刻々と変化する現場。必要なモノも変化する。

大災害から一週間が経つ。
道も開通し、各地からは用意されていた物資が次々と運ばれてくる。
被災地でも内陸部から徐々に電気もガスも水道も通るようになってきた。
携帯の電波も復旧をはじめ、衛星電話がすでに設置された避難所も多い。
現場の状況は刻々と変化している。
それに対して本当に必要とされているものも日々変わるのが現状だ。
そんな中で、足を使ってコツコツ避難所をまわり、本当にほしいものは何かをきいてまわると
「物資類はもう届いているから、急ぎでほしいものはない。何よりもガソリンがほしい。ガソリンがないから安否確認すら、未だ行かれない。ガソリンありませんか?」と言われる。
緊急車両であればガソリンは優先的に入れることができるが、一般車両は手に入らないのが現状だ。(内陸部の町でもGSに行列ができる。避難所への支給物資の中にガソリンはない)
そしてガソリンの次にほしいものは、大口の物資支給では届かないような細かいものだ。
しかも避難所によって内容が違う。
「300人分のおにぎりを包むサランラップがほしい」「衛生手袋が必要」「上着はたくさんくるのに、ズボンがない」「オムツが必要な子が1人分だけいるの」とか。
水がほしいところもあれば、まったく不自由せずに手に入るところもある。
あるところでは「ミソはほしい」と言われるが、いっぽうでは「農家だからミソや漬け物はいっぱいあるからいらないよ」というところも。
現状は、大口の物資はもうじゅうぶん届いている。
必要とされているのは、そういった細かな要望に対するケアだ。
ピンポイントで必要物資を聞き、届ける、そして情報収集するということ。
僕のバイオディーゼルカーという動力を使ってできることはないか?を常に考え、ここ数日は、避難所をまわり、要望を聞き、次の日にもっていくという動きをしていた。しかし1台では限界もある。
そこで今日、BDF車両エスティマを貸してくれる協力者が現れたので、2台体制を行ってみることにした(本当はもっと台数があったらいいのだが)。
1号(バスコファイブ)が情報を収集。
2号(エスティマ)が昨日収集した物資を運ぶ 
エスティマを協力してくれたのが、岩手でBDFを精製販売しているという小瀬川技研さん。普段もBDF100%で走らせているそうだ。僕が自分で燃料を作っていては間に合わないのだが、こちらでBDFも購入できる。
物資を集めてくれているのが、岩手県議会議員の高橋博之さん。事務所へ行くと、ネットワークを使い、たくさんの物資を集めていた。
そして僕がいつもお世話になっている地元の農家の方々も、近所や地方からあれこれと集めて物資を集めておいてくれた。
そしてさらに助っ人が2人登場。
花巻市で林業を営む菊地哲夫さん。災害ボランティアの経験が豊富で、災害後もいち早く大槌へ向かっていた。
そして同じく花巻市の森林インストラクターで常に人助けをしたいと考えている道原僚さん。
こうして今日はBDF燃料、BDF車両2台、人数が揃ったので、午後から現地へ向かう。

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3月17日  両石・鵜住居・片桐・大槌地区の状況

両石・鵜住居・片桐・大槌地区の状況
釜石市街の北にある、両石・鵜住居・片桐・大槌地区の詳しい状況が得られないので、実際に訪れてみることにした。夜だったので海岸の被害の模様が確認できなかったのだが、現地の方に聞いてみると、数キロおきにある各街が、ほぼなくなってしまうような大きな被害を受けたことがわかった。

