秋田運送のBDF精製工場

BDFを作る。そのために、ただ「油を回収してリサイクルしよう」ではなく、「耕作放棄地に菜種を植えて、美しい花を観賞し、美味しくて安全な油を食べて、その廃油をBDFにしていこう」といった一連のストーリーが見えれば、人々はもっと楽しめるし夢も膨らむのではないだろうか。

まさにその一連の循環を作りたいと願うのが「NPOあきた菜の花ネットワーク(以下NPO菜の花ネット)」の活動だそう。その取り組みの中のひとつであるBDFの精製について伺った。

「NPO菜の花ネット」の会員で、県内でBDFを精製しているのは8か所、会員外も含めると14か所で精製しているそう。このネットワーク内では、他へ販売せず自家消費する。つまりBDF100%を作り自己責任で使用している。

この「NPO菜の花ネット」を発足させた秋田運送でも、BDFを精製し、運送車両に使用しているというので、見学させて頂く。

1バッチ約2000リッター。現在はほとんど毎日フル活動なのだそう。

まず加熱して不純物をのぞいてろか機を通し、前処理をしっかり行ってから、エステル交換。メタとグリをとり除いて最後はイオン交換樹脂を使う。

それぞれの行程の各装置を見ると、トラックのサイドバンパーを手すりにしたりと、なんとほとんどが手作り。静置する行程は、いらなくなった列車の貨車を安価で手に入れて、その中で行っている。

「お金はかけない、知恵を使う!」をモットーに、自社のトラックなどの廃材を利用して、できる限り精製機を自作したそうだ。「工場内で唯一他社製のものといえば、油カスの濾過機だけ。こっちの加熱装置はみようみまねで、うちのクレーンの運転手が作ったんですよ。だからつぎ目がほら、見えるでしょう」と工場責任者の阿部さん。

ろ紙の値段が高いので、他の安価なもので代用したり、最後の最後で見えないグリをとるためにねばってみたりと、試行錯誤も非常に熱心だ。

阿部さんご自身も、B100を入れて運転していたトラック運転手。現在は専属で精製担当をしている。「あきた運送方式とか言われています。コップ点検も各行程で行って、品質をチェックしているんですよ」

僕のクルマと同じイオン交換樹脂を使っているところは、日本ではほとんど見られない。しっかりした前処理はもちろん、2000リッター級の精製機を手作りで頑張っているのがすごい。

トラックには、寒期にBDFが固まってしまわないよう、加熱するために工夫がされ、それぞれの箇所でのBDFの温度がわかるようになっていた。このデータを秋田県立大学が解析しているのだそう。

この規模、廃材の利用、熱心な研究に、すごいなーと関心していると……NPOの石田社長さんがいらっしゃった。周囲の反対を押し切り、BDFを作ろうと言い出したご本人なのだそうだ。

御歳なんと89歳。とても若々しくお元気な会長さん。「男のロマンですね〜」と熱心に目を輝かせて僕の車を見て頂いた。

会長さんもB100を使用中。クルマを拝見すると、BDFのステッカーが貼ってあり、天井には”安全パトロール車”と書かれたライトが。「タクシーと間違えられて、手を上げられるんですよ」と笑う。ほんと、タクシーのようだ! 社長さんのお人柄を表すように、清々しく愛らしいおクルマだった。街中では「おじいさんが運転するタクシーみたいなパトロール車は、てんぷら油の匂いがする」と評判なのではないかな!?

最後に、石田さんのご厚意でBDFを30リッターほどわけて頂いた。丁寧に作られたBDF、とてもありがたい。

鈴木さん、阿部さん、そして石田社長。1日ご案内を頂き、ご丁寧な対応をどうもありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています。来年も菜の花が元気よく満開に咲きますように! 応援しています。

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1万人を集めた菜の花まつり@桃野

今年、秋田にはすばらしい「菜の花まつり」で有名になった場所がある。鳥海高原の桃野だ。まつり期間中5月22〜23日には、満開の菜の花畑が。その奥に、雪化粧をした鳥海山の山並みが。県内外からカメラフリークが集まる雄大な景色が見られたそうだ。

