると、わかったといってトレーラーと車の書類を税関で作ってくれる。これを持っていれば途中警察に停められても大丈夫だという。親切にもこんな書類を作ってくれるとは。ありがたい。ありがたい。ロシアの国境ではワイロのワの字もでてこず、スムースに越える事ができたので、あれだけ覚悟していたので、なんだか拍子抜けしてしまう。これはお香のせいか。または、係官が夜で疲れていたのか。とにかく、ありがたいことにすべてのものを持ち込むことができた。

ロシア国境に1時間半費やす。ロシア国境を越えたのは夜の11時半。このうちトレーラーの書類を作ってくれたり、宿の道を案内してくれるなどに費やした時間を考えると正味一時間でロシア入国手続きは終わったといえる。

国境事務所の係官は、ホテルまでの地図を書いてくれたり、モスクワへのルートを丁寧に教えてくれる。ほんとうにロシアの係官は親切だった。夜12時にホテルに着く。ホテルの代金をユーロで払えないため、近くにあったガソリンスタンドまで行き、両替をする。ホテルの人は国境に両替所があるというが、夜だったせいか、みあたらなかったからだ。$1あたり22ルーブル。1ユーロは34.0だった。300ユーロを10400ルーブルに両替する。

ホテルー”Korimos”一人部屋−600ルーブルで、二人部屋−1000ルーブル(1人、500ルーブル)だった。ホテルの男性から今年、イタリア人がbiodiesel燃料でイタリアからモンゴルまで走った人がいて、このKorimosホテルで泊まったという話を聞く。

走行距離:384km
お世話になった人:Yuryi Suhoruchenko(ランクル乗り)
         Vladimyr Alekseevych(国境の係官)

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独立記念日

8月23日(土) 晴れ 32℃ キエフ

明日は、ウクライナの独立記念日ということもあってキエフの街の中心では、いろいろな催しが行なわれていた。


チェルノブイリ博物館


チェルノブイリ原発事故の悲劇を記録した博物館がキエフ市内にある。事故処理に実際に使われた防護服や車両などの展示、膨大な写真や資料が保管されている。特に驚いたのが原発事故の現場とこのキエフが150キロも離れていないところにあったということだ。風の向きが悪ければキエフ全体が死の街と化していた可能性があったわけだ。こんなに近いところに原発が作られていたとは驚きだ。当時、風が南から北に吹いていたのでウクライナよりもベラルーシの方が被害が大きかったようだ。今もチェルノブイリ原発と同じ型の原発が稼働しているというのだからなんだか恐い気がした。

ユースケとナジーラは、アパートでスカイプを使ってロシアのレストランに電話をかけて廃食油を交渉する。やはり、その日に行ってその日にもらえるということはなかなかない。もっと早く連絡していれば廃食油をとっておいてあげれたのにというところもあるので、ここは時間があるときに電話連絡しておくほうがいい。

午後4時頃、ナジーラと写真をピックアップしにいった。SIXTのみなさんになにか、記念に差し上げようと写真を加工してプリントし、額に入れて送ることにしたのだ。それが今日できあがるというのだ。写真をピックアップした後、床屋をのぞく、ずいぶん混んでいたのでやめることに。市場のようなマーケットでズボンのベルトとスイカとインスタントコーヒーを購入。

帰ってからブログの更新をする。

午後7時ころ、SIXTのドライバーがアパートまで迎えにくる。明日の出発に備えてSIXTの駐車場からバスコファイブを取りに行く。トレーラーを連結して夜9時ころアパートにもどってくる。あまり目立たなく、安全に駐車できるところを探してアパートの前に車をとめる。ついでに2階の窓から電源コードをたらして車の中でバイオディーゼル燃料を作る。

走行距離:0
廃食油:0

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ひまわりのサムライ

ウクライナの新聞「ウィーエンド」にひまわりのサムライというタイトルで紹介された。ウクライナのレストランで使われている油はほとんどひまわり油が使われているため、ひまわり油を集めて地球一周している日本人として書かれているようだ。

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キエフの街を散策

8月21日(木) 晴れ 33℃

バイオディーゼル燃料も160リットルの精製が終わり、バスコファイブもようやく走る事ができるようになった。油を集めていたときにぜひ車を見たいというお店にお披露目を兼ねてキエフの街を走ることにした。

長い間駐車場にとめていたバスコファイブは埃だらけになっていた。まずは洗車をすることにした。幸い、このSIXTには洗車ができる設備もあり、さっそくお願いする。


SIXTのスタッフは全員僕のプロジェクトはよく知っていて、この2人の洗車係の人もこの先に30キロほどいったところにレストランが一杯あるぞ!と心配してくれていた。本当にありがたい。丁寧に洗ってもらい、バスコファイブはみちがえるほどピカピカになった。気持ちがいい!

出発前に遠心分離機の中に入っている釜を外す。一番後ろに乗っている遠心分離機の中の液をためる釜の軸受けがとても弱いため、アメリカの長旅でキズが入ったようだ。出し入れが渋くなっていて軸受けが少しかけているため、ヨーロッパに入ってからは走行中必ず外すようにしている。手間がかかるが、手間を惜しむと後で困るのは僕らだ。面倒という言葉のバイオディーゼルアドベンチャーの辞書にはない!(カッコつけすぎ?)



町の中心部で雄介が両替に行っている間、どんどん人だかりになって行った。なんとバイオディーゼル燃料を作っているという人が声をかけてきた。ウクライナにはどうも3社ほどバイオディーゼル燃料を作っている会社があるらしい。

そのうち本格的に稼働しているのは1社みたいだ。その工場はキエフから南に500キロほど離れているという。これから向かう方向とは反対なので、よりたいが燃料が足らない。どちらにしてもバイオディーゼル燃料関係者に会えただけでもすばらしい。

また、個人でバイオディーゼル燃料を作ろうと思っているという人もやってきていろいろ情報を教えてくれた。急にバイオディーゼル燃料のことでいろいろ人と会い始めビックリ。

また、韓国人でストリートパフォーマーだというウォンさんに会った。4年かけていろいろな国を訪ねてパフォーマンスをして、みんなを癒してまわっているのだという。次は車(バス)で家族でアフリカを廻りたいという。できればバイオディーゼルで走りたいので話を聞かせてくれてというのだ。お互いになにかサポートできればいいね、とこの先のことをいろいろ話した。


前回エンジンオイルを交換してからほぼ5000キロを越えたのでオイルを交換することにする。オイルフィルターとオイルを交換するのを頼む。しかし、オイルはAPI:SM/ILSAC:GF4と書いてあり、どうもガソリン用のオイルだ。ディーゼルはDH竏窒Q/API:CF竏窒Sを選ぶ必要があるが、これでも大きな問題はないようだ。

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