ブライアンと再会

3月27日(木)晴れ ラスベガス(NM)→サンタフェ

朝7時半ブライアンに電話をして、もう一度昨日のお詫びをし(本当は昨日の午後ラスベガス入りして、町からちょっと離れた彼のバイオディーゼル精製システムを見せていただくことになっていた)8時45分に待ち合わせた。

オプティックという新聞社に案内してくれ、ブライアンからバイオディーゼルを買って使っているというリーからインタビューを受けた。ブライアンとも詳しい話をすることができ、メタノールを完全に蒸発させたあと松葉とグリセリンを混ぜて肥料にしていることを聞いた。「これが鹿や牛がこのコンポストを好きでね。混ぜて放置すると、時々なくなっていることがあるんだ。甘いんだろうな・・・。」


10時、サンタフェへ向かう。11時半から、知り合いがインターンをしている催眠療法のインストラクター養成学校で、廃油回収のため小さなイベントを計画していた。時間がぎりぎりだったのだが、昨日燃費走行しなかったので案の定燃料タンクが空になった。レストエリアで車を止め、給油する。と、どこからともなくトラックが現れて、気のよい老人が「おお、バイオディーゼルか?」と話しかけてきた。Truth or Consequencesという町に、バイオディーゼルを作っている人がいると教えてくれた。自分も、バイディーゼルに興味があるからと、いろいろ質問された。「へぇ、ディーゼルエンジンなら改造は必要ないのか!いいことを聞いたな。」と喜んで去っていった。

11時40分ヒプノの学校に着いた。セットアップしていると、学校に口をきいてくれた友人のモトイさんが出てきた。「今日は19人ぐらいの生徒さんがいるの。もう少ししたら休み時間になるから。」電源をもらって精製を続ける。とサンタフェJINという日本文化交流会のメンバーが、何人か油を持って立ち寄ってくれた。JINは3月1日に春祭りを催行した。本当はその祭りに飛び込み参加を期待していたのだが、予定が押してしまったので叶わなかった。でも廃油を貯めておいてくれた会長さんの小林夫妻やケイコさんが、わざわざ出かけてくれたのだ。ありがたい。



学校の生徒やインストラクターも外に出てきた。中にはものすごく興味を示してくれるひとがいて突っ込んだ質問が出たり、ワシントン在住の生徒さんに「DCにはいつ来るのかしら。大きなイベントをしましょう。うちに泊まってくれていいのよ。絶対に!!」とうれしい招待を受けた。

学校のすぐ近くのファーズというカフェテリアが、廃油をくれるというので、ちょっと寄り道してから、午後4時、精製をはじめた。サンタフェには数日滞在して、じっくり燃料つくりとブログの更新に専念するつもりだ。

廃油回収量 107L
走行距離 66km
お世話になった人たち:ブライアン、リー、モトイさん、小林夫妻、ケイコさん、ジョン、デイビッド、バーナード(ファーズ)

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バスコファイブ改造計画

3月26日(木)晴れ デンバー→ラスベガス(NM)

今日はひとついつもとちょっと違う課題があった。そのためにニューメキシコへ戻るのを、一日延期したので何とか目的を達成したいと考えていた。だから、起床してすぐゴールデンを目指し、ハルミさんに別れを告げた。

ぼくらバイオディーゼルアドベンチャーは、今まで廃油を集めてバイオディーゼルを作りながら旅を続けてきた。過去2ヶ月近くで明らかになったのは、廃油をフィルターにかける作業が意外と時間のかかるということだ。滞在している場所に予定より長く滞在しなくては、せっかくいただいた廃食油をすべて持っていかれないことが多かった。もっとあるよ、と言われてもこれ以上は積めないからと諦めることもあった。つまり、一時的に廃油を入れて運ぶ場所が欲しい。

今までにも人に相談して、車の後ろにキャリアをつけることなど検討した。でも、もしもそのキャリアーの取り外しがワンタッチでできない場合、僕らの精製作業は結局遅れてしまう。フォートコリンズで偶然であったある青年がランドクルーザーのオーナーで、よい店がゴールデンにあると教えてくれた。昨日電話をしたところ、「何か良い方法がないか一緒に考えましょう。とにかく朝、来れませんか?」と言われたのだった。