鈴木さんの案内で、その桃野へ連れて行ってもらうことに。

今年第一回を迎えた桃野の「菜の花まつり」。そのおまつりを迎えるまでのエピソードがまた情熱的だ。

行政が何十億もかけて平らにしたにも関わらず、火山の粘土層が出て、農家が離れていってしまった。そんなここ桃野の土地に、縁あって「NPO菜の花ネット」が出会う。

視察に来ると……広大な土地の奥に鳥海山がドーン! 「このロケーションは最高だ、ここで菜の花まつりをやろう!」と、ひと目で惚れたのだそうだ。

そこからまたねばりを発揮。NPO菜の花ネットや菜の花プロジェクトを立ち上げた秋田県立大学らが、2007年から桃野で栽培実験を開始。2009年には見事な花を咲かせることに成功し、菜の花まつり開催へ奮闘する。「こんな山奥で祭りをして人が来るのか!?」という反対意見に食い下がり、「とにかく1回やってみようじゃないか」と、県の助成金や市の協力をなんとか得ることに成功した。

こうして行われた桃野での「菜の花まつり」は大成功。なんと……2日間で1万人近くを集めたのだった。この山奥ゆえ、たまたま通りかかったような人はいない。祭りのために来たお客さんが、一万人近く。驚くべき数字だ。

「なんと早朝からアマチュアカメラマンでうもれていたんですよ! ものすごい人だかりで。スタッフは100名みんなボランティアです。こうやってみんなでひとつのテーマでやるというのがおもしろい。何人かが、やるべやるべ〜と本気で思ったら、だいたいのことはできるもんです」畑に芽を出した小さな菜の花を見ながら、鈴木さんは言った。

秋田県立大学では、農工の両学部でBDFの研究を行っている。大学生もスタッフとして参加しながらBDFトラクター試乗や、菜種油の搾油&BDF製造実演なども行ったそうだ。

秋田県内で菜の花が最盛期を迎えるのは5月始め頃だが、ここ桃野は標高が500mを越えるため、最盛期は5月の後半になり、重なることもない。来年もこの菜の花まつりは開催されるそうだ。きっと、すばらしい景観を見せてくれるに違いない。

アイディアを出し合って作った美味しい「菜の花ロールケーキ」をご馳走になった。菜の花油100%使用したそうな。次は何のアイディア商品が出るのか!? 楽しみですね。

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あきた de 菜の花 小集落で循環完結させるNPO

昨日の夜、秋田へ入った。今日は「NPOあきた菜の花ネットワーク(以下NPO菜の花ネット)」を訪問。お話をしてくれたのは鈴木さん。発足したのは今から6年前。活動としては足かけ7年になるという。菜の花を咲かせて搾油するだけでなく、それをビジネスにつなげて「農業と農村を元気にする」のが、最終的な目標だ。

菜の花を植えて、種を収穫、搾油する。集めた廃油をバイオディーゼル燃料にする。ここでの特徴は、その一連の循環を「集落単位という狭い単位で完結させる」ところ。

「同じ秋田県内でも、菜種が穫れた地域のネーミングを付けて、地域ごとの特産物にしている。だから同じ菜種油でも10以上のネーミングがあるんです。そうして、なるべく小さな地域でのつながりを大事にしてやろうというのがこの活動です」と鈴木さん。

農業に還元する、それをこんなふうに実行している。

例えば……休耕田に菜の花を植える。菜の花は2年経つと連作障害が起きるので、大根など別の作物を植える。もともと休耕田だったその土は、2年間菜の花を植えることにより、いい土壌が作られているので、畑にするにも都合がいい。

ネットワークの会員には料理研究家や様々な分野のエキスパートが揃っている。そこで彼らが力を発揮するのが”新商品の開発”。「異分野の会員とコラボすることで、ひとりではまったく想定できない商品が出来上がるんですよ」。「ナニナニ作ろうよ、この指とまれ〜」と声をあげれば、各得意分野の者たちが立ち上がる。

