瓦礫集積所 in Noda

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ここは野田村の瓦礫仕分け場です。
こうして分別されて、多いものは山のようにして積み上げられています。
背後にある北リアス線の線路は津波で吹き飛ばされて流されてしまい、現在復旧中です。
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ここは高台に囲まれていますが、高さ10mをゆうに越える高台に生えていた木がなぎ倒されて削り取られた様子がわかります。まさかこんな高さまで津波がくるとは、何度みても目を疑うような光景です。
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野田村の小正月(3)

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お餅つき。僕もつかせて頂きました。
「ほらほらーあと10回!」とお母さんたちのかけ声に力が入ります。
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手慣れた手つきでお母さんたちがおもちをちぎっていきます。
きなこをまぶして、つきたてのお餅は最高ですね。他にもこんにゃくや甘酒などが振る舞われました。

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野田村の小正月(2)

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どんど焼きの次は、紅白の団子を枝に飾るだんごしば(みずき団子)。
子どもからお年寄りまで、豊作や無病息災を祈り、せっせせっせと夢中になって手作りした紅白の団子を枝の先につけていきます。
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この村民広場は震災当時、津波に沈みました。その場所に、今では子どもたちが元気に走り回って遊ぶ声が響いています。村民皆さんの健康と復興への歩みが一歩づつ進んでいきますように。

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野田村の小正月(1)

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岩手県で被災した沿岸市町村のひとつ、野田村に来ています。
1月15日の小正月の本日、
昨年と同じ場所で住民が集まって小正月の行事を迎えました。
朝から村民広場でどんど焼きと餅つきが始まります。小田村長(写真左)は「この野田村を以前よりもすばらしい村にするために、村民一丸となって乗り越えていかなければならない」と述べ、どんと焼きに火を入れると、冷たい強風にあおられて勢いよく赤い炎がたちました。
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風が冷たく寒いですが雪はなくいいお天気です。皆が火の周りに集まり、かじかむ両手を出して暖をとります。鎮魂、そして復興の年の始まり。今年の炎には村民の特別な祈りが込められています。

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野田村の村長といろりを囲んで・・・

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昨年8月に行われた野田村の復興イベントに参加して以来の野田村訪問。そのときのイベント運営を担当していたハカセたちや懐かしい顔ぶれに再会しました。
何百年も経つ小民家のいろりの前。村長も交えて野田村の復興の話や自然エネルギーの話、菜の花計画、北極点の徒歩縦断(北極冒険家の荻田泰永さんも同席)の話、南極の話などなど、話の内容はあちらこちらに飛びまくり、あっという間に夜が更けました。
明日は小正月。今年も例年のように村行事が行われます。

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遠野のNPOを訪問

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遠く島根県の松江からいらっしゃった「松江 島根支援協議会」の桑谷さん。松江から何らかの顔の見える支援ができないかとのことで、今日は情報収集にいらっしゃいました。
僕らも今までの活動内容や現在の状況をお話しながら情報交換。そして他団体さんのところへご案内し一緒にお話を伺いました。
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1/12 エフエム岩手「わん(こ)らじお」生放送

