3月20日 納棺師

今日の午後、僕たちの車を見て、ある女性が「もしかして支援活動をされているかたですよね?」と声をかけてきた。
その女性は
「……自分は看護士をしている。知人の納棺師が、被災地の遺体安置所を回っているが、ご遺体の死化粧に使うリキッドファンデーションが足らないのです……」と話を始めた。
「ご家族に会い、せめて最後にお別れする時に死化粧をしてあげたい。でもリキッドファンデーションが足らないそう。ご遺体は損傷が激しく、損傷を復元できる時間もリミットがあり、ここ2〜3日で行わなければならないのです……」と。
その納棺師の方は、現在遺体安置所を休みなくまわっています。
現在は大船渡周辺にいらっしゃるそう。
そしてリキッドファンデーションだけでなく、骨壺や棺も足りないそうです。
詳しくは「納棺師 桜」さんのブログへ。
以下、納棺師ほしいものリストだそうです。
◎リキッドファンデーション(復元に使えます)
◎濃いものも含めて、パウダーファンデーション
◎口紅
◎頬紅
◎綿棒
◎マスカラ
◎櫛
◎筆があると助かる
◎布
※遺体の損傷が激しいので、パフは使用出来ません。筆があれば助かります。
皆さん、今日明日がリミットだそうです。
遺体安置所へ預けておけば納棺師の方に渡してくれるとのことです。
被災地へ行く方は、届けてあげてください。

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3月20日 現在のバスコファイブ

今日は現在、支援活動の準備や手配の打ち合わせに飛び回っています。
12時現在は花巻市にいます。

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3月20日 AM 小瀬川技研でBDFを給油

連日の支援活動。はじめは自身で燃料を作っていたが、
やはり追いつかない。
福祉施設「ワーク まほろば」さんの協力により、
岩手でBDFを作っている「小瀬川技研」さんでBDFを給油。
救援活動に、こちらのBDFで動かしているエスティマも出して頂いた。

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3月19日 おばちゃんとカレー 〜被災地の給食室より〜

▲「いちばんはじめはこんな小さいオニギリ一つきりだったのよ」とおばちゃん。「みんなで助け合おうと約束したの」と笑顔がこぼれた

「大槌小学校」で炊き出しを担当しているおばちゃんたち。
彼らもここ大槌で家や友人、仲間をなくした被災者だ。
地震発生当時、家にいる時に激しい揺れに襲われ、近所の老人たちを室内から連れだしながら無我夢中で高いところへ逃げて津波から助かったという。
大震災から一週間。おばちゃんたちは、1日3食、最低600人をこえる分の食事をここでまかなっている。食材は自衛隊が届けてくれる災害本部からの支給に加え、個人の持ち込みによる寄付でやりくりしている。
「野菜が足りないの。だからね、お汁にも細かく細かく刻んで入れるしかないの。それでさえも、味噌汁はまだ2回しか出せていないのよ。しかもお椀がないから、湯飲みで飲むしかないの。今は割り箸があるけれど、はじめのほうなんかお箸もなかったから、こう、ずずっと飲むようにしてね……。それでも、温かいお味噌汁がやっとのめた、ホッとしたってみんな言ってくれてね……」
支給されるのは紙コップばかり。でも紙コップは温かい飲み物もお汁も入れることができないし、すぐにだめになる。
せめて、強度があって何度でも使えるお椀や、プラ製の食器類があれば、汁ものもたくさんの人に行き渡るのに。
この寒さの中では、温かい一杯のミソ汁がどんなに安堵感をもたらしてくれるだろう。
送られてくる支給品は、実際には現場で使い勝手が悪いものもある。ここ数日で道も開通し、物資もどんどん入ってきた。しかし、かゆいところに手が届かない。この生活があとどれくらい続くのかメドがたたないが、かなり長期戦になることは、誰の目にも明らかだ。そんな状況の中で、ざっくりと選ばれた必要最低限なものだけでは、心身ともに疲弊してしまう。
支給する品目や品選びも、ちょっとした工夫と現場の声を反映するだけで精神的にほんの少しでも安らげたり、便利になったりするのに。「頂けるだけでもありがたい」と被災側は遠慮もするが、送る側もどうせならニーズに合ったものがいいにきまっている。
現場の声は、送る側からは気が付かないものが多い。「この素材より、あの素材がいい」「これは足りているから、あれがほしい」そんな声は、実際に避難所を訪れ、ひとつひとつ聞いてまわらないと、なかなか気づけないものだ。
岩手の人は遠慮深くてシャイだと聞くが、それはほんとうだ。
ぎゅうぎゅうでプライバシーのない学校の教室で1週間。床に毛布を敷いて、電気がないから暗くなったら寝る生活。お風呂も入れず、着る物も一週間同じまま。お茶すらまともにない。それでも「命があっただけでもありがたい」と、足りないものがあっても言わずに我慢している。
「大丈夫ですか? 足りないものはなんですか?」と2、3度聞いただけでは、「遠くから来て頂いてありがとうございます、物資も届いたし大丈夫です」と返ってくるだけで、なかなか口を開いてくれない。
おばちゃんたちが食器の後片付けをしている時、側にいるとそっとおばさんが話をはじめた。
「ほら、老人のオムツあるでしょう。オムツもね、必要以上に我慢しちゃうのよ。気持ちが悪いだろうに、みんなほしいって言えないのね。それに近くの親戚で倒壊しなかった家に身を寄せることができても、みんな2〜3日で帰ってきちゃうの。その家に申し訳ないと思ってね……」
遠慮して帰ってきてしまうのには、理由がある。
倒壊しなかった家もまた悩みを抱えている。家がある身だから、避難所へ行くなんて申し訳ないと思ってしまうのだ。しかし、家があったとしても、電気も水も出ないし、スーパーだってもちろんあいてない。食料が尽きるのも時間の問題だ。
おばちゃんに、ほしいものは他にないですか? とこちらが何度も時間をかけて聞いていると、教えてくれた。じつは色々あったのだ。
「靴、スニーカーがほしいの。ほら、急いででてきたからこんなサンダル履きみたいのしかないのよ。エプロンもあったらいいな。炊事や掃除やらしていると、どうしても服が汚れてしまうのよ。でも服も一枚しかないでしょう? もったいないから。あと、皆さんから頂くのはオシャレで細身なの。オムツをした老人は、大きいズボンがいいの。それにおばちゃんは太めだから、パンツもズボンも、お腹とお尻のおっきいLとか、2Lとかじゃないと入らないのよ……」
そう笑って話すおばちゃんが、今いちばん出したいメニューがある。
「子供たちにね、カレーを食べさせてあげたいの」
隣町の避難所では、今晩のメニューはカレーだったそうだ。でも、この避難所ではまだ出してあげられない。本部から届く支給物資の中にカレーはない。個人のボランティアからの寄付では600人分ものカレーなど、届けられるはずもない。
当たり前のように食べていたカレーが、今は懐かしくて遠い、夢の食べ物だ。
一瞬、言葉をのんでしまったこちらを、逆に気遣うかのように
「ね、助け合っていかなきゃね。ようし、がんばろう。そう、そう」と、おばちゃんが、また食器を洗いはじめた。
(大槌小学校の給食室にて)