近年のヒット商品、例えば”ら〜油”。秋田ブランドの流行ら〜油を作るのに、できるだけ秋田の材料にこだわった。野菜は農家から等級ではなく、キロ単位で丸ごと買い上げて、新商品の材料とする。そうすれば、農家も姿形の悪い野菜を捨てることなく、無駄なく売ることができるというわけだ。

ちなみにこのら〜油、1000円と決して安くはないが、工場フル回転でも生産がおいつかないほどなのだそう。味も2種類あって、比内地鶏入りも入っているそう。おもしろがって作っているのが伝わってくる。

「半分遊びなんだけど、半分真剣! でもその遊びの部分がないと、じつは長く続かないでしょう」と鈴木さん。

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平成の一休さん、椿魚さんに会う

旅の途中で出会った音楽家が、秋田へ行ったらぜひ会って!と紹介してくれた方と、お会いすることになった。その名も椿魚さん。椿に魚で”チンギョ”さんと読む。じつは羽黒の山伏、星野さんをご紹介して頂いたのは椿魚さんなのだ。住んでいらっしゃるという男鹿半島に僕らが到着したのは、夜も遅くのことだった。

夜8時すぎ、お宅へおじゃますると電気自動車がとまっていた。個人宅のガレージに止まっている電気自動車を見るのは、なかなかないことだ。聞けば、ある会社と一緒に、東北で一番はやく電気自動車を走らせたんだとか。「この前電気が足りなくなっちゃって、小さな商店に入ってさ、おばちゃんに電源借りて走ったよ!」と椿魚さんは笑う。

その椿魚さんのパワーがとんでもなくすごい! 会話のスピードもバイタリティも人の5倍はある。24時間連続講演したことがあるほど、寝食も忘れてトークができるそうなのだ。

椿魚さんは、戯遊誌画人と名乗るアーティスト。書や誌、絵も描く。必要であればプロデュースも行うし、人と人のかけ橋にもなる。その行動範囲は枠にとらわれない。

その経歴もまたおもしろい。約30年前にデザイナーという職を捨て、博多を出て旅をする。その旅は、海と山を交互に3年ごとに場所を変えて北上していくというもの。3年山に住んでは去り、また3年海に住んでは去り……を30年も続けて、今は海に近い男鹿半島にいるというわけだ。最後は宗谷岬で没したいということで、3年ごとの計算をしながら、未だ北上中。

現代の社会のあり方に喝!のお言葉を発しつつ、「平成の一休さんになりたいんだよね」と優しく笑う椿魚さん。そのお話はとまらない。あっという間に2時間が過ぎていった。


椿魚さんがご飯を食べましょうと連れていってくれたのが「福の家」さん。ここはじつは親子の秋田三味線ライブが聞ける礒料理屋さん。美味しい食事の最後に、なんとご主人の伊藤さんの親子ライブをご披露頂いた。それがほんとうにすばらしかった。津軽三味線との違いも聞かせてくれたのだけれど、津軽三味線とは違って、秋田三味線の音色はとてもやさしくて流れるよう。息の合った親子演奏もお見事。大感激の夜を過ごした。

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BDFを精製する「めばえ幼稚園」

大聖坊を後に、北へと走り始める。次に向かったのは金山にある幼稚園。

じつは大聖坊で一緒に宿泊していたかたから「すばらしい幼稚園があるので、ぜひ立ち寄られたらいいですよ」と紹介して頂いたのだった。

その名は「めばえ幼稚園」。電話すると残念ながら園長先生は不在とのことだったが、見学をさせて頂けることに。

まず門を入り、なんと目にとまったのはBDFの精製機。5年ほど前から幼稚園の送迎バス2台にBDFを使用しているそう。油は近くの給食センターやホテル、子供たちの家からも持ってきてもらう。環境と体に優しいものをという理念のもと、園長先生自らせっせとBDFの精製をされているのだそうだ。ドライバーの大場博さん、大場英輔さんに、そのバイオディーゼルカーを見せて頂いた。バンのほうは、ペインティングがとってもかわいい!