【両石地区】
被災せず残った家屋はなく、街が全倒壊してしまったという。そのため、この地区に避難所はない。45号線の旧道は通れない。
【片岸地区】
高上がりになっている場所は倒壊を逃れたが、それ以外は全倒壊。
【大槌地区】
津波による被害に加え、火災による二次災害のため、湾を囲む街がほぼ全消失してしまった。
【鵜住居地区】
この地域には内陸へ向かう35号線沿いに、2箇所の炊き出し所や3か所の避難所がある。
↓今必要なモノを聞きました。
「鵜住居地区では物資が足りていない」という情報が流れていたので、果たして本当なのかどうか、確かめるべく避難所へ向かった。結果、必要なのは他地域と同様ガソリンだ。「燃料がないから、倒壊した家を見にいくこともできない。行方不明の家族を捜すことも、死体の身元確認すら行くこともできない」とのこと。
なお、食料は不足していなかった。本当に必要なものは何か、現場で聞き、書き出してみた。
<<<< 栗林小学校(避難所) >>>>>>>>>
300名(うち子供約40名)が登録。
倒壊していない家の場合、「避難所に登録して食べ物の配給のみをうけつつ、家に滞在している」という人も約10〜20名ほどいる。今後はそういった人が増えていく見込み。
【今必要な物資】
◆ ガソリン
◆ 灯油
◆ 軽油
ここでは食料や物資などはほぼ安心できるほどある。ほしいのはとにかく燃料だ。燃料がないから、倒壊した
【その他メモ】
・ 簡易ミソ汁が今、300に足りないので、在庫とあわせて300にできる量がほしい
・ 周辺には農家が多いため、食料は安心できるほどある。その他の物資も現在足りている。
・ とにかくガソリンと灯油がほしい。
・水はあるので、水よりも味のあるものがほしい
・缶ジュース類やカップラーメン等は数が半端だと出し難いので、数を人数分で揃えてほしい
(人数分がない場合はでも、貯めて揃ったら出せるので有り難いけれど)
・今日からドコモの衛生電話が設置された
<<<< 栗林地区コミュニティ消防センター(炊き出し所) >>>>>>
ここでは「栗林小学校」(約300名)と「栗橋地区基幹センター」(お年寄り中心に約100名)の2箇所に食事を炊き出しして届けている。
【今必要な物資】
◆ラップ(衛生的におにぎりを包まなければならない。30cm×10mを、1日6本使う)
◆ つけもの(数は人数分なくてもよい。分け合える少しの量で構わない)
◆ 水なしでできるシャンプー
◆ 歯ブラシ(大人用はもちろん子供用もほしい。栗林小では子供は約40名)
◆ 大人用、とくに女性用の下着(シャツ・靴下・パンツ)
◆ 生理用パンツ(生理用品はすでにある。パンツがほしい)
◆ ホット用のお茶ペットボトル(現在紙コップを使用しているが、すぐにだめになってしまう。何度でも使いまわしてホットのお茶を飲みたいため)
◆ 衛生用ゴム手袋(おにぎりを握ったり調理する際に使用)
◆ マスク
◆ 携帯ミソ汁(すぐ食べられるチューブ状のもの)
◆ 離乳食を食べさせるスプーン(数個)
【その他メモ書き】
・現在は調理にプロパンガスを使用(なくなったら終わり)
・農家が多いため現在ミソはある
・物資は、釜石本部からは主に衣類が届く。その他の食材は花巻や盛岡から届けられている
・生タマゴ(生モノだけど)もあればもちろんほしい
・例えば小学校では300人分いっぺんにあるのがベスト。しかし分けられるものの場合は、一つを2人でわけたりグループでわけて食べるのもOK
<<<< 上栗林地区集会所(避難所) >>>>>>>>>
【今必要な物資】
◆とにかくガソリン
ここには自衛隊が物資を運びに来るという。食料やその他の物資はもう足りているが、とにかくガソリンがないから移動できない、とのこと。
<<<< 宝来館(避難所??) >>>>>>>>>
ここは海辺にある宿だが、高台にあるため津波の被害を逃れた。
どうやら避難している人がいるようで、ある日オカミさんが栗林小学校に「お米をわけてほしい」と、徒歩で現れたそうだ。片道8キロもある道のりを、歩いて来て、お米をかついで帰るのはとても大変だ。しかも災害地区の道を通るので、足場も悪い。
今も食材に困っているのではないかと思い、急いでここへ向かったが、残念ながら手前1.5キロでがれきの山に道がふさがれて車が通れなかった。夜も遅いし、雪も降っている。明日、日のあるうちにまた行ってみることにしよう。皆さん無事でいてくれるといいのだが。