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3月19日 釜石・野外入浴施設「すずらんの湯」OPEN

8日ぶりに、あたたかい湯船が被災地にやってきた。
19日、釜石市の公共駐車場に野外入浴施設「 すずらんの湯」が設置されたそうだ。
男湯と女湯、それぞれ約20人が同時に利用できるもので、
浴そうには約4トンのお湯がはられている。
釜石市の依頼で、北海道の陸上自衛隊第7師団が設置。
移動式ボイラーを利用したものだそう。
現在のところ正午から午後9時まで利用可能。

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3月19日夜 海辺にある「宝来館」を見に

もう暗くなってしまったが、鵜住居近く、根浜地区にある「宝来館」へ。
(18日にも2号車がリサーチに来ている)
かつて温泉宿だったここは、津波が襲い、4F建ての建物の2Fまで水につかった。
海際にあるのだが、堅牢な鉄筋コンクリートのため倒壊を逃れたそうだ。
(以前のブログで「高台にあったので助かった」という記述は間違い)
現在は41名ほどが寝泊まりする(昼間は50名ほどになる)私設の避難所になっていて
皆で力を合わせてがれきの撤去を行っている。
女将さんの岩崎さんにお聞きすると
「果物や野菜、お米は、自衛隊が物資を運んでくれるようになったので大丈夫です。お水もわき水を利用しています」とのこと。衛星電話1台あり(電源オフのことも多い)。
【今ほしいもの】
◎ スニーカー
◎ 下着類(パンツ・靴下など)
◎ お漬け物など
◎ 牛乳
◎何よりいちばん必要な物資は、車とガソリン
ここは釜石からも離れており、近くの町からも孤立した場所にあるが、車と燃料がない。情報を得るにはラジオを聞くか、外部からの人づてに頼るしかない。物資調達にも行くことはできない。
「こんなお願いは無理だとわかっているんですけれど……でもせめて一台、車とガソリンがあったら……」と女将さんは言う。
少し疲れた様子に見えた女将さんに、お世話になっているやえはた自然農園が持たせてくれた、無農薬の玄米おにぎりを数個お渡しした。私たちが送迎しますから、せめてお風呂に入りに行きませんか? と聞くと、それすら「申し訳ないです……」と遠慮し、暗くて道路も悪いからと、こちらの帰り道を案じてくれたのだった。
海はすぐ目の前だ。未だ余震も続く中、いつまた……という不安もあるだろうに、女将さんと町内会長の方々らが先頭にたち、力を合わせてなんとかこの地域、建物を復旧させようと、頑張っている。

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3月19日 やえはた自然農園の野菜

物資が徐々に行き届くようになっても、野菜が不足している避難所があるということで
お世話になっている しょうちゃんのやえはた自然農園 では
「じゃあにんじんを掘ろう」と、畑のにんじんを早速収穫。
ひとケース分のとれたて無農薬のにんじんを、水洗いして
救援物資にもたせてくれた。