「菜の花の種を子供たちに配り、次の年に穫れた種をもってきてもらい、その油で天ぷらをしたり楽しんでいます。園内の畑で農薬を使わないで子供達とお野菜を作って、みそ汁にしたりしているんですよ」と、案内をして頂いた保育士さん。

幼稚園を見せて頂くと……なんと柵のようなものは一切ない。どこから出入りしてもいいのだ。遊具も自然素材のもので作られていて、工作で使うガムテープも燃やして無害なものを選んでいるそうだ。

「自然に勝る教師はない」と、柵を作らずに、草や木や虫、すべての自然に触れながら生活できるようになっている。ポニーや鶏、うさぎ、犬の動物も飼育しているのだそうだ。

「そこにあるピザ釜も、ニワトリ小屋も、ぜんぶお父さんやお母さんたちの協力でできたものなんです。裏山にはツリーハウスがあるんですよ。よかったら自由に見ていってください」と。


歩くこと1〜2分、園舎から続く裏山へ登ると……なんとすてきなツリーハウス! 眺めもとてもいい。童心にじんわり火がつくように、ワクワクしてくるのだった。杉林の緑に包まれた土の小径もとっても気持ちがいい。最近ではめっきり見なくなった裏山がという自然が、こんな形で体験できるとは思ってもみなかった。

園内の校舎に入ると、木のぬくもりにあふれた手作りのおもちゃがいっぱい。「土の絵の具」や古くなった椅子からできた「手作りの積み木」とか。自然素材のモノたちがじつに優しい空間を作っていた。中でもすばらしいのが、木の遊具。登れるものがケヤキの木、中が空洞になっていて出入りできるのがトチの木。チェーンソーアートのお父さんが作ってきくれたそうだ。これは楽しそう!


自然に触れながら、お父さんやお母さん、地域の皆さんと協力しながら子供を育てていく。すばらしい幼稚園だと思う。きっと、人も含めすべての自然を大切にする気持ちを育み、心身ともにすばらしい方向に子供達は向かっていくのではないかな。

現在、園児は66名。来年は保育園と合体する予定。千葉県の我孫子にも同系列の幼稚園があるそうだ。今回は井上園長とお会いできず非常に残念でしたが、機会がありましたらぜひお会いさせていただきたいと思います。

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修験道 & 宿坊

7時頃起床。この宿坊に同じく宿泊していた皆さんと朝ご飯を頂いていると、山伏の星野さんら修験者が帰ってきた。早朝の修行を終えて、戻ってきたところだった。彼らの修行の最後となる、勤行を僕らも一緒にとなえさせて頂く。


今日は首都大学の学生さんのゼミの皆さんがやってきた。星野さんが修験道についてお話をされるということなので、一緒に聞かせて頂くことになった。

「山伏はすべて “承けたもう” の精神なんだ。だから人は拒まないのだよ」

昨日の夜に到着したばかりで初対面である僕らを、貴重な祭りに連れていってくれ、寝床を用意してくれ、こういったお話の場にも清々しく迎え入れてくれた星野先達は、そう言って話をはじめた。

「修験道とは、そこに身をおいて初めてわかる学問なんだね。本や映像を見ても、まったくわからない。修験道は生き様そのものなんだ。私自身が何度も身をおいてきているけれど、まだわからない。よく”祈りの言葉は何ですか?”と聞かれるけれど、それは何度何度も身を置いてもやってきて、そうして”わかって”くるものなんです……」

星野さんは優しく、力強い口調で話を続けてゆく。

星野さんはこの羽黒の宿坊「大聖坊」の三男として生まれ、昭和46年25歳のときにこの宿坊を継承した。「尚文」という山伏名を拝命し、現在では山伏の修行体験を指導している。かつて宿坊の村であった羽黒だが、現在ではこのような山伏体験のできるところは、わずかにここ大聖坊のみ。

星野さんは山岳思想や修験道について説き発信するだけでなく、その活動はじつに幅広くて柔軟。自身のほら貝とトランペットで奏者とでコラボレート演奏もしたことがあるそう。

