3月21日 本日の作業終了

バスコファイブ一緒に動いたWVO・小出号は、約250km移動。
約30リッターの廃油を使用した。
山野号・越野さんも、無事に終えて戻るという電話が入った。
今日も1日おつかれさまでした。
このような具合に、僕らは毎日、様々な物資、とくに足りてなさそうな物資を積んで
情報収集や、「移動配給」を行っている。
釜石市のGSでもガソリンの販売が少しづつ進み(緊急車両を優先、一般車には少し)、徐々ガソリンが手に入り始めたけれど、それでも被災者たちにとっては、まだまだ遠いものだ。
着の身着のまま逃げて命が助かったけれど、家も何もかも失い、避難所生活をしている人は車すらない。
家や車が残った人も、GSまで遠い家はたくさんある。残り少ない貴重なガソリンを使って、GSへ行き、結局買えなかったらどうしようと、もったいないし怖くて買いに行かれないのだ。
WVO車も、僕のBDF車も、てんぷら油が燃料だ。ガソリンがなくても移動ができる。
現場の状況が変わるように、僕らができることも刻々とかわっていく。
10日間もオフロに入っていない被災者たちに、せめてひとフロ、入ってもらえたらいいのだけれど。

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3月21日 陸前高田・矢作地区のその後

「矢作コミュニティセンター」
ここは3日前に訪ねた矢作地区の避難所のひとつ(前回ブログはコチラ
避難所といっても、ここに寝泊まりするのは学校の先生たちのみ。
食料や日用品など不足しているものを、近所の方々がとりにくる場所になっている。
矢作地区は、直接の津波の被害はないものの、家を流された人たちが、ここ矢作地区の家に避難している。
「あの後、調べたら36件に避難者が散らばって滞在していることがわかった。1人暮らしのお宅に12人の被災者が暮らしているところも」とのこと。
幸い、こちらに物資はきちんと運び込まれている。
このコミセンに取りに来られないようなお年寄りもいないというので、急を要するようなことはないだろう。
ただ、ここでもピンポイントで不足しているものもあったので、下記を支給。
【支給したもの】
卵80コ、下着類(パンツ、男女靴下、ももひき類)、トイレットペーパー少数

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3月21日 津波が目前で止まった地域 @ 陸前高田

じつはWVO車に関東から同乗してきた友人の及川さん。
実家が陸前高田で、地元の様子を見たいということで、今日は一緒に回っていた。
実家は倒壊していなかったものの、道の反対側の小学校まで浸水していた。間一髪のところだったのだ。
すぐそばの仮避難所である「下和田会館」を紹介してくれた。
ここは仮避難所で、避難所登録もまだ、民間の家を利用している。寝泊まりする被災者はいないが、炊き出しなどをしている。
「昨日あたりにようやくできた所だから、食料も資材もないの。公民館はながされちゃってね、建物があっちでひっくりかえってますよ」と。

すぐ目の前で津波が止まったこの地域。被害が少ないいっぽうで、物資がかなり枯渇して厳しい状態だった。家は倒壊していないが、電気や水もストップ。スーパーはあいていないし、移動するガソリンもない。ほとんどが農家なので食料はいくらか備蓄があるものの、灯油やトイレットペーパーなどの日用品や野菜が切れてくる。
ようやく今日、自衛隊がりんごを2つ配給してくれたそうだが、それまで何とか食いつないでいたのだった。
そのため、どの避難所を回っても最近はもう必要とされていなかった物資(生活用品や食料)が、ここでは求められた。
そのほかに今ほしいものは「ガソリン」そして「お風呂に入りたい」だ。
【ほしいもの】
◎ 牛乳
◎ 野菜
◎ 下着類
◎ 靴スニーカー
【支給したもの】
米30kg、卵180コ、灯油10リッター、生理用品、老人オムツ、パンツ、靴下、肌着類、トイレットペーパー

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3月21日 納棺師へ預け荷物 @ 西光寺

大船渡でまず向かったのが、「西光寺」。
納棺師の方が死化粧の際に必要としているファンデーション、マスカラ、頬紅、笛などを預けた。(詳しくは、昨日のブログへ) お寺さん、納棺師の皆さん、よろしくお願いいたします。
そして卵を寄付。

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3月21日 大船渡にて

大船渡に住む小原さんのご友人のもとをたずねた。
坂の途中に家があった。その坂を下ると、がれきがごろごろした荒れ地が目の前に広がる。
津波はすぐそこまできていたことがわかる。
「水がきていないので、オフロに入れなくて……。でも近くの五葉温泉が、避難所以外の被災者も16〜18時だけ開放するようになったので行ってみたいと思う」とのこと。
足りないものはないですか?と聞くと「入れ歯の洗浄剤がほしい。今はとても衛生が気になって。消毒液などで拭いたりしているのですが……」とのこと。
それは盲点だった。そうか、入れ歯のお年寄りも多い。きっと困っている方もたくさんいるのではないかな。
不安なことは、大船渡近辺で盗難が発生したこと。留守をねらわれた家があったそうで、安全のために家を離れられないそうだ。それは心配だ。
【お渡ししたもの】 たまご
【ほしいもの】 入れ歯の洗浄剤