スリー・オフロード・アウトフィッターは、ゴールデンというデンバーから西へ25kmほどのところにあるちいさな町だ。こんなところに、ランドクルーザーのアクセサリー専門の店があるのは、ちょっと意外だった。オーナーのクリストさんをはじめ、働いている人たちは「今日はちょうど仕事が一段落したところで、時間があってよかったよ。」と言いながら、親身になって僕らのニーズに合わせて相談にのってくれ、あれこれ知恵を絞り試してくれた。

結果、屋根についているボックスの取り付け方と位置を変え、その横にジェリー缶をいくつか付けることになった。キャリアーに少し余分なスペースができるようにし、そこには収納用の箱も載せることにした。これで車内の居住性も少しは改善されるだろう。正直、助手席の足元には20L入りの廃油入りポリタンクが2つ、後部座席の足元や横には私物があふれており、誰も文句を言わないけれど、あまり快適とはいえない状態で旅続けてきた。



簡単とはいかなかったが、午後4時屋根の荷台その他の取り付けが完了した。

その直前に、スリーのセールスマネージャーベンが、遅いランチに連れていってくれたのだが、その際近くにバイオディーゼルの研究をしている人がいるのだと話してくれた。飛び込みで訪ねると、受付の若い女の人が「知ってるわ。インターネットであなたたちの冒険について、つい最近読んだばかりよ。」と喜んで奥へ通してくれた。

おくの研究室には、巨大なディーゼルエンジンがすわっており、いくつかの研究のひとつはバイオディーゼルを作ったときに出るグリセリンを、精製工場で再利用する方法の開発だということだった。化学の知識が乏しい僕らにはとても難しいはなしだったけれど、どうもグリセリンからメタノールを完全に抜いたあと、水素ガスを作ることができそれを工場の燃料として使えないかと実験しているらしい。ここの研究所の顧問をしているのは、アメリカで初めてバイオディーゼルを作ったトム・リード博士だと言われた。

スリーに帰って仕事の終了を祝って記念撮影をしていると、老夫婦がバイオディーゼルのステッカーのついた車に乗って現れた。わけがわからず困惑していると、サッチンが「このひとがトム・リード博士みたいよ。」という。今夜はラスベガスまでどうしても帰らねばならず、6時間の旅が待っているのだが、ちょこっと彼の話を聞くことにした。彼は、1990年はじめコロラド鉱業学校(Colorado School of Mining)でバイオディーゼルを作った。それを自分の車に入れて走ったところなかなかいい感触だったので。それ以来バイオディーゼルを推進してきているのだそうだ。現在は、木炭ガスの研究に力を入れているとのことだった。


とにかく遅くなってしまった。ニューメキシコ州のラスベガスでは、明日の朝バイオディーゼルユーザーの記者から新聞の取材を受け、先日廃油の危機を救ってくれたブライアンと会う約束だ。プラザという古いホテルが、破格の値段で泊まれるよう招待してくれたので、フロントデスクに深夜到着の予定を知らせ、先を急いだ。550km。燃料切れの心配がないので、他の2人に相談し燃費の心配をせず、少し飛ばし気味で走行することにした。

廃油回収0L
走行距離 572km
お世話になった人たち:ハルミさん、クリスト、ベン、トム、トロイ(ホテルマネージャー)

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コロラド州立大学広場で学生達と交流

3月25日(水)晴れ(風強し)フォートコリンズ→デンバー

朝食を食べて、荷物をまとめて積み込んでいると、ハルミさんがベーグルを包んで持たせてくれた。ハルミさんとガスのおかげで昨日はゆっくりと休むことができた。本当にありがたい。感謝!

この旅でいくつかいろいろなところで交流会を経験した僕らは、バスコファイブを構内に駐車することがどれだけ難しいことなのか知っていた。それは、アメリカのセキュリティ問題や消防関係の問題に寄るものだ。ところが、主催者のニコラスとずっとお手伝いいただいていた方々の知恵と尽力で、大学の由緒ある「農耕学クラブ」の協賛を得ることができ、プラザでのイベント開催が実現した。それでも色々規制があるらしく、ニコラスは僕たちには何一つ言わず、朝から構内を駆け回って僕らの許可証を手に入れてくれた。本当にありがたい。