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今日は エフエム岩手 76.1Mhz 「わん(こ)らじお」に生出演させて頂きました!
この「わん(こ)らじお」は毎週木曜19時〜19:30まで。
震災後に立ち上がったもので、一個(わんこ)一個の椀を重ねるわんこそばのように、一人一人のちからを重ねて岩手を元気にしていきたい、そんな想いが結集された番組です。
メンバーは「チームいわてびと」。数々の「財産である人」の育成に取り組んできたプロたちがパーソナリティとして、いわてで輝いている人、支援を続けている人をゲストにトークを重ねているそうです。そこでゲストとしてお呼び頂いたというわけでした。
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「こんばんわん」 (みんなでせ〜の)「わんばんこ」  のかけ声で生トークが始まりました!
マイクの前には色彩セラピー・川村先生、地域人財づくりリーダー・みちこさん、謎のピンチヒッター・サユポンそしてディレクターの刈屋さん。すてきな女子に囲まれて、わいわい明るいフランクトークに緊張も和らぎました!
なぜ岩手で支援が始まったのか?これから何をしていくのか? など、ラジオ放送を通じて普段は会うことのない岩手の方々へもこうして聞いて頂けたこと。本当に貴重な機会でした。
「一人一人のコツコツと続けられてきた見えない支援活動は、今やピックアップされなくなってきたけど、伝えていかないと。本当に」と、声と目に力を込めるチームいわてびとの皆さん。こうして友人の会話のように楽しく聞けるトークの裏側で、胸にはとても熱い想いを皆さん秘めていらっしゃいます。
今日は本当にありがとうございました。もっともっと皆さんとトークしたかったです。現場のこと、お伝えしたいことがたくさんあります。今日はご不在だった下山さんとふじぽんにもぜひお会いしたいです。またぜひ呼んでください!
そうそう「エフエム岩手」は岩手県外の方もインターネットラジオで聞けますよ
http://fukkou.radiko.jp/ 
震災直後、ライフラインが途絶えた人々、そして支援で現場を駆け回る僕らにとって、オンタイムでの情報源はまさにラジオしかありませんでした。ラジオから流れる情報をもとに避難所を訪れたり、生の声を聞いて現状を把握したり。
避難者たちは「もしかしたら違う避難所に家族がいるかもしれない」と避難所ごとに一人づつ読み上げられていく避難者リストに注意深く耳を傾けていました。
死者が数百人なのか、数千人なのか。とにかく被害の大きさも誰も把握できなかった頃。車中での移動中、ラジオの声が生存者の名前が延々と読み上げられていく。余震がくれば津波警報が即座に流れ「海岸から直ちに離れてください」と何度も何度も伝えていました。そんな生の声を聞いていると想像もつかないほどの被害の重大さがじんじんと静かに伝わってくるのでした。
ラジオが届けてくれたのは、あちこちの生の情報だけではありません。辛い状況下でも自分だけじゃないと思って生きる勇気を、元気を、想像力を、どれだけもらえたことでしょうか。ラジオという見えない波動を通じて人々が集まり、無意識の中でひとつになっていたに違いありません。
声で元気と勇気と心を届ける皆さん、これからも頑張ってください!

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1/9 ソーラーパネル調整 @ 山形

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昨年末に取り付けたソーラーパネル。少し浮きはじめた箇所をさらにしっかり固定するために、自然エネルギーひと筋20年!のソーラーワールド・武内さんを再びお尋ね。おかげさまでしっかりと固定されました。雨も雪も、これで安心して走行できます。
出発前に賞味期限切れのきれいな捨油1リッターを頂きました。BDFにはいちばんいい廃油です。支援のための燃料にさせて頂きますね。
いつもありがとうございます! では、いってきま〜す。

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1月5日、宝来館がついに再スタート!

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 震災から約10か月で復興オープンした根浜海岸のお宿「宝来館」が改築を経て、1/5に
再スタートをきった。海のすぐ目の前にあり、1〜2階部分は壊滅状態だったが、鉄筋
の外枠と3〜4階が残った。震災直後は避難所となり孤立した集落の人々を支えた場所
だ。辺りの集落は壊滅し、今は唯一ここだけに灯りがともる。
「うれしい反面ブランクがありすぎて不安もあるけれどがんばります。ここにはあかりが必要なんだって実感しました」とおかみさん。お料理は復旧を進める釜石港であがった旬な海の幸と、地元の野菜を活かした地物のこだわりレシピ。「この宿をふるさとのように思ってほしい、ぜひ遊びにいらしてくださいね」それがおかみさんと従業員みんなの心からの願いだ。
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左上の写真は、4月2日の写真。避難所として役割を果たした宝来館には誰もいませんでした。玄関には名簿が貼られ、それぞれの移動先や近況が記されていました。右上の写真は今年1月に再開した宝来館の写真。
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上の写真は3月22日に宝来館を訪れた時の写真です。根浜の方達は鉄筋で作られ唯一津波で残った建物『宝来館」に避難され、互いに協力しあって生活をされていました。
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上の写真は、昨年の11月13日に行われた改修工事の様子。
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1/5【宝来館オープン】海辺の宿「宝来館」明日復興オープン! 詳細→ 要電話予約/TEL 0193-28-2526/釜石市鵜住居町20-93-18/1部屋2名2食付で一人10500円(3名1室だと8500円)/風呂・トイレあり/エレベーター未復旧のため階段を上がれる方のみ。釣人やトライアスリートをはじめ多くの方に愛されている宿です。 大きな被害を乗り越え改装を経て、温かくすばらしい店構えで新たな出発を迎えます。ぜひ宿泊を!
※おかみさんの声「目標は2016年のいわて国際でトライアスロン大会をやりたい。世界中の人が訪ねるふるさと作りがしたい。被災した根浜に誰かが “いつの日かこの地でまたトライアスロンをやろう”と書いてくれたんです。海は怖くない!みんな応援してください!遊びにきてね」

