国境越えの準備

朝9時からジャパノイドでBDFの精製を開始する。昨日タツヤが一人で頑張ってくれて、二回めの精製を終えている。BDFを精製するBio-DF40は、すべてマニュアル操作になっているので、精製回数を重ねて感覚をつかむまでは、そばをできるだけ離れたくない。今日は昼を挟んで4縲怩T時間、BDFをフィルターにかけるという作業をするつもりだ。


午後になって「バーナビー・ナウ」という地方紙の記者たちがやってきた。中国系らしいラウという名前の記者は、ノリと歯切れのよい人だった。自分がいつも取材する側だったということもあり、人前で話をしたり質問をされて答えるというのはどうも苦手だ。でも彼は抜群のタイミングで話題を投げかけてくれて、緊張感をさほど感じずに話すことができた。これから人前で話すことがきっと増えるだろう。練習、練習!!と自分に言い聞かせる。

午後はフィルターに気を配りつつ、ウェブサイトのトップページの作業をした。4時ごろサッチンにコピーセンターへ行ってもらい、いくつかの必要書類をコンピューターからプリントアウトしてもらう。国境越えの準備だ。アメリカの国境越えができるかがこの北米では最大の難関と考えていたからだ。

アメリカまたはカナダで登録された車がこのボーダーを行き来するのは非常に簡単なんだけれど、日本で登録された車が国境を越えるのは難しいと聞いている。日本で廃車にした車を輸出し、北米で登録し直すというやり方はあるが今回の場合カルネ(一時通関手帳)を使い、日本で登録された状態で地球一周を考えているので、やってみないとどうなるかわからない。特にアメリカはテロ事件以来、セキュリティーがこの上もなく厳しくなった。

だから、何一つ違法なことはしていないものの、車の後ろにへんてこな機械を積んで、荷物があふれそうな車に3人の外国人が乗っているなんてのは、不審人物とみなされ厳重に調べられることは間違いない。いろんなひとに相談しての応えは、だいたい「覚悟して」というものだった。何を覚悟するかというと、「足止めを食う」ことをだ。僕も以前アフリカの国々で、1週間の足止めは当たり前というのを経験しているので、内心かなり心配だった。だから、自分なりに念には念を入れて準備してきた。

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バンクーバー島

早朝4時50分起床。6時半のバンクーバー島へ行くフェリーに間に合うよう、家を出る。フェリーの出るホースシューベイまでは、約1時間だった。ひとり留守番してバイオディーゼルの精製を引き受けてくれたタツヤも、眠い目をこすりながら見送ってくれた。「ちゃんと帰ってきてくれよぉ。」

6時半発のフェリーは空いており、テーブルに電源が付いていたのでウェブサイトの英語版トップページの制作に時間を費やした。実はまだウェブサイトがきちんと動いていないので、忙しく廃油を回収している間も気になって仕方ない。英語のページをアップするにも、トップページがきちん整っている必要がある。少しでも時間があったら作業を進めたい。30分ほどして朝日が出てくるとデッキで少し撮影をする。

島の港付近は開発が進み、バンクーバー周辺のほかの町とそれほどかわらない印象だった。これから僕らは車で2時間弱、山の中へ入って行く。待ち合わせの公園があるナナイモのキャシードラルコーブに近づくと、鮮やかな緑色の苔と針葉樹の高木が目立ち始めた。道の脇には湖もある。カナダらしい自然だ。山深くなるにつれ、天気が怪しくなってきた。今日の天気予報は、雨時々曇りだ。

カナダ西部野生保護委員会バンクーバー島中部支部代表のアネットさんは、地元のテレビカメラマン、他の環境保護団体の活動家と一緒に公園入り口で待ちかまえていた。赤毛の彼女は、ストッツガルト生まれのドイツ系移民。現在はバンクーバー島在住。バンクーバー島の森林伐採は、よそう以上に深刻だった。原始林も比較的あたらしい森林も、材木会社などの私有地になっているため、何の許可もなく誰からも非難を受けず伐採してきたのだそうだ。アネットさんの団体は、カセドラルコーブの伐採を防ぐため、さまざまな機関(地元の政治家からユニセフまで)に働きかけて、土地交換という形でこの公園を少しずつ買い戻す運動を続けている。雨がひどくなってきた、残念ながら「クリアーカット」と呼ばれる、樹齢800 から1000年の木々の切り株でできた山へは、入ることができなかった。



