5/14 ビーフカレーを福祉施設へお届け

大槌町・吉里吉里の福祉施設「らふたぁヒルズ」へ約240食、「三陸園」へ約300食の、職員用のレトルトビーフカレーをお届け。
眼下の吉里吉里の町は津波で被害をうけ、職員もそのご家族の多くも被災しています。そういった職員皆さんのまかないのお食事としてお役立て頂きます。

ビーフカレーをお送り頂いたヒカリ食品の皆さん
ありがとうございました。

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5/14 テント・寝袋・ザックをお届け

大槌町・吉里吉里の福祉施設「三陸園」にお届けしたのが
新品のテント・寝袋・ザック・アーミーナイフ。
この福祉施設は高台にあったため、津波の難を逃れました。施設は無事でしたが、多くの職員が被災し、当時は避難所にもなっていました。今は避難者の数はごくわずかですが、またいつ大きな余震があるかわかりません。建物が壊れてしまう危険性もあります。
そこで群馬県・水上のラフティング・アウトドアのガイドを営む友人が「WRENGER」より、被災地用に手に入れてくれた新品のテント・寝袋・ザック・アーミーナイフをお届けした。


今、なぜこのアウトドアアイテムをお届けするのかというと……
もしもの際でも、外でも寝られるテント。今は、介護士や警備の方がベッドも部屋もないところで、ゆったり休めない状態で24時間体制で働いている。そういった職員の方々がプライベートな空間で横になれるためにも利用できる。布団も職員の分はもちろんないので、寝袋が役に立つ。ザックはもしもの時に、すぐに荷物を担いで逃げるのに使える、というわけだ。
まずはテントの建て方や、寝袋の使い方、たたみ方のレッスン。
こちらがデモンストレーションをしながら、実際に体を使ってもらって、
代表の方にしっかりと覚えて頂きました。
「ビックリ!! テントすごく広いんだね、落ち着く」
「安心して眠れそう」「寝袋は今の布団よりも断然気持ちいい」
日本人は小柄なので、海外製のテントはさらに広く使えそうです。
ここに入っていると「落ち着く」と言ってくれたのでよかった。


ザックも「とても背負いやすい。重いものを入れてもすごく楽ですね」と男性はもちろん女性にも大好評でした。男性用に60リッター、その他は30、40、50リッターを支給させて頂きました。
皆さん「なかなか入らない」と苦労していたのが、寝袋のたたみ方。
もちろんこれもデモンストレーション。
しっかり空気をぬきつつ丸めて、少しづつ入れていきます。

入所されているお年寄りの方と、職員の皆さん、そして町の方々へ
今の実用と、もしもの安心をお届けできました。
水上のラフティング・アウトドアガイドの皆さん
ご協力を頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

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5/14 本日の仲間たち!!


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5/13 釜石・大松学園でBDF精製

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5/13 住田町で見た、菜の花畑

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5/13 「地元の木でいち早く作った」住田町の仮設住宅



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5/13  ヨーグルトを「おさなご幼稚園」の子どもたちへ

大槌町の「おさなご幼稚園」へ。
こちらの幼稚園は津波で1階部分が浸水。
先生方が力を合わせて泥出しをして再開した幼稚園です。
ご近所では今も泥出しを行っている家がたくさんあります。
本日の午前のおやつは、一昨日お届けしたヨーグルト。
いただきますの前に「ヨーグルトを、ありがとうございました〜」
先生と子どもたちが元気な声でお礼のあいさつをしてくれました。
ある子は真剣に、ある子はおどけながら、それは美味しそうにパクパク食べてくれます。
やっぱりみんなヨーグルトは大好きなんですね。

大槌町のスーパーはすべて、流されたり開店できない状態になってしまいました。
ここからいちばん近いスーパーは、車で30分の釜石か宮古の町。
しかし、ガソリンが流通し何とか買い物ができる状態だとしても
復旧や事務作業におおわらわの先生方にはとても難しく、しかも厳しい予算ぐりです。
なかなか希望のおやつを選ぶこともできません。避難所の支給物資にもありません。
震災後、そうして口にする機会が減ってしまったヨーグルトは
体にもいい特別にうれしいおやつなのです。
今日は以前購入してお届けした、スプーンやお皿も使ってくれていました。
皆さんから頂いた支援金の一部は、こうして子どもたちへ
ヨーグルトや食器など、必要物資を購入するために使用させて頂いています。
ご協力をありがとうございました。

こうして元気のいい姿を見せてくれる子どもたちですが
被災してご家族を失った子どももいます。おとうさんを亡くしたあるお子さんは、男性を見るとうれしそうにはしゃぐような、構ってほしいというようなそぶりをします。
赤ちゃん返りを見せるお子さんも少なくないそうです。
門の外へ一歩足を踏み出せば、1階部分が海水で押し流された家々。被災した町の景色が広がっているのです。毎日毎日、この景色を見る彼らの胸に、どういった影響が残っていくのでしょうか。
説明のつかない悲しみや恐怖、周囲の大人たちから伝わる緊張など
子どもたちがそれぞれ心に抱えているものは、はかり知れません。