春休み明けの学内は、昨日とは打って変わって学生であふれていた。ニコラスに忠告されていたにもかかわらず、車をどうやって乗り入れたものか躊躇するほどだった。下見をしてどの向きで停めるか決めておいてよかった。精製機をセットアップしていると、すでに学生たちが寄ってきて話しかけてきた。でも、何かが変だ。ん?待てよ・・・。よく考えると、彼らは日本語で話しかけていたのだ。後から彼らに日本語を教えていらっしゃるマコ先生、本人が顔を見せた。「やっと来たわね。待っていましたよ。」とやさしい笑顔だ。イベントが盛り上がるよう、たくさん声をかけてくれたに違いない。


授業の間は人の通りが少ないかもしれないと言われていたが、僕の印象ではいつが授業中でいつが休み時間かわからぬほど、常に人が集まってきた。「マコさんも私もメディアに連絡しておいたから、誰か来るかもよ。」とハルミさんに言われたのだが、しばらくすると遠巻きながら、大きなビデオカメラをセットしている男性がいた。バイオディーゼルを使っているという人、接近してきたときはちょっと緊張した警察官たち、太鼓に合わせて中国の獅子舞いをしてくれた学生のグループ(これもニコラスたちの粋な計らいだ)、たまたま通りかかったというデンマーク人、更にもっとたくさんの日本語クラスの生徒たち・・・。とにかくいろんな人が、足を止めて話しかけてくれた。そのうち他のテレビや新聞の記者たちが現れて、僕たち3人はてんやわんやを楽しんだ。せっかくならお祭り騒ぎがいい。学生たちの写真を撮っている何でも屋ダン(本人いわく「エネルギーオタク」)も、楽しいキャラクターで盛り上げてくれ、また手が足りないときは僕らの撮影を手伝ってくれた。

廃油の回収は期待していなかったのだが、ニモすしさんがご夫婦そろって届けてくださった。感謝だ。

僕らのプロジェクトは、いくつかの要素から成り立つのだが、そのひとつに「これからの地球の未来への夢、どんな地球になってほしいか」をしわにならなくて破水効果のかけてある特殊な紙に書いて(もしくは描いて)もらうというのがある。世界中の人たちに参加してもらい、日本に帰ってから紙を縫い合わせて大きな輪を作りたい。富士山のふもとを一周するくらい集まったらいい。みんなの願いやポジティブな想いをつなげ、大きな希望を作りたい。そんな願いから思いついたミニプロジェクトなのだが、3人きりではいつも説明と記録で手一杯になってしまい、なかなかお願いする機会が持てず困っていた。夕べその話をしたところ、ガスが折りたたみテーブルを貸してくれ、お絵かきコーナーを設置できた。更にマコ先生がもうひとつテーブルを持ち出してきてくれ、学生たちに呼びかけてくれたので、たくさんの人に夢を分けてもらうことができた。


ふと気づくと、イベントの終了時間2時を回っていた。なんだ、もうお別れの時間か・・・。

腰の重い僕らに「さぁさぁ!あなたたちにはやることがあるのだから、用意してもう行ってくださいね。」みんなの励ましと愛のムチ!?に押されて、僕らは片づけをしてさよならを言った。ニコラスのさわやかな笑顔が、更にまぶしい。

その足で先日燃料を分けてくれた、デンバーのローレンスの家を訪ねた。彼はわざわざデンバーからボールダーまで、僕らを助けにやってきてくれた奇特な人だ。彼のバイオディーゼル燃料精製システムを、ぜひ見せて欲しかった。彼の家の近くには、ロッキーマウンテンレイクという小さな湖があって公園になっている。約束の時間より少しだけ早く着いたので、僕ら3人は地面に腰をおろし、しばしコロラドの余韻に浸った。

ローレンスのシステムは、やはりアップルシード、つまりボイラーを使うタイプだ。でも彼のポリシーは、「安くてシンプル」。自作のパイプシステムは、とても合理的でなお入手しやすい材料で作られている。彼の説明はわかりやすくて、参考になった。ここへもう一組のサポーターで、行きに会いそびれてしまったラフとマイカも来てくれた。彼らは、NPOで働いていて、これからBDFの精製所を作ろうとしているそうで、僕たちのプラントとローレンスのプラントを同時に見学できて、喜んでいた。彼らも同志だ。




夜はハルミさんのお宅にお世話になった。最後の最後まで、お世話になりっぱなしだ。遅く着いた僕らに、「うちはね、割と人が遊びにくるから平気なの。」と言いながら、鍋焼きうどんまで作ってくれた。