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3月21日 里山生活学校から大船渡へ、ヒト運び

こちらの里山生活学校から、大船渡へ、山下さん(右)を搬送した。
大船渡出身の山下さんは、お子さんを連れて九州に帰省中に震災が起こった。
お子さんを九州に置いて、急いで大船渡へ帰るべく北上。
しかし、宇都宮あたりまできた後は、交通の術がなく、ヒッチハイクをして
なんとかここ里山生活学校へ辿り着いたそう。
ご家族のもとへ戻った山下さん。地震当時、スーパーにいた奥さまは、急いで車にのって内陸部のこの家へ帰宅。難を逃れたそうです。無事に再開できてよかったですね。
これから九州に置いてきたお子さんをまた呼び寄せるそうです。
初めてみる廃油を使う車に山下さんも興味津々。廃油があります、と奥からもってきてくれました。(写真右)

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3月21日 WVO車とバスコファイブで出発

昨夜到着したWVOの車が2台、今日から出動する。
WVOとは、「Waste Vagetable Oil」の略。
「SVO」と同じ原理なのだが、とくに油の中でも「捨てる廃油」を原料に
そのまま熱交換機を通してエンジンに投入することができる。
WVO車に積みこんで越野さん、小出さんにもってきて頂いた物資は
いい燃料となるきれいな廃油はもちろん、被災地から要望があった品目がたくさん。
皆さんどうもありがとうございます。
今日必要な分を積み込み、いざ出発。残りはウレシパさんのところへ荷下ろし。
仕分けをして必要としているところへピンポイントでもっていきます。

↓山野号の越野さんは釜石へ。
釜石では25日から遺体の土葬がはじまるため、
身元不明のご家族を捜す被災者が、安否確認を急いでいる。
先行しているBDF車と合流して、そういった方々の送迎を行う。

↓小出号の小出さんは僕たちバスコファイブと、大船渡〜陸前高田へ。
物資運搬、お届け物と情報収集を行う。


自然農園ウレシパモシリにて。僕らが出発後、ウレシパファミリーのキッズたち、ネムくん、はんちゃん、アッキーが荷物の仕分けを手伝ってくれたそうだ。ティッシュが1000枚とか!? 細かい数まで数えてくれてありがとう!

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3月21日 お結び(オムスビ) ありがとう

今日も支援活動に朝早くでかけるからと、お手製の梅干しおむすびをもたせてくれた
自然農園のしょうちゃんファミリー。僕らの元気とパワーの源です。
ファミリーは僕らの通信の中継や、情報収集もしてくれている。
みんな、どうもありがとう!

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3月20日 夜  WVO車2台が岩手に到着!

今日の夜、WVO車がウレシパモシリに到着した。
長旅、おつかれさまでした! お待ちしておりました。
WVOとは、「Waste Vagetable Oil」の略で、
廃天ぷら油をそのまま、熱交換機を通してエンジンに投入することができる。
じつはWVOのネットワークに支援を相談したら、
千葉(まさに引っ越したばかり)の山野さんが、ワゴン車を1台、出してくれるとの連絡をくれた。
それを各地のWVO関係者が物資や義援金を集めて支援。
さらに茨城の越野さんが運転してもってきてくれた。
そしてなんともう1台。
長野の小出さんが、自身のWVO車を運転して物資をあちこちから集めて応援に来てくれた。
小出さんと越野さんは23日までいてくれるそう。
その後、山野号は置いていってくれるとのこと。
これで、すぐに動けるWVO車2台、BDF車2台 という体制ができた。
本当にありがたい。WVOの皆さん、どうもありがとうございます。
そしてBDF車を動かしてくれている小瀬川技研の及川さん、
どうもありがとうございます。
明日から早速、4台で現場へ向かう。

<<到着した小出さん、越野さんとウレシパさんで、今度の動きを早速ミーティング。明日は二手にわかれます

<<ウレシパさんのご近所の小原さんご夫妻も雨の中来てくれた。これから同時に活動していきます
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3月20日 花巻の温泉が協力

車の燃料であるガソリンがまだまだ不足しているいっぽうで、物資は避難所にほぼ行き渡ってきた。
そうした状況の中「バイオディーゼル燃料で移動する僕らができることは何だろう?」といろいろ考えてみた。
思いついたのは「お風呂や温泉までの送迎」だ。
被災者はまだ風呂に入っていない方がほとんどで、ろくに着替えもない状態が1週間以上続いている。そこで被災地から近い温泉や風呂をさがしてみたが、未だ電気がない、水が来ないなどの理由で営業していない。そこで被災地から100kmほど離れた花巻には温泉があるというので一軒づつあたってみたが、らちがあかない、時間もない。

<<民間有志による復興支援組織「結/ゆいっこ」が立ち上がり、ちょうどそのフラッグができあがりました。被災住民を受け入れる内陸部の広報支援グループとして活動していくそうです

そこで高橋博之事務所にお声をかけさせてもらった。そこにいた花巻市議会議員の増子義久さん、花巻議会議員の細川宏幸さんらが温泉や旅館に声をかけていただき、いくつかの旅館が引き受けてくださることになった。ある温泉では50人乗りのバスがピストン送迎してくださるというのだ。やはり地元の有志の方たちの力はすごいですね。これから各避難所にまわって需要を確認して花巻の温泉と結んで被災者をつなげたい。

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