「古きよきものに立ち返りながら、新しくよきものも取り入れていく」

そういった信念のもと、修験道から学び、つながってゆくあらゆる世界の話を伝えている。

修験道とは日本古来の山岳信仰における日本独特の宗教のこと。日本の霊山を修行の場として、深山にこもり、厳しい修行を行う。「山に伏して修行する」という姿から山伏と呼ばれる。

修験道を行っている霊山や社寺は、ここだけでなく熊野など他にもある。だが、ここ羽黒について、星野先達はこう言う。「庶民の匂いがする。完全な民間信仰です。とても素朴な民間の心を感じるのが羽黒修験なんです」。羽黒では、いちばん多いときで336の宿坊があったという。当時の集落の世帯数は約400だというから、なんとここに住んでいた9割は山伏であったことになる。

「修験道とは農業とは切ってもきれない関係にある。出羽三山の祭りはすべて農業と関係しているのだよ。大和の時代から日本の税は米であった。その稲作の技術と共に、農業をするうえでの精神的な世界がずっとそばにあった。権力者の側には必ず精神的な世界を説く修験者がついていた。近世までそういった精神をその役割を修験道が担い、ひっぱってきたんです。日本の原点は農業なんですよ。農業が元気よくなかったら、地域は元気にならない……」と星野先達。

まさにそれが山伏たちの冬の修行、「冬の峰」象徴される。ご神体として興屋聖に備えた五穀に稲魂をつけて100日間かけて五穀豊穣を祈願する。その稲魂のついた稲もみは、お札といっしょに農家に配り、それを農家は春に田植えで大地に返したのだそうだ。

……と、お話しを聞いていると、ちょうど帰ってきた一番弟子を見て、星野さんが立ち上がった。

「おおっ、大三郎が梵天をいただいてきたよ! これはね、十界修行の天狗相撲で5人抜き、10人抜きしないともらえないのだよ。うちからこれを頂いてきたのは2人目なの。そうかそうか……大三郎、たっぷりお酒をのみなさいよ」

星野さんは誇らしげにお山の霊気の宿る梵天を見せてくれた。とてもうれしそうに目を細めて。

一番弟子とは坂本大三郎さん。彼の本職はイラストレータで、3年前からここに通っているそうだ。昨年からは秋の峰に入り、8月は毎日修行していたという。近々「僕と山伏」という本も出されるそう、とても楽しみだ。


……山伏のお話はもちろん、庶民の暮らしと農や、さまざまな歴史をお教え頂いた約1時間半、ほんとうにあっという間だった。星野さんに教えて頂いた修験道の精神と業。ここには僕らがもう一度立ち返るべきものがあるように思う。それは目に見えないけれど、とても大切なものに間違いはない。

星野先達、奥様、大聖坊の皆さん、貴重なお話の数々を本当にありがとうございました。

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羽黒山で「八朔祭」

夜、羽黒山のある宿坊「大聖堂(だいしょうぼう)」へと向かった。この宿坊をひらいているのは、星野さんご夫妻。宿坊とは修険道を行う山伏や檀家さんたちが宿泊したりする御宿のこと。星野さんは山伏として修行を行いながら、修行の体験希望者も受け入れている。この日はちょうど山伏修行の「八朔祭」があるとのことで、いっしょに見学をさせて頂くことになったのだ。

大聖坊に到着すると、ちょうど八朔祭へ行くための準備をしているところだった。星野さんの元、2泊3日で山伏体験修行をされている人々がこの日は5名。今日で2日目だという。この2泊3日の間は山登りや滝行、南蛮いぶしなどの修行が行われる。食事は一汁一菜、風呂も歯磨きも許されない。この山伏体験を行いたいと訪れる半数は女性なのだそうだ。

昔は春夏秋冬でそれぞれ山伏修行があったそうだが、現在は秋の修行「秋の峰」と「冬の峰」が行われている。秋の峰のはじまりには、お山に入っていく。そうして修行を重ねる。このお山は胎内である。つまり秋の峰は「擬死体験」をすることになる。生きながらにして自ら死す。そうしてしっかりと命と向き合い、最後は業を終え、生まれ変わって再生するという意味をもっているのだ。