「行っておいで」と送り出されたにんじん。
生でも安全安心。葉っぱも食べられる。
→今日の夜、大槌小学校の皆さんにお届けしましたよ。
野菜がかなり不足しているとのことで、とても喜んでおられました。

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3月19日 information(日ごと随時更新します)

【釜石情報】
◇釜石では今日からドコモの電波が通じるようになったそうです。
◇現場からツイッターで情報を発信している方がいます。
タカハシヒロユキさん/岩手県議会議員(現在、釜石市街の北、栗林、大槌付近に)
http://twitter.com/hirobou0731
◇避難所では、3月下旬にはプレハブや仮設住宅、アパートに入れるという説明があったそう。その募集用紙が昨日配布され、今日回収されたとのこと。
人数や年齢によって仮設施設か、アパートかは振り分けられる模様。
【大船渡 情報】
◇6か所のGSで2000リッターのガソリンが入った模様。少しだけ一般車両の分もあったとか。
◇五葉温泉があり、避難所の方々を対象に受け入れている。そのうち、倒壊を免れた家で断水している人々も受け入れる予定。

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3月18日 陸前高田市・矢作の現状

「矢作コミュニティセンター」 で聞きました。
矢作(やはぎ)周辺は、内陸で津波の被害は受けていない。
そのため、家を津波で無くしてしまった被災者を受け入れている家が多い。
多くて10名以上をひとつの家で受け入れているところもある。
そういった「声なき被災者」たちは、矢作において18日夜の段階で50名以上いることが確認されいている。
だが、震災から1週間。そろそろ食料も尽きてきたり不便も出てくる。
そこで、矢作周辺の地区部長さんたちを中心に、どの家に、どれだけの人数の被災者がいるのか。名前、住所などの聞き取り調査を行っているほか、どんなことに困っているのか、現在アンケートをとっている最中なのだそう。
陸前高田市にある災害本部との連絡をスムーズによるため
現在、連絡所を作成中。
「下矢作コミュニティセンター」がメインで、
ここ「矢作コミ」はそのバックアップとして存在。学校の先生が主に滞在。
150名分の炊き出しを行っている。衛生電話が一台アリ。
今日発電車によって、電気が復旧した(しかしいつとまるかわからない)
【必要なもの】
基本的に農家なので、お米はある。とにかくガソリンがほしいとのこと。
・ガソリン
・灯油
・米はあるが、その他のおかず類がほしい
・野菜はとくに葉ものが不足
・2才の男の子のオムツ

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3月18日 陸前高田市・広田地域の現状

3月18日 PM
皆さんとウレシパモシリでミーティングした後、それぞれ現地へ向かった。
2号エスティマは釜石へ、昨日僕たちが聞いてきた物資を届けにいく、宝来館を確認に。
僕ら1号車バスコファイブは、陸前高田市へ情報を収集に。
まず陸前高田の本部「給食センター」へ行き、情報収集。
「とくに情報がないのは”広田”と”矢作”です。本部にも情報が入っていないので、どんな状況かわからない。見て来て頂けるなら、逆に教えてほしい」とのこと。
広田は震災直後は道がふさがれ、孤立していた広田地区。当時は物資が届かず、状況も把握できずに心配されていた地域。広田地区の本部になっている「広田小学校」で状況を聞いた。
********************** 広田小学校(広田地区本部) **********************************
【必要なモノ】
・緑茶ティーパック(毎食後お茶を出せればいいが、今まで2回しかお茶を出せていない、お茶の葉よりも取り扱いの簡単なティーパックがほしい)
・ サランラップ(おにぎりを包まなくてはならない)
・ アルミホイル
・ ミソ汁などを食べる茶碗のようなもの(現在、150人分の器がなく小さい湯飲みなどを使っている)もしくは何度でも使える食器類
・はぶらし
・歯磨き粉
・靴(長靴で逃げてきた人がいるので、靴がほしい)
・男女 ズボン(上着はたくさん届くが、ズボンがない)
・ 本だしのような調味料
【その他メモ】
おおかたの物資はもう足りている
冬ものの衣類は余るほどある(ただし、ズボンや靴が不足している)
灯油は今日、自衛隊から届いた
水は大量にはないが、市の給水車がきたので、困ってはいない
老人が多いので、ジュースよりもお茶ティーパックのほうが必要
ここでもやはり必要なのはガソリンだった。
物資は数日前に道が開通したので、物資はじゅうぶん届いている。
必要なものは上記の細かい物資。
ここでは朝300名、昼と夜は400名分の炊き出しを行っている。
広田小学校は地区本部で、他に、太陽公民館(70名)、慈恩寺(35名)、田端公民館(20名)、天ヶ森公民館(20名)、小袖公民館(40名)、平畑公民館(55名)、六ヶ浦(22名)、長洞地区(20名)がある。
広田では倒壊せず無事な家もあったので、震災後数日は孤立していたものの、婦人会などと協力して、物資をわけあって暮らしていたのだそうだ。

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