廃油回収 6L
BDF 114L 
走行距離 103km
お世話になった人たち:ハルミさん、ガス、ニコラス、マコ先生、ダン、仁茂田夫妻、ローレンス、デボラ、ラフ、マイカ

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エンジン&エネルギー研究所

3月24日(月)晴れ ボールダー→フォートコリンズ

崩れそうだときいていた天気は、終始僕らの味方をしてくれて、一晩雪化粧程度に降っただけで今日はまた快晴になった。明日はフォートコリンズでコロラド州立大学の学生たちとの交流があるので、今日中にフォートコリンズに入ることにした。

その途中、かねてからコンタクトのあった廃油の回収会社ロッキーマウンテン・サステイナブル・エンタープライズを訪ねる。この会社は設立されて3年、従業員28名の小さな会社だ。ビールダーのオフィスから駆けつけてくれたマーティンをはじめ、工場のスタッフみんなで歓待してくれた。バイオディーゼルを作りたくて作ったものの、廃油の回収がうまくいかず、方針をかえ、とり合えず廃油回収に焦点を切り替えてベース固めをしているのだそうだ。(以前コロラドには、バイオディーゼルの精製会社が彼らを含めて3軒あったのだが、さまざまな事情ですべて閉鎖されてしまっているとのことだ。)

各レストランにあずけている回収用のドラム缶を毎週洗浄するという徹底ぶり、現在のところ一ヶ月に7万ガロンの廃油を処理していると聞いて、彼らの意気込みが感じられる。きっと廃油を誰か他の人に売るのではなく、自分たちでリサイクルしてバイオディーゼルを作り始める日も近いのだろうと思った。実際の話、もう工場の建設予定地は決定済みだそうだ。費用を捻出している最中だということだった。いつの日か、彼らの手でバイオディーゼル燃料を作って販売する日がくることだろう。


ハルミさんらの先導で、フォートコリンズへ向かいI-25を約50km北へ走った。午後3時、コロラド州立大学に到着。今日は大学にあるエンジン&エネルギー研究所を訪問しつつ、明日のイベントをホストしてくれるフランス人大学院生ニコラスと会う約束になっていた。1990年に設立されたこの研究所は、さまざまなエンジンと燃料(エネルギー)の開発実験(特に二酸化炭素の排出量を減らすための装置改良)を主にてがけているそうで、中では大学院生たちが研究と実験にいそしんでいた。案内してくれたシンディをはじめ手のすいている人たちが、僕たちにもわかるように内容を噛み砕いて研究内容を説明してくれた。

はじめに話を聞いたのは、金属のパイプ(実際はガスのない地域で使われている料理用簡易コンロと薪ストーブの改良が目的)の温度によって、木を燃やして出る二酸化酸素などの性質が変わるかどうかの実験についてだった。「今日の結論は、外壁の温度が低いほうが有害ガスの発生が少ないということだよ。」ということだった。

シンディの研究は、原料油によってどうバイオディーゼルの性質、特に排気ガスの性質が異なるかということらしい。現在は研究費用を工面するべく、さまざまな企業や研究機関をあたってサポートを探しているとのことだった。この二児の母は、「うちの主人はとても協力的なんだけど、彼の両親は本音をいうとエンジニアの嫁は欲しくなかったらしいわ。でも子供が生まれたら、とても協力的になったの。」と微笑みにながら、難しい化学方程式や機械の話をゆっくり丁寧に説明してくれた。

彼女と僕らのホスト、ニコラスは一部共同で研究をしている。彼は、キャノーラに似ているカモリナという植物を中心に、コロラドの地にあったバイオディーゼルの原料を探求している。同じ植物の違う種類を8苗ずつ違う環境で育て、適応性に優れていたものを掛け合わせていくのだそうだ。植物の成長を何世代も見守るという気の遠くなるような毎日の積み重ね作業と、そうやって一つ一つ課題をこなして地球環境を良くしようといういう大きな構想。この二つの要素がバランスよくあいまってはじめて、未来の扉が開かれるのだろう。彼の努力をみていると僕らが地道に油を集めて前へ進むことがそんなに難しいことではないように思えてきた。