湿地帯の保護団体をやっている赤毛のシェリと、パスタとガーリックブレッドの遅い昼飯を済ませ、午後3時Hupacasath First Nationと呼ばれるカナダの原住民の集会所を訪ねた。議長のジュディスさんは、日曜だというのに気持ちよく面会を引き受けてくれ、小さなエコカーに乗って腕と首に海大蛇のシンボルの付いたジュエリー、背中に大きな黒い刺繍の入った赤いマントという出で立ちで時間どおりに現れた。電話で話した時から、とても貫禄のある優しい人という印象だったが、お会いしてみると洞察力の鋭いとてもステキなひとだった。

いくつか話した中で僕の興味を引いたのは、この部族は2年前から部族が73%を所有するという水力発電所で作る電気のみを電力元として生活している。304年前BC最大の電力会社がガスによる発電を推進する方針を発表した時、それに加担する=温室効果ガスをふやすようなことはしたくない、という気持ちから自力で発電所を作る試みをした。費用の工面に1年、地元の水力発電に詳しい会社の協力を得て実際の建設に1年かかって作ったものなのだそうだ。232ヘクタールという小さな居住区に住む50世帯はもちろん、おおよそ6000世帯の電力使用量を、この発電所がまかなっている。

伝統的なイチイの木やヒマラヤスギの彫り物も印象的だったが、この訪問で何と言っても僕の心に響いたのは、彼女の最後の言葉だ。「この地球は、これから先きっと20030年はとても苦しい状況に陥ると思います。でも、私たちは小さな努力と大きな努力をバランスよく繰り返すことで、きっと何らかの結果を得てみんなが手をつないで微笑む時が来ると信じています。そのためには、廃品リサイクルをするとか自転車通勤するといった日常レベルでできることをし、政治や法律の改革、国同士の協力、グローバルな知識とテクノロジーの共有のような広い視野で解決法を探ることが重要なんじゃないかしら。」森の伐採が生態系を乱したり、地域住民の仕事を奪うという当たり前の理由に加え、彼女は深い森がなくなるとひとりになって伝統的な薬草をあつめたり、祈りのために森にこもることができないから困るのだと、とても興味深い話をしてくれた。テクノロジーと伝統を大切にする、とてもバランスのとれた女性だと思った。

帰りのフェリーでは疲れがでたのか、ぐっすり眠りこけてしまった。夢のなかチラチラまぶたの裏側によぎっていたあの赤は、ジュディスさんのマントだったのかもしれない。それは温かくて懐かしいブランケットのように、僕の疲れた目を癒してくれた。


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飛び込みで油集め

今日も曇り。少々早め(僕にとっては)の7時前に起床。夕飯がヘビーだったのであまり空腹感も感じず、朝食はスキップすることにして、ジャパノイドのガレージに急いだ。昨日、車に積んであるプロセッサー(Bio-DF40)で反応させておいたバイオディーゼル燃料をフィルターにかけなければならない。化学反応と沈殿を済ませた廃食油は、バイオディーゼルとグリセリンに分離するのだが、上澄みのバイオディーゼルの中にはまだ幾分かのグリセリンが含まれている。それを取り除くのに約1日、よりクオリティの高いバイオシーゼル燃料を作るには、2日かかる。

10時半。遠心分離機によるグリセリン除去作業を開始。分離機を回している約4時間、街へ繰り出し、買い物と廃油集めに専念する。事務用品店でマーカーなど、ホームセンターで長いポンプなどを購入した。その後、廃食油を探してレストランや肉屋など店舗に飛び込んでみた。週末ということもあり「昨日回収に出してしまった。」とか、「マネージャーは月曜にならないといないから、来週戻ってみたら?」と、目星をつけていた所にことごとく断られてしまった。それでもレストランの多いバンクーバーだ、星の数ほどもあるこの町の飲食店で40Lの使用済み廃食油が見つからないとは信じがたい。

先日飲食店の廃油回収のコンテナがどういうものかわかったので、飲食店に飛び込む前に裏道を通り廃油用の回収缶を置いている店をリサーチすることにした。その方が廃食油を扱う店なのかすぐにわかるというものだ。それからコンテナの中を覗いておくとどんな油が使われているのか。油が良質かどうかある程度もわかるので、この手は今後も使えるというものだ。