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3月17日 釜石市・本部周辺の情報

今日も午後から釜石へ行き、情報収集を行った
↓釜石市の中心部の現状です
【道路状況】
仙人峠の新道が開通。今日から一般車も普通に通行ができるようになった。
倒壊により通行止めだった市内の4号線も、通行可能。
【衛星電話について】
新町にあるNTT支局に衛星電話がひとつ設置されている。
被災者には口コミでその情報は広がりつつあるものの、被害の大きい地域ほど新町から遠いため、かけに行くことができないのが現状だ。(鵜住居の栗林小学校にもひとつ設置されている)
【携帯電話について】
釜石の中心部周辺では、今日からソフトバンクが通じるようになった。しかし電話を受け取れるが、かけられない状況。ドコモ・AUは未だ圏外。
【電気復旧】
釜石の甲子町や中妻町周辺など、内陸では電気が復旧された。
しかし本部のあるシープラ周辺から倒壊地域にかけては、未だきていない。
【災害ボランティアセンター】
釜石市内の「郷土資料館」でボランティアを受け付けている。
仕事内容と場所は本部からの情報によって振り分けられる。
男性だと、現在ほとんどが物資運搬。
女性は炊き出しや保育、子供たちの面倒を見るなど。
現在、100名ほど登録者がおり、そのほとんどが釜石市内の人々。ガソリンがないため、市外からのボランティア登録はほとんどなし。
なお、緊急小口資金の貸し付け窓口もここで行っている。

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3月17日 現在情報

花巻方面から釜石へ向かう仙人峠について。
緊急車両以外に、一般車両も新道が通行可能になったようです。

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釜石の現状 3月15日

2011年3月15日(火)
今日も物資を載せて釜石へ行くことを決めた。
午前中は東和町のとうふ屋さん「五助堂」からいただいた廃食油を使って燃料作りに専念。午後には昨日避難所で必要だと頼まれたオムツや粉ミルク、下着、靴下、ウエットテッシュ、除菌剤、食料などを花巻市内に行き買い出した。そして農家3件(やえはた自然農園、自然農園ウレシパモシリ、入江さん)を周り、灯油、プロパン、卵160個、みそ25kg、古着などの援助物資を載せて花巻市を16時に出発。


すでに外は雪が降りはじめて周囲が白く染まり始めていた。
今日はさらに寒くなりそうだ。被災者の皆さんにとって過酷な夜となるに違いない。
釜石市内に入ったのは、夕方18時頃だった。

甲子町から海側へ向けて4件の安否確認を行った。直接家を訪ね、扉を叩いた。
未だ電気はきていない。真っ暗闇の中、甲子町の第4、8、10地割の各家を訪ねると、
避難しておらず、家で静かに過ごされていた。どの家族も「食料と水も確保できていて大丈夫」とのこと。一件、灯油が不足とのことだったので、積んでいた灯油をわけた。
このエリアは、津波の被害があった地域枠から5キロ以上離れている。車で町をぐるぐるまわると、倒壊している家はなく、電気が来ていないだけで、他に変わった様子はなかった。
なお近隣のスーパーでは購入制限はありで店頭販売をしていて、卵や食料など購入しているという。

地震から5日目。釜石では交通が確保され、物資も届き、分配システムも比較的に安定してできつつあり、手の届く避難所に物資は届いている模様。しかし、孤立したような避難所の細かいケアが必要となっている(そういった避難所の数も把握できていない)。獣道を徒歩30分かかるような避難所(お年寄りが動くことができない)もある。そこでは物資を手で運ぶしか方法がなく、現地で有志が運んでいるそうだ。外との連絡が難しいため、そういった避難所が、何を必要としているのか、どのような状態なのかが把握できず、他地域からのボランティアも、協力したくても的確に動くことができないのが現状だ。

◆ 通信・電源状況
釜石エリアでは、未だに携帯電波なし。
(TVで携帯を使っていた映像があったとのことだが、現状では携帯は使用できない)。また、ほとんどのエリアが未だ停電中なので充電もできない状態。
昨日から釜石では衛星電話がひとつ設置されたということだが、避難所の場所も広エリアにわたるため、それを知っている避難者もごくわずかだ。ほとんどの人々が通信とれない状態だと思っていい。
ただ甲子町の松倉駅の周辺では、電気工事をしている最中だった。在住の方に聞いたところ「もうすぐ電気がくると言われました」とのこと。
訪れた1箇所の避難所「甲子小学校」では、家庭よりも優先的に電気が得られてはいたが、それ以外の避難所で電気が利用できるところの情報はなし。
◆災害対策本部
釜石市では「シープラ」が災害対策本部。被害者リストもそこにあり、各避難所にいる方々のリストがカタカナで掲載されていて閲覧できるが、全避難所分はなかった。