夜は、ガスとハルミさんの計らいで、明日のイベントの前祝いと称して、昼間研究所を訪ねたメンバーでのホームパティとなった。お二人の手料理でカラフルな前菜の数々とカレーライスをいただいた。ニコラスはパンの塊を取り上げると、「フランスではね、パンを切るのは男の人の役目なんだよ。小さいころから、ナイフを預けられて練習するんだ。」と上手に切り分けてくれた。もちろんうまいチーズも食卓に並んでいる。

彼らとは何ヶ月も前からスケジュールの変更や調整に悩み、一緒に苦労してきたので、彼らと一緒にこんな楽しいひと時を持つことができたことに、心から感謝した。

廃油回収量 0L
走行距離 89km
お世話になった人たち:ハルミさん、ガス、マーティン、マーク、ジェイソン、デュワイン、ジャン-ニコラス、シンディ、ダン、ゲイル

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雪景色の朝

3月23日(日)晴れ ボールダー

美しい雪景色の中、日の出とともに起床。今日も燃料精製の一日だ。寒さでイオン交換樹脂が作動できるように表面をアルミホイルで巻き、熱線で暖めながらケアしなければならない。また、廃食油が固まらないように鍋で油をヒーティングしてプラントのタンクに注ぎ込まないと油がフィルターを通さないのだ。

マキさんが玄米粥の健康的で栄養満点の朝ごはんを作ってくれた。彼はボールダーに来て、自分の店を出そうと思いレストランで料理を覚えたのだそうだ。話ながら次々に料理ができあがっていく。料亭でご馳走になっている気分だ。

いただきま〜す!と言っておいしい朝ご飯をみんなでいただいた。

やはりコロラドは寒い。廃油のタンクへの入りが悪く時間を取られてしまう。みんなで話し合った結果、一人が長時間やるのではなく、1時間交代で担当することになった。そうすれば、ひとり2時間は他の作業に集中できる。成せばなるだ!

夕方にはボルダーに出て食料品店で買い物をした。今夜は僕らが(というよりはんプロシェフのサッチンがだけど)料理をして、夕飯をご馳走することになっていた。夕飯のメニューは、グリンピースときのこのフェットチーネ、プチトマト&枝豆とフェタチーズのサラダ、トマトスープ。ずっと旅をしていて料理のできない彼女は、短い準備時間でがんばっちゃったようだ(笑)


廃油回収 0L
走行距離 31km
お世話になった人たち: マキさん、ニシヤマさん

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ボルダーのラジオステーション

3月22日(土)晴れのち雪 ボールダー

今朝は、久しぶりにゆっくり睡眠をとることができた!

昨日、廃食油をたくさんいただいたので、とにかくタンクに入れる作業を進める。お世話になっているマキさんが、夕べ友達のKGNU局ラジオキャスター、ユカリさんに連絡を取ってくれ、休日だというのに録音してくれるというので、ボールダーの町に10時ごろ出かけた。

彼女のラジオステーションは、いわゆる「インディペンデント」というやつで、大企業の商業主義や政府の影響を受けない放送を、ボランティア形式で運営している。お金の方はかつかつだが、好きな音楽をかけ好きなことを言える、本来の言論の自由を守ろうとみんなが一丸となって1980年代から続いているのだそうだ。彼女の情熱に圧倒されながらひととおりの説明を聞き、僕らのインタビューの録音に入った・・・のはよかったが、(当たり前ながら)彼女は突如として英語で話し始め、僕とタツヤはギョッとしながらどうにかこうにか質問に答えた。もちろんサッチンが言葉のほうはいつもカバーしてくれているけれど、自分のメッセージは自分の声で伝えなくてはと実感。

今夜は、デンバー総領事館の方たちとの夕食会で、夕べと同じナオさんの経営するもうひとつの店AMUへ。6時半の待ち合わせだった。AMUはZANMANIの隣にあり、こちらは居酒屋で、静かに食事ができる。隣のエネルギッシュな雰囲気とはまた違いとても和やかな会となった。総領事も気さくな方で、話がはずんだ。今日もまたふけてゆく。充実した一日だ。



廃油回収 0L
走行距離 32km
お世話になった方たち:マキさん、ユカリさん、ナオさん、山上さんご夫妻、久保総領事ご夫妻、ハルミさん

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コロラド大学で交流会

3月21日(金)晴れ デンバー→ボールダー

お世話になった長谷川さん宅を出て、9時前にボールダーへ向かった。彼女には朝ごはんのみならず、お昼のおにぎりまで作っていただき感謝感激だ。ボールダーまでは36号線を使って約50km。10時前に到着した。ジョー&カイルとの約束は11時だから、少し時間がある。イベント前だし、洗車することにした。