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5/12 浸水・泥出しした家

ボランティアの手によって泥出しがされた後の大槌町の民家。
家の住民の手によって、畳をはがし、こうして軒下も掘って、
通気をしながら石灰まき。コツコツと片付けが続けられていました。
「これからね、どうなるんでしょうね。よくわからないけれど……ひとまずこんな状態なんです」と住民のお母さん。お母さんは避難所暮らしをしながら、日中は家の片付け作業を続けられていました。

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5/12 整体師・鳥屋さん到着


佐賀県に住む整体師の友人・鳥屋さんが到着しました。
マイカーに物資や道具を満載、さらに後にトレーラーを引っ張って登場。
しかもTシャツ短パン姿です。すごいパワフル!!
じつはこのトレーラーに積んでいるもの、シャワー室なんです。大工さんや電気屋さんに協力して作ってもらったのだそうで、その脇に整体のためのテントや道具をたくさん積んで走ってやってきたのだそうです。
そして岩手県でどうしても活動したい、どこか必要としている避難所はないか、水先案内をしてほしいということで連絡をくれました。
シャワー室を避難所で喜んで頂けて、マッサージができるところ、それには水道と排水ができて、ある程度の敷地の広さも必要です。
そこで、すべての条件を満たすこちらの安渡小学校をご紹介したところ、
快く歓迎して頂き、テント作りも手伝ってくれました。

こうしてボランティアをしたいと望む人々と、
彼らを必要としている避難所を繋いでいきます。
そんなわけで明日から鳥屋さん、こちらでマッサージ開始です。
強面ですが、とても優しくておもしろい整体師さんです。よろしくお願いします!!

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5/12 艦砲射撃と震災を体験して。

ある幼稚園の園長先生がそっとお話を始めました。
それは昭和20年、若かりし園長先生の、ある日のこと……
「きれいな夕焼けだな」飛行機が戦隊を組んで飛んでいく。
その景色が美しくて思わず見とれていると、「なに敵の飛行機見てるんだ!」と怒られてしまいました。
後から知ったのですが、じつはその見とれた飛行機は、釜石への攻撃を終えて帰還する敵軍の飛行機だったのです。夕焼けと思ったのは、釜石が艦砲射撃を受けて燃えている赤い色でした。

昭和20年、太平洋戦争は末期を迎えていました。
製鉄所が攻撃目標となり、釜石はアメリカ海軍や合同部隊の戦艦部隊によって、二度にわたる艦砲射撃を受けたのでした。
若き頃の園長先生は、実家の親たちがどうなったかまったくわからず心配していると、大槌から仙人峠を越えて、お母さんが遠野まで会いにきてくれたのでした。その後、焼け野原になった釜石を見たのです。
「じつはその艦砲射撃を受けた後の釜石の風景よりも、今回の津波の被害の方が、大きいような気がします。艦砲射撃のあとは今より家がまだ残っていたような気がします。今回は何一つ残ってないんだもの……何ひとつ……」
比べられるものではありません。しかし、無残な戦争のつめ跡よりも、この津波による被害のほうが、さらにおぞましい景色が広がっていたと仰られました。
.
この津波を体験して。園長先生は、お話を続けました。
「じつは私の友人が、今回の津波で無事かどうか確認するのが怖くて、まだ確認しに行っていません。親戚の子供が幼稚園に遊びに来ても、” おうちの人は?” と気軽に聞けないのです」
津波後、「○○ちゃんは?」とある子に聞いたら、「死んだ」と答えました。
「子供はたんたんと答えて、ゲームをしたりと遊んでいますが、相当傷ついていると思う……。こんなことになるなら先に死んだお友達のところに行ったほうが楽だったのかな……」と、先生の目から涙がぽろりと落ちていきました。
そうこうするうち、先生はお昼を食べる間もなく、ガスレンジの交換や大掃除と忙しそうにまたお仕事を始めました。
………………
ご家族を失った方、ご友人を失った方。
今回の震災によって数え切れないほどたくさんの方が傷つき、
悲しみを心の中に抱えています。
それでも笑顔を見せながら、前へ前へと進んでいます。
みんな、必死で前へ進むことで、悲しみや苦しさを払拭しているのかもしれません。
いつも明るく笑顔で私たちを迎えてくれる先生方。
津波による被害から園舎を復活させ、奇跡をご自身で感じながらも
自分ではどうしようもない内に秘めた悲しみが込み上げてきて
ふと涙があふれてしまうのです。

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