とあるメキシコ料理店に行き当たった。メキシカンとは言っても出てきたのは中国人だったが、とにかく当たって砕けろで交渉をはじめた。はじめは「回収会社と契約しているからねぇ・・・」と渋っていたのだが、こちらも必死だからそこをどうにかと頼み込むと、やっとその気になってくれた。裏手にある回収缶の鍵をあけ、バケツと柄杓かわりに使えと小さな手つき鍋まで用意してくれた。ふたを開けると、かなりの量たまっている。指を突っ込み色や汚れ具合、水と混ざっていないことを確認してから、バケツに一杯廃油をいただいた。ここでは、トルティーヤチップを揚げるのにかなりの量の油を使うということだった。チャオさんにお礼を言うと、今度はジャパノイドに紹介していただいたリッチモンドにある寿司屋に向かう。

「瀬戸すし」は開店11年を迎え、純正日本料理店という感じの店構えだった。ずっと油の処理に困り手数料を払って捨てていたのだが、ここ1年ほどは政府のリサイクル推進の方針もあり、無料で回収してもらっているのだそうだ。オーナーシェフの五味明さんはとても親切に店を案内して天ぷらなどに使った菜種油を40リットルほどいただいた。午後8時、今日いただいた油で2回目の化学反応を終える。

それほど遅くない時間に宿舎にもどり、夕食の準備だ。メニューは昨日の残りものの中華に、買っておいた納豆と味噌汁。3人で「何だかやけにほっとするなぁ・・・」と会話も箸もすすむ。食後サッチンの友人でグラフィックデザイナーのハルと話した。彼女はベイエリアに住むのだが、僕たちのプロジェクトのポストカードやチラシを作りたいと買って出てくれた。自分たちではどうしても手が回らず困っていたので、こういう申し出はありがたい。さっそくどんな物が欲しいのか、大雑把な希望を話しどんな材料を用意したらよいのか打ち合わせをする。

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北米、初めてのバイオディーゼル燃料作り

午後1時半、回収した廃油をバスコファイブのプロセッサー(Bio-DF40)に投入。北米に来て初のセレモニーだ。ところが、一回の精製量にあとほんの数リットル足りない・・・。そこで近所のレストランに直撃して直談判することにした。自分は地元新聞の取材を受けていたのでタツヤとサッチン2人に行ってもらうことになった。4軒あたってやっと、日本語を話す中国人らしいシェフのいる「リッカ」という日本食料理店で、10リットルほどゲットした!
レストランを回り始めてわかったのは、多くの店で廃油を捨てる前に水を加えてしまうということだ。バイオディーゼル燃料の精製は、水が入るとすべてが台無しになってしまう。

さっそく、必要最低限の燃料が集まったのでプロセッサーのスッチを入れ精製を開始。車はジャパノイドのガレージの一角をお借りして置かせていただいている。ジャパノイドに来るお客さんたちが、我々にとても興味をもっている。みんな15年落ちの日本車を改造して乗ろうという車好きだからだろうか、はじめは遠巻きに眺めているのだがこちらが一歩近づくと、みんな「何をやっているんだ?」と話しかけてきた。プロジェクトの内容を話すと、自分もいずれはディーゼル車にしてバイオディーゼルで走ろうと思っているが、ホースはどんな物を使ったらいいのか?とか、燃費はどうなんだ?とか、この後はどこへ行くのか?とか、結局質問攻めに合う羽目となった。皆「応援しているよ!」と励ましの言葉を残して去っていった。

5時過ぎ、精製のプロセスの第一段階「反応」が終わった。次は静置沈殿に移る。せっかくなのでジャパノイドの従業員の方たちを集めてこのプロセッサーの説明をさせてもらう。実際、日本人以外の人に説明するのはこれが初めてなのでいい練習となった。オーナーの一人、島田さんが最近バイオディーゼルの勉強を始めたとかで、興味深い質問が出たり、工夫の提案なども出た。メカニックたちは、視点が違うのでコメントも具体的かつおもしろい。