◆物資について
物資は「シープラ」の三角テントに集められて、各避難所に分配される。
小林さん(議会事務局長)によると、「釜石では毛布の常備がある状態。必要なのは、とにかく食料である。それもお米です。カップラーメンよりも、できればお米がほしいんです。お米は保存もできて、必ず無駄にはなりません。この状態は長期に渡ることが明らかです。とにかくお米を運んできてください」とのこと。

◆ボランティアセンター開設
ちょうど本日3/15日に「郷土資料館」で開設された
(担当者が不在だったので詳細は不明)

釜石小学校に物資を届け終わったのは午後10時を廻っていた。雪の降る中、旧仙人峠を越え2時間かけて、ホームステイ先のやえはた自然農園にもどったのは夜中の12時を過ぎていた。こんな時間なのに藤根夫妻は暖かいご飯を用意して待っていてくださった。泊めていただいているうえに、さらに暖かいサポートはほんとうになんと言っていいのか、感謝。

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釜石の被害地域の詳細と避難所情報

釜石の被害地域と避難所情報を現地で聞きました。
地域名がよくわからないのですが、収集した情報と地図で街の名前を参考にしながら記します。
避難所の数は本部でもはっきりと把握できていないが50以上ある。避難所指定しているところ、もしくは地区で集まって自力で行っている場所もあるので、実際には50以上のかなりの数になる、とのこと。
【釜石の駅から港あたりまでの地域】

港から283号線に沿った川を津波が遡り、釜石駅の手前まで被害が及びました。
石応禅寺はお寺の門の前まで。
15日現在は街の中心を走る4号線のがれきは取り除かれ、端に寄せられ、工事車両が通れるようになった。(一般車は通行できない)
聞くところによるとこの地域においおては、津波が川(南)のほうからと、北西のほうから、その両方向から街を襲ったそうだ。
↓【松原町周辺の町】
※南リアス線の上から、トンネルに入る手前で撮影。
見たところ、山の上にある神社と墓地、山のほうの家は倒壊を免れているが、海側は全倒壊の模様で、松原はほぼ全壊。手前に見える道は283号線。

↓【南リアス線路の上から東の町】
※線路から海側、松原の交差点・釜石松原郵便局方面を撮影

※線路から海側、北方向を撮影

【平田地区】※情報のみ
釜石から向かって
山側は、ローソンの裏2件まで家が壊れた。平田の駅そのものは大丈夫だったが、駅のあたりで泥水となって津波が止まった状態。
海側は保育所の下50mまで津波で家が倒壊した。保育所は大丈夫とのこと。
400〜500名は、釜石商業高校(旧釜石工業)の体育館があるので、体育館に避難している。もしくは100〜200名は、ニュータウン「あいぜんの里」に避難している。平田地区であれば、そのどちらかに避難している方が多い。
【尾崎白浜地区・佐須地区】※情報のみ
※平田の東。海側にあるのが尾崎白浜、その真南の海側にあるのが佐須
どちらとも尾崎白浜の小学校に避難している。
【鵜住居・両石・片岸地区】※情報のみ
聞くところによると、かなり倒壊しているとのこと。避難者は
栗林小学校やきかんしゅうらくセンター上栗林集会所、そして釜石の避難所へと、かなり分散している。鵜住居地区にはヒカタという地区があり、集合住宅がある。そこ辺りで集まって炊き出しをしている人々もいるそう。

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3月15日 今日も物資を釜石へ運ぶ

今日も釜石へ行く。が、その前に燃料を作る。
一昨日、おとうふ屋さんの吾助堂から頂いた油で燃料づくり。
釜石までは往復で180km。今日行く分の燃料はあるけれど、今作っておかないと、明後日からの燃料がなくなってしまう。

昨日より出発が遅くなってしまったが、午後から釜石へと出発だ
僕の支援活動に宿やお食事を提供してくれている「しょうちゃんのやえはた自然農園」。家にあった灯油と食べ物をもたせてくれた。こういう温かいサポートがあるから、僕らも被災地と内陸をいったり来たり、情報収集や支援活動をすることができるのだ。とてもありがたい。