油に砂が付着した汚れは、かなり手ごわい。洗車場でノズルから出てくる洗剤とプレッシャーのかかった水だけでは、何も落とせない。油がたれて固まってしまったところは、手袋をはめた手で直接こするのが効果的なようだった。タツヤがこしこしやると、やっと汚れの筋がなくなった。

会場であるCU(Colorado University)では、ジョーとカイルが待機してくれていた。特別な許可を取り、構内の一角に車をセットアップした。大学は春休みの時期で翌日の22日からブレイクに入る。しかもこの週末は、イースターサンデーの週末。多くの学生が早めに帰郷したりして、関係者の方々は足を止めてくれる人がすくないのではないか、と懸念していた。準備をしていると、今までメールだけでやり取りしていた面々が顔を出し始めた。名前を聞くと「あ、あなたが!」という感じで、なんだか初めて会ったという気がしない。みんなとても熱心だし、油の集まり具合をきにしてくれたり、僕らの疲れを気にしてくれたりと、ありがたい限りだ。

今日は日本クラブの学生たちや日本補習学校関係者、そして領事館関係者と日本語オーケーの人が多かったので、いつもと形式を少し変えて、日本語ですべて説明してから、サッチンが英語でプラントの解説などをまとめてした。途中立ち止まって話を聞いたり、質問してくれる人もいた。踏み込んだ質問が出てうれしい。校舎に入って、プロジェクターを使って写真のスライドショウをしたのだが、機械的な不都合があったのに、だれも気にする様子はなく時々笑いも交えて、僕らのこれまでの旅の様子を知っていただくことができた。来る前に一番心配だったのは天候なのだけれど、イベントが終わるころに風が強くなって来たくらいで、何も心配いらなかったので、とても助かった。


イベントの後、大学にバイオディーゼルクラブがあると聞いて、そこの現在の主催者ジョシュに会った。今まで彼らの活動は、廃油を学校のカフェテリアから回収し、業者に引き取ってもらって、バイオディーゼルの製造業者から燃料を買い、構内を走るバスをバイオディーゼルで走らせるというものだ。実際僕らも到着した際、バスに “Powered by Biodiesel.” の文字がバスについているのを見ていた。業者を二回も通して面倒だし高くつくので、現在少しずつではあるが、トレイラーを改造してバイオディーゼルのプラントを作っている最中だと言う。

どうやって費用を工面しているのかという問いに、とてもおもしろい回答がかえってきた。キャンパス内にバイオディーゼルのバスを走らせるための燃料をつくるプラントを建てたい、賛同者はいくらぐらいなら出してもよいと思うか。そんなアンケートをした後、例えば「ひとり50セントのカンパ頼む!」という広報をする。コロラド大学には、約30000人の学生が在籍しているので、その3分の1が賛同して50セントずつカンパすると、5000ドルを回収することができる。そうやって彼らは、このプラントを作っているのだそうだ。完成までにはまだ時間がかかりそうだったが、ジョシュは目を輝かせて僕の話を聞いてくれた。そう、ぼくだって多くの人に不可能だと言われつつ、自分で費用を工面してこのプラントを作った。心から彼らのプランの成功を祈った。

この夜は、廃油を提供してくれたSushi Zanmaiで夕食をいただいた。オーナーのナオさんと元オーナーのマキさんはヒッピー時代からの古い友人だそうで、イベントにも顔を出してくれた。「うちはすごいよ!」というナオさんの言葉の意味が、昼間のイベント会場で印象に残ったが、「どういうイミ?」とちょっとけんとうがつかなかった。かわりネタが多いのか? すしがでかいのか・・・?