タツヤには、小さい頃から随分あっていない親戚がバンクーバーにいる。今夜はそのますみちゃんとスティーブンに誘われ、「ホンズ」という中華料理レストランでの夕食となった。スティーブンはメカニカルエンジニアなので、食事中にさまざまな質問が出た。今までの軌跡をまとめた僕のフォトアルバムを見せると、食い入るように二人で眺め、「成功を祈るよ。ずっとウェブサイトで後を追うから。」とうれしいことを言ってくれた。最後に家から持ってきてくれた廃てんぷら油をプレゼントしてくれた。遠慮がちにさしだしていただいた燃料は1リットルに満たないが、こういう心のこもった油がとても心にしみる。そして、大きいとか小さいとかじゃなくて、人と人との交流一つ一つが大事なんだなぁ、って思う。

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バイオディーゼルを売っているスタンド発見!

今日も曇り
朝10時に再び、レストラン「サムライ」へ。昨夜は油をうまく受け取れなかったので厨房の人に新しく捨てる油を取っておいてもらったからだ。その最中、ウェストコースト・リダクションという廃油の大手回収業者のトラックがやってきた。夕べ鍵がかかっており、僕たちがどうやっても廃食油を取れなかった廃油ボックスから、簡単に鍵を外して太いバキュームホースで瞬く間に廃油を吸い上げていく。回収トラックの運転手と話をすると、とても親切に廃油の使い道(主に化粧品と養鶏の飼料に再利用されるという)や、責任者の連絡先などを教えてくれた。この回収車もバイオディーゼル燃料(B20)で動いているという。さっそく、彼に聞いたバイオディーゼルの給油所を訪ねてみることにする。

ダウンタウンから5分ほど南東に行ったところにバイオディーゼル燃料を売っているスタンドを発見。従業員のスーダン人の男性に話しかけると、同じオートガス系列のステーションで、もっとバイオディーゼルを大きく扱っているところがあるから、そちらを訪ねた方がよいと言う。デルタ市にあるそちらの給油所を訪ねたいのはやまやまだが、すぐに燃料の精製を始めたい。後ろ髪ひかれつつ、バイオディーゼルの給油所は後回しにし、車の停めてあるガレージへ向かった。ここではバイオディーゼル燃料とガソリンの値段は一緒で1リットルあたり1.09カナダドルだった。このあたりのガソリンの値段の平均が1.11カナダドルなので若干安いと言える。

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廃食油を求めて

さっそく、一路リッチモンドの街へ先を急いだ。「清すし」はリッチモンドにある日本料理店で、廃食油を貯めておいてくれたのだ。ディナーの仕込みで忙しいところを、2人のオーナーをはじめ従業員のみなさんが、興味を持ち外へ出てきてくれる。順番に廃食油をタンクに注いでもらっていると、我々の脇を通り過ぎたトラックのドライバーが、立ち止まり我々の話を聞くと、日をあらためて油を届けてくれるという。うれしい話だ。「清すし」では20Lの廃油をいただいた。週末にもう一度もどってくれば、もっとたくさん貯めておいてくれるという。


次はサムライに再びもどり、いざ油をもらおうと回収タンクをのぞいてみると、昼の時点ではあまり気にしていなかった、タンクの入り口近くに金物の格子があって、準備してきた柄杓や手動ポンプが使えないと判明した。工具箱を取り出しふたを取れないかと試したが、一箇所錠がかかっておりどうしてもはずれない。

レストランのシェフに相談したところ、ビニールのホースを使って口で吸って取り出せばいいとホースを渡される。ホースが曲がっていて、なかなか格子越しに油に届かず苦労したが、数人かかりでやっと届かせ、口に廃油が触れるまで吸い上げるのだが、重い油はなかなかホースを這い上がって落ちてきてくれない。廃油タンクとこちらのタンクとの落差が少なすぎてうまくいかないようだ。ポリタンクに1cmほど油を入れた時点で、これは無理だと判断。このレストランでは、閉店後夜11時ごろに油の交換するというのでその油を廃油タンクにあけないで取っておいてくれることになった。

正直言って、車が問題なく通関を済ませバンクーバーの町を走行できるかどうか、とても心配だった。日本で調べれば調べるほど北米に車を持ち込むのは難しいことがわかっていたからだ。それが今日、バンクーバーの町を何食わぬ顔して走っているのだからすごい。まずはアメリカ大陸に上陸し走り出さねば、このプロジェクトは始まらない。ほんとうによかった。