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釜石へ救援物資を運ぶ vol.03 = 倒壊した街 =

避難所へ救援物資を届けた後、情報を集めることにした。
じつは釜石に住む友人のお母さんの安否が不明との知らせをうけていたので
僕らはその安否を確かめるべく住所を頼りに倒壊した街へと入った。
「TVで見た映像は、家の200mほどそば。高齢で逃げられているかどうか…」という。
釜石駅まで行くと警察が封鎖していてそこから先は一般車両は入れない。町に入るにはその周辺に車をとめて歩いて進むことになる。僕はこの町に来たことがないので、地の利はわからない。いつもこの旅で使っているポータブルGPSを車から外して手持ちで目指す方角へと進む。
地元らしい方にその方の名前を聞いてみるが、わからず。GPSに入れた住所を頼りにお宅に辿り着くと無事お会いすることが出来た。到着してみるとお寺は避難所になっていた。すぐ目の前まで津波はきていたが、間一髪で逃れた場所だった。そうして無事にお会いすることができたのだ。ほんとうにほんとうによかった。
お母さんは「私は娘がどうなったかと、とても心配で心配で仕方なかった」と仰っていた。「娘さんはご無事でおられますよ、お母様のことをとても心配されていたんですよ」とお伝えすると、ほっとしたような笑顔を見せて何度も頭を下げるようにしてありがとう、ありがとうとお礼をいただいた。

このお寺さんでもそうだったのだが、未だ多くの避難所には電気がきていない。
こうして倒壊地域にかぶっている避難所は、細々と発電機で最低限の電気を確保している状態、もしくは発電機もない状態のため、外部へ連絡をとる手段は何ひとつない。途方もないがれきの山を目前にしながら、日々必要なごく最低限のものを確保するだけで精一杯だ。そんな中で皆さん助かった同士、身を寄せ合って生きていた。
釜石や他の地域でも、こうして連絡がとれず安否がわからない方が大勢いらっしゃると思う。どうか希望を捨てないでほしい。
※ 釜石に通じる道は一本しかなく、しかも山道は狭い。トンネルは停電中。そこに自衛隊や支援部隊の大型車両が往来する。
ガソリンがない状態で入ったり、渋滞状態になってしまったり、まして事故でもおきれば、避難所の皆さんに必要な物資すら届かなくなってしまう。未だ余震も続いているので、十分注意も必要だ。支援する方はそういったことを十分に考慮した上で行動したい。
街の様子は、目を疑うような光景だった。
ほとんどの家が形をとどめておらず、形はあってもすべてが壊滅状態だ。車も至る所でとんでもない格好でひっかかっている。
大きな道はすでに障害物が避けられていて道だとわかったが、その他の細い道は、瓦礫の山でもはや道がどれだかわからない。
街がまるごと津波によって流されてしまったのだった。


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釜石へ救援物資を運ぶ vol.02 = 避難所が必要なモノ=

釜石では2つの避難所をまわり、情報収集と物資救援を行った。
物資を供給したいと思う人がいても、いったい何が不足しているのか、近隣の地域でさえも情報がないのが現状なのだ。
下記の避難所で不足している物資を聞くと、それぞれ違うものだった。
(例えば、こっちの避難所では水が不足しているが、こっちは水はまあまあ足りている、それよりもこれが……というように
各避難所では、電気がなく電話も通じない、ガソリンも少ないため移動もできない。お互いの通信手段がないので、物資の情報交換などもできていないそう。

避難所の人からは
「救援部隊に、今は◎◎が不足している、と伝えても、足りたころにやってくることもある。そういったタイムラグもあるんです」とのこと。
僕らのように個人で物資を運ぶ場合、ごく限られた量しか運ぶことはできない。対応策としては、食料や日用品、水など必要となりそうなものをできるだけ車に積んでおき、避難所ごとにその時々に緊急で足りないものを寄付していく方法がいいだろう。
もちろん、下記に書いてある以外にも、食料も物資も不足しているし、避難所生活が長期に渡るのは予想がつく。物や量に限らず寄付があれば、どこの避難所も非常に助かるに違いない。
【ガソリンについて】
釜石・遠野ではGSは開店していない、もしくは一般車両には販売していない。
被害の少ない内陸地域でも売り切れ状態なので、手に入れるのは困難と考えたほうがいい。