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「津波の記憶石」in NEBAMA Shore

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岩手県釜石市根浜海岸、宿「宝来館」の目の前に建てられた「津波の記憶石」。全優石が寄贈し昨年12月9日に除幕式が行われたもので、津波の記憶を刻み、恐ろしさを後世に伝え、二度とこのような被害が起きないよう願いが込められている。
御影石でできた高さ2m70cmの石碑には、正面に大震災の日付や教訓、QRコードも刻まれ、携帯で読み込めば津波の教訓や発生時の動画を見ることができる。
【石碑に刻まれた教訓の言葉】
「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波が来たこと、そして、裏山へ逃げ多くの人が助かったことを、後世に伝えてほしい」
【The Words of Memorial Stone of the Tsunami buit at the Nebama Shore on Dec.9,2011】
Just run! Run uphill ! Don’t worry about the others. Save yourself first. And tell the future generations that a Tsunami once reached this point. And that those who survived were those who ran. Uphill. So run! Run uphill !
「てんでんこ」という記憶碑にも刻まれたこの言葉は、三陸海岸地域に伝わる防災伝承の言葉で「めいめいに」ということ。津波が来たら取る物もとりあえず肉親にすら構わず、とにかくばらばらに一人で高台へ逃げろ」という意味だ。
肉親にすら構わず、というと、そんなことはできないだろうと思ってしまうが、三陸が今まで経験した大津波で家族などを案じて家へと戻った人々の多くが犠牲となっている。今回の津波でもそうだ。誰もが自分の家族や友人、仲間たちを助けたいと当然ながら思う。しかし、それぞれが生きてさえすれば必ずまた再会できる。だからこそ一人一人が確実に生き延びるために全力を尽くさなければならない。「一刻も早くてんでんこで上へ走らなければならない」のだ。この言葉の陰にかくれた津波がもたらす想像を絶するほどの破壊力と恐怖を忘れてはならない。
かつて明治29年、昭和8年の大津波を経験し、ここ三陸海岸各地には津波記憶碑が約200基建っているという。しかし津波の痛みは世代ごとに風化し、人々は石碑よりも海側へと家を建てるようになった。
今の時代、写真も動画も誰でも簡単に写して加工できるし、インターネットを通じて簡単に情報が拡散できる時代となった。特に情報伝達に関する環境はそれらの時代からは大きく変わった。
しかし、未来の子孫たちが同じような被害に遭わないためにも、数百年後、そして千年後にも、子から孫へ世代を越えて確実に伝えていくためには、どうしなければならないのか。
CDやハードディスクの写真や動画データはきちんと管理をしなければ百年ですら残るものではないし、見て伝えられる機会がなければ有効には活用できない。石碑もそこにあることを忘れられては伝わらないだろう。
この経験と教訓を、継承文化や伝統の一部としてしっかりと編み込みながら、私たちにできることとは。それぞれが考えていかなければならない。

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