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ランクル(バスコファイブ)との再会

バスコファイブの入ったコンテナは、ミッチェル島という中洲地帯の保税倉庫へ届くことになっている。ミッチェル島の荷おろし業者「カナーン」の倉庫には、3時半ごろ到着した。朝田さんとはここで落ち合うことになっていたのだが、彼は絶妙のタイミングで僕らとほぼ同時に姿を現した。よかった。建物の中へ通されしばらく待っていると、社長兄弟の一人が現れ、気持ちよく迎えてくれた。工事用のオレンジジャケットと「ビジター」とかかれたバッジが各自に渡された。これから特別に保税倉庫の中に案内していただくからだ。通常この中には一般人は入れない場所だからだ。

ドアをあけ、倉庫のコンテナヤードに出てゆく。そこには配達されたばかりのコンテナが、横たわっていた。胸が高鳴る。開けてみると、果たして!バスコファイブは、別れた時と同じ面持ちで静かに眠っていた。コンテナの幅がぎりぎりなので、車体とコンテナの間の隙間を少しずつ体を擦らせながら運転席までたどり着く。ドアを開くスペースがないので窓から運転席に滑り込む。おそるおそるエンジンをかけてみる。寒いコンテナの中で、ずっと船に揺られてきたバイオディーゼル燃料が、冬のバンクーバーでジェル化していないという保証はない。打つだけの手は打ってきたものの、急遽取り付けた燃料フィルタ竏窒フヒーターを作動させ、5分ほど待ってからイグニッションキーを静かにまわす。

一瞬、鈍い反応があったがなんとか一発でエンジンが生きを吹き返した。やった!スタッフから歓声があがった。こうやって、通関・車輌受け取りは終わり、予想を遥かに越えてスムースに受け取れてたことにビックリだった。これも朝田さんの努力のたまものだろう。倉庫を出て、バスコファイブを運転して路上に出ると本当に感動がこみ上げてきた。



ここで車の陸揚げに協力していただき、ガレージを貸していただいた中古車輸入販売会社「ジャパノイド」について紹介しよう。ジャパノイドとは、日本狂という意味。日本車大好きフリークが、他とは違う車を求めてやってくる、ちょっとかわった会社である。カナダ人のデイビッドさんと日本人の朝田さん、島田さんによる共同経営である。

日本の車は性能がよく、小さめで小回りがきく。カナダには、日本の中古車輸入に関して「製造から15年たったもののみ」という規制がある。更にJIS規格は認識されていない。だから、15年以上経った選りすぐりの車を輸入し、カナダの規格にあった改良と整備をほどこし、責任あるアフターサービスを提供するというのがこの会社の特徴。更に、軽自動車やディーゼル車、サイズの小さい車だけを販売するという、徹底したエコ振りだ。最近バイオディーゼルにも興味を持ち始め、いずれは小型の精製機を購入し、納品するディーゼル車に自社製のBDFを入れて、送り出そうと考えている頼もしい会社だ。

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ダウンタウンへ

くもり時々晴れ
メンバーのタツヤとサッチンの2人は今回が初対面。タツヤは昔からのバイク仲間、でこのプロジェクトの立ち上げから一緒に準備してきた、なくてはならない存在だ。サッチンはアメリカに住む古い友人。彼女の職業はジュエラーで、今回の旅の水先案内人でもある。そして英語力の乏しい男二人にとって彼女は非常に強い見方なのだ。

午前中の数時間を使って、アメリカフェーズのスケジュールについての具体的な話し合いをする。3人そろって、きちんと話し合うのは初めてだ。いくつか再検討すべき場所、日程を変更できるか、打診すべきイベントなどをピックアップした。

午後、タツヤの知人から紹介されたダウンタウンにある日本食屋「サムライ」というレストランに行く。店に着くと吉本由美子さんという従業員の方が、快く対応していただき、まずは店の裏にある廃食油を溜めておく大きなタンクを見せていただく。約1トンくらいの油を溜められるタンクがあった。さらにリサイクルの分別(廃油、ダンボール類、ピザの箱のような紙類、ビン、缶とプラスチックに分けられているということだ)や廃油回収タンクを案内してくれる。その後、折角なので昼食をとることにして、本日のスペシャル弁当を注文した。(チキンの照り焼き、天ぷら、ネギトロ手巻きなど)。知ってはいたものの、その量の多さに驚いた。食べ切れなかったものは、「ドギーバッグ」つまり持ち帰り用の箱に入れてもらって今日の夜食に・・・。廃食油を夜に改めて取りにうかがう約束をして店を後にする。