ボールダーのダウンタウンにある「すしザンマイ」は、それほど大きなフロアではない一見フツウのすしバーだった。内装は結構凝っている。でも、ドアを開けた瞬間から異常なほどの熱気があふれていた。席についてすしの注文表を記入し、ナオさんが選んでくれた料理をつついていると、急に電灯がくらくなりカウンターにスポットライトが当たる。と、ついさっきまですしを握っていた青年たちが、ギターやマイクを片手に「イェーイ!みんなぁ、盛り上がっているかい?」と叫ぶ。瞬く間にレストランは、ライブハウスと化しロック演奏が始まった。これがなかなかどうして、素人の僕でも違いがわかるほど上手い。よく聞いてみると、彼らはプロのミュージシャンなのだそうだ。「うちはね、すしシェフの面接のはじめの質問が、すし暦何年? じゃなくて、何か楽器できる? なんだ。」とオーナーが笑いながら言う。短時間の間に、すっかり店全体を巻き込んでロックミュージシャンをやったシェフたちは、数十分後には何食わぬ顔して日本人好みのきちんとしたすしを握っていた。

とんでもなく楽しい人たちと出会ったものだ。(レストランに着く前に、実は燃料切れのランプが点灯していた僕らは、そのままいったらこの夜を楽しめなかったかもしれない。でも、バイオディーゼルを自宅で作っているローレンスが、デンバーから燃料のおすそ分けを持参してくれた。お陰で心置きなく、夕食を楽しむことができた。もちろん彼と奥さんのデボラも、この「すごい!」すし屋でのパーティに加わっていた。)

廃油回収量 38L
BDF   76L
走行距離 133km
お世話になった人たち:長谷川さん、ジョー、カイル、ステファン、アダム、ハルミさん、ヒロミさん、ジョシュ、山上さん、まみこさん、井沢さん、知子さん、ナオさん、マキさん、ローレンス、デボラ

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ついにデンバー到着

3月20日(木)晴れ サンタフェ→デンバー

朝、コロラドでの寒さを考えて燃料に流動点降下剤を添加することにした。準備を整え、午前9時にサンタフェを出発してコロラド州デンバーへ向かう。600kmを普通の車なら7時間あれば十分だ。でも僕らは燃費走行を心がけているので、およそ55マイルから60マイル(フリーウエイだとこのあたりでは75マイルが最高制限速度だ)くらいで走行するため、休憩もいれたら9時間ほどかかると覚悟していた。デンバーでは以前からメールでやりとりをしていたサポーターたちが待っていてくれる。

僕らのルートを見た方は、僕らのコロラド行きを「寄り道」「回り道」と思われるかもしれない。でも、僕らにとって北上してコロラドへ行くのは、必然のことだった。サッチンの知り合いのデンバー総領事館の方たち(山上領事、長谷川さん、真美子さん)とのご縁で、コロラドのいろいろな方達に話が伝わり、早くから積極的なサポートの話が集まっていた。このプロジェクトは廃食油を集め、精製をしながら走るためスケジュールが読めない。そんな僕らを辛抱強く待っていただき、本当にサポートしていただいて、今夜会えると思うと気がはやってしまう。

インターステーツハイウエイ25をひたすら北上していると、今までにないすばらしい燃費を記録することができた。リッター10km以上だ。しかも予定より早く到着できた。そこで、まずは総領事館へ挨拶に行く。忙しい中我々を待っていてくれた総領事が歓待してくれ、とても気持ちよい滑り出しとなった。


「DOMOレストラン」での夕食会は、本間さんとエミリーさんいう合気道の先生ご夫婦が経営する、手作りでユニークな日本食レストランだ。日本のことを知って欲しいからと、自分たちが日本へ帰るたびにすこしずつ持ち込んだ民具や家具がところ狭しと並ぶミュージアム、毎日活発に稽古が行われる道場、世界で合気道を通して人道的活動をするネットワーク(AHAN)の事務局、そしてユニークなインテリアと日本庭園で田舎料理を堪能できるレストラン。本間先生のユートピアとでも言おうか、彼の人柄と人生哲学が伺えるあたたかくてたのしい空間は、とても居心地がよかった。残念ながら、本間先生はAHANの活動で不在とのこと。でも、メニューを僕たちのためにわざわざ指示してくださり、もちろんたくさんの廃油をいただいた。

ここで翌日のCU(コロラド大学)イベントでお世話になる、コロラド大学の日本クラブ会長ジョーとカイル、彼らとともにこのイベントを計画してくれた日米協会ステファンらと顔負わせができた。日本語を話せる人が多かったので、僕らもほっとしてとても和やかな懇親会だった。ゴーヤーチャンプルーから、豆乳の鮭鍋まで、料理も抜群だった。