(下記 3月14日18時頃の情報です)
【釜石小学校】
避難人数は約500名、うち子供は100名弱。
電気は停電中。定期的に給水が行われている。発電機3台を使用。
<<<< 急ぎで必要なもの >>>>
・ 除菌タイプのウェットティッシュ・床を使い捨てでふくようなもの(汚泥やほこりが校内の床に入り込んで、不潔になっているため)
・ パンツ・くつ下などの下着類(中古でもいいので)
・ 歯ブラシ(歯の大きさにあわないので、いろんなサイズがほしい)
・ レギュラーガソリン
・ 懐中電灯
・ 電池
・ ポータブルラジオ
【甲子小学校】
避難人数は約500名、11日目の新生児が1名
今日から電気が一部復旧した。断水状態。今日はラジオを聞いた人々から、差し入れが何件かあったという。
<<<< 急ぎで必要なもの >>>>
・ 粉ミルク
・ 水が不足気味
・ レギュラーガソリン
・ 米などの食料
・ トイレットペーパー
※緊急ではないが、あるといいものとしてお菓子や飴など。

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釜石へ救援物資を運ぶ vol.01 = 釜石への道のり =

2011年3月14日
日本一周の旅の途中。岩手を南下中に、この大災害が起こった。
悲劇的な惨状に、少しでも何かできることはないかと思い、
地元の農家さんと協力して、救援物資の運搬を個人的に行うことにした。
(この数日間、物資を運んだり何か力になれないかと情報収集を続けていたが、花巻市役所や東和町役場、消防署、最寄りの警察署へ行っても、「オファーはうれしいが、個人的な物資の運搬は受け付けられない」「他地域の情報はわからない」というような状態だった。何か運ぼうにも情報もなければ、統率している災害センターのようなものもなかった。ならば、自分たちで物資を運び、現地の情報を収集してこようと思ったのだった。)
農家さんから物資を援助してもらったり集めてもらい、
その物資をバイオディーゼルカーで運ぶ。

今や壊滅的な沿岸の被災地だけでなく、内陸でもガソリンが手に入り難い。
いっぽうで、僕の車は廃油から燃料を作って走るので、ガソリンスタンドの状況に左右されないのだ。
まず岩手の農家「ウレシパモシリ」さんから、救援物資として水とお米と衣料を頂き、車の後部座席に積み込んだ。
14:15頃、釜石方面へ出発。
車中では、AMラジオ”684いわき放送”から
「……甲子小学校の状況は……みんなすべてを津波で流されてしまった人々です。すぐ側まで道路が通行できるようになっているのに、物資がない。飴ひとつを、どうぞあなたにと、わけあっている状態。明日のご飯がどうなるかわからないから、その飴ですら次の日にとっておく人もいるんです。どうか食料がほしい……」と、声をふるわせて涙ながらに訴える女性の声が聞こえてきた。
車中ですぐに甲子小学校の位置を確認。僕らが向かう釜石の少し手前だということがわかる。取り急ぎ、その小学校も目標地点のひとつに向かうことにした。
気になっていたのは、検問について。物資を運んでいても「混乱を招くので通してくれない」とか「関係者か釜石住民でなければ通行できない」という情報だった。それではせっかく行っても、大切な燃料が無駄になるのでは……と足踏みする人もいたのだ。
ラジオのコメンテータは
「燃料の予備が十分にあり、物資を運んでくださる方、どうかお願いします。交通規制をしていますが、食料を見せてくれれば、検問で止められることはないはずです」という。
とにかく行ってみないとわからない。
【東和 → 遠野】
R283を道なりに東へ。
遠野は救援部隊の拠点になっていたが、検問はなし。町ではいくつかの大きなホームセンターなどは営業している。瓦が一部落ちていたり、火事で焼け焦げた家を1件見た以外、乱れた町の様子はなかった。
※「道の駅 遠野 風の丘」には公衆トイレあり
※鱒沢駅近くのデイリーヤマザキは開いていた

【仙人峠 = 新道・旧道のわかれ道=】
仙人峠の新道と旧道の分かれ道で検問あり。
(まっすぐ進むと通行止めにの新道、左へ曲がると通行可能な旧道)
そこで「救援物資を運んでいます」と言って物資を見てもらうと、「お気を付けて」と通してくれた。検問が通りづらいと聞いていたが、物資を運んでいれば何も問題はなかった。そこからは山の間をぬうようなグネグネ峠道が続く。
僕らが出発した花巻町から釜石まで、約2時間弱の道のりだ。

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