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カルネのスタンプ

昨夜は遅くまでメールの返事を返していて寝るのが遅くなり、寝坊気味で8時少し前に起床した。タツヤの作った自家製エスプレッソで目を覚ます。

今日は重要な任務がある。足りなかったソイルインスペクションが手に入ったのでなんとしても車両の通関を通さなければならない。通関しないと車がスタートできないのだから・・・。10時半に目指すビルに到着。しかし、昨日のデレックという理解のある審査官は席をはずしており、まったく違うタイプの係員にあたってしまう。困った事に、カルネの「輸入」欄に押してもらうスタンプを「輸出」欄に押されてしまった。いや、カナダに輸入しているのだが・・・と食いさがってみたものの、係員は自分のミスを認めたくないのか、なかなか納得してくれない。この書類が間違って処理されてしまうと、合衆国への出国時にまたトラブルが発生することになりかねない。ここは無理しても「輸入」の欄にスタンプを押してもらいたい。係員は段々苛ついているようだが、どうにか説得に成功し「そんなに言うならしょうがないな、押してやるよ。」と投げやりに判子を押した。

あまりよい天気とは言えないが、昨日下見したスタンレー公園に向かう。400ヘクタールもあるこの公園は、バンクーバーのダウンタウン近くにあるのだが、ヨットハーバーやバンクーバーのダウンタウンを一望できる港、トーテムポールの立ち並ぶ一角、そして苔むす杉などの針葉樹林を持つ美しいオアシスだ。連日の風や雨のせいで大木が倒れた箇所がり、道からの除去作業を所々で見かけた。痛々しい光景だ。根の張りが弱くなっているのだろうか?この林もまた、環境破壊の犠牲となっているのだろうか?

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最初の関門

7時半起床。ぐっすり眠り、気持ちよい朝を迎えた。フレンチトーストとトマトスープの朝食を済ませ、出発の準備をする。10時宿舎を出て、バンクーバーのダウンタウンへ。通関のオフィスでは、係員が予想以上に親切で理解があり、気持ちのよいやり取りをすることができた。ただし、タイヤや車輌についた土の検閲書類(ソイルインスペクション)の必要があると言われ、そちらの手続きをしてから通関になると告げられた。

明日出直さなければならないものの、思いのほか気持ちのよい運びだったので、一同胸をなでおろす。せっかくダウンタウンへ来たのだからと、廃油回収をお願いできそうなレストランの目星をつけつつ、トーテムポールのあるスタンレイ公園まで撮影によさそうな場所を探してドライブをした。どんより曇っていた空がだんだん明るくなってきた。見上げると、目の前に水上飛行機が一機、ダウンタウンと公園の間にある湾に着陸してきた。こんなダウンタウンのすぐそばをセスナで降り立つ姿はあまりにも優雅で衝撃的だった。

きっと近くの島に住んで優雅な暮らしをしている人が自家用機でダウンタウンまで食事をしに来たに違いないと想像をして、カナダならではのライフスタイルに触れた様な気がした。

我に返って小腹がすいたので帰り道にFUJIYAで日本食弁当を買って、12時半宿舎へ戻った。

午後からは今後のスケジュールなど打ち合わせを始める。この旅は、予定表のない旅だが、行く先々で廃油を集めるためサポートしてくださる方たちに、それなりの予定を知らせたい。4時までミーティングをして明日から数日間の動きをまとめ、自炊の為の食料その他の買出しに近くのショッピングセンターを目指した。

6時に帰宅。日本への連絡、シアトルとの連絡がついたので、7時半ごろ夕食をつくり始めた。夕食の仕度を始める前にソイルインスペクションが終わったという連絡が入った。これで車両を受け取る書類が全部揃ったことになる。ささやかながら第一関門突破のニュースを祝った。これまでのさまざまな苦労や喜びが思い出される。「いざ!」という気持ちと「やっと!」いう感がほどよく混ざり、夜が更けた。

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