廃油回収量 76L
走行距離 680km
お世話になった人たち:山上さん、長谷川さん、池田さん夫妻、本間さん、エミリーさん、ステファン、ジョー、カイル

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サンタフェで燃料精製

3月19日(水)晴れ サンタフェ

とにかく燃料精製の一日。夜、ショーコカフェという日本食レストランに廃油をもらいに行くと、シェフたちが面倒がるしフライヤーを洗うので水が混ざるかもと言われた。でも、厨房のシェフのマサさんのはからいで、廃油をいただくことができた。感謝です。


廃油回収量 21L
走行距離 0

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キャニオンディシェイ

3月18日(火)晴れ ツェイリ→サンタフェ

荷作りして外に出ると、地面いっぱいに霜がおりていた。気温マイナス5度だ。標高が2000m以上と聞いているから、寒いだろうと覚悟はしていたが、まさかアリゾナでシアトルやポートランドより寒い朝を迎えるとは、とても意外だった。BDFは寒いと固まってしまい、エンジンがかかりにくいし無理を強いればエンジンをいためてしまう。もちろんそれなりにヒーティングシステムは搭載しているが、スタートさせる前にヒーターを巻きつけ、燃料をあたためた。いざ!

白い煙が少々出たが、かかりは悪くない。近くに住む知り合いのナバホの家族に寄って欲しいと言われていたので、その家を目指した。今まで他の車で運転していたときは、道のでこぼこやアスファルトのパッチなどあまり気にしたことがなかった。でも、バスコファイブには精密機械が積まれていて更に重量があるので、いかなるギャップも見逃せないで運転している。だから、ほんの数マイルの距離が長く感じられた。

住所や目印になる建物はないので、記憶をたどってどうにかその家にたどり着いた。待ちかねていた家族は、上着もきちんと着ないまま外へ出てきてくれた。おばあちゃんまで物珍しそうに車を見に来て、「ニジョーニエ(かっこいいね)」と言ってくれた。廃食油で燃料を作って走っているというと、目を丸くして両手を広げて肩をすかせてみせた。ユーモアのセンス抜群だ。しばし車談義に花を咲かせ、別れの時が来た。



タツヤはキャニオンディシェイが初めてで、僕もサッチンも大好きなのでぜひ行きたいと思っていた。でも、燃料の量と時間を考え、泣く泣く諦めた。こんなこともあるさ。またゆっくり来たいものだ。

12号線を南下しウィンドーロックに着いた。唯一のホテルにあるカフェテリアで食事をしようと車を停めると、一人のナバホの男性が僕らの車を食い入るように眺めながら近づいてきた。「バイオディーゼルで走っているのか?」(失礼ながら)意外な質問にあっけにとられていると、彼のほうから説明してくれた。彼はナバホ族の政府で働いていて、エネルギー関係の部署にいるとのことだった。最近新エネルギーのコンファレンスに参加し、そこでハワイでバイオディーゼルの原料になる植物を栽培・販売している人に会った。これから食事だと言うと、「じゃ、オフィスに行ってその資料を持ってきてやるよ。」と走って消えていった。

バイオディーゼルは、化石燃料から作った燃料にくらべて、はるかにクリーンだ。でもよく非難される点は、食料や飼料になるものを原料にするケールだ。僕らはあえて廃油にこだわって燃料を作っているがさらに食べ物ではない原料や育てるのに広大な土地を必要としない次世代の原料をリサーチしている。だから、ここでそんな情報が手にはいるなんて、「プレザント・サプライズ(うれしい驚き)」だった。

ルート66号線沿いに走るI-40に、ギャラップから乗る。ニューメキシコに入ったぞ。ここでひとつ心配事があった。もちろん「燃料」だ。今日はサンタフェまで走るが、あさって20日にはコロラド州のデンバーまで600km以上の走行予定だ。どうやっても燃料が足りない。しかも着いて早々サンタフェでどれだけ廃油を集められるのか・・・。

今までできたネットワークを使って、いろいろ声をかけたところ、フラッグスタッフのエドがサンタフェの近くでバイオディーゼルを作っている人を紹介してくれた。親切なブライアンは、自分の集めた廃油を少し分けてくれるという。何て親切な!とにかくサンタフェに着けばどうにかなる。そう思うと早くサンタフェに着きたくて気がはやるが、ここは燃費走行に徹底せねば!

廃油回収 106L
走行距離 519km
お世話になった人たち:ジェリー、オードリー、オーランド、リタ(ナバホの家族)、ブライアン(廃油)

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