夜の10時。羽黒山で「八朔祭」が始まった。日本各地から集まり「秋の峰」修行を続ける163名の山伏たちが列をなし、参道を挟むように向き合って並ぶ。

山伏たちはこの数日間山にこもり、風呂も入らず、山を登り滝にうたれ、修行を積んできた者たち。今日はその山伏修行の最終夜のしめくくりとして行われるものだ。

山伏たちは参道に向かい合うように並び終えるとひとりづつ名前が呼ばれ、「承けたもう」と大きな声でこたえていく。そうして護摩壇の大柴灯(だいさいとう)に火を放ち、ぴょんぴょんとはねるような動作で棒を受け取り、火に突き刺して焼き払い、五穀豊穣を祈願する。火柱はぼうぼうと真っ暗な空めがけて煙を出して燃えさかり、荘厳なほら貝の音が響きわたった。

祭りが始まってから約1時間後、山伏たちは最後にその火をぐるぐると回り、去っていった。


「承(う)けたもう」

何かを言われると、山伏たちはすべてこの言葉でこたえる。「すべてのものを受け入れます」という意味。それこそが山伏たちの精神なのである。

この日、大聖坊で修行体験を行っていた5名の中に、じつは僕も以前から知っている方が偶然参加していた。アースデイで皆の平和への願いと祈りがこめられた「虹のリボン」を、この八朔祭の火でおたき上げをするため、修行を共にしているのだという。

星野さんは彼らとともに八朔祭が終わった火の前に立ち、祈りをささげ、虹のリボンをちぎりながら火にくべていった。ひとりひとり、直筆で願いが書かれたリボンは、火になって燃えて、やがて煙となって空へとのぼっていった。リボンが一瞬、虹色に光って燃えて、空高く消えていった。

この夜は「大聖堂」へ泊まらせて頂くことになった。

広い畳のお部屋に、皆で布団をお借りして就寝。昔の山伏たちもこうやって宿坊で寝床を頂いて、山へ修行へと入っていったのだろう。

そんなことを思いながら、いつの間にかうとうと眠りについた……。

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湯殿山参拝

昨夜から湯殿山の参籠所に宿泊し、朝8時に起床。湯殿山のご神体へと向かう。約10か月ぶりの参拝だ。

裸足になって、お祓いを受けてからご神域へと入る。人工物は許されず社殿を設けない。自然のままの神の域に、訪れた松尾芭蕉も一句を残しただけで多くは語らなかったそうだ。

梵字川は月山から流れ落ち、ここ湯殿山の御神体の脇を通る。そのすぐ下は滝があり、龍がすまうという御滝神社として崇められている。山伏はここで滝の行をしてからご神体を拝す。川の御水は真夏でも突き刺すように冷たい。

大鳥居へ戻り、参籠所の方と少しお話していると、なんと御宿の厨房から出た廃食油を頂けることになった。ありがたく注いで頂くことに。宮司の方もわざわざ本宮まで電話して問い合わせて頂く。

参籠所のすぐ隣にある仙人沢売店の方も「この車、かっこいいねって話していたんですよ。廃油はちょうど昨日処分してしまったんですよ、ごめんね」と話しかけてくれた。とてもありがたく光栄だ。

開山しているのは秋まで。冬期には4〜5m雪が積もるという。

またいつか戻ってこよう。

山にご挨拶をして、大鳥居の前で記念撮影をパシャリ。湯殿山を去った。

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湯殿山から月山へ

8月30日、今日も晴れ。猛暑。

今日は湯殿山から月山の頂上を目指す。昨年の10月に来たときは、山には登らずに湯殿山のご神体を拝んだのだが、次に来る時は登山をしようと楽しみにしていたのだ。

少し遅い14時からスタート。たくさんの山伏たちとすれ違いながら、ひたすら登っていく。下りていく人はいても、この時間に登る人は他にいない。

出羽三山の三つの山は、三世を意味する。羽黒山で現世を、月山で死後の世界を、湯殿山で生まれ変わりを体験する。

ということは、僕が今歩いているのは、未来と死後の世界をつなぐ道。たくさんの山伏たちが歩いた修験道の道。一歩一歩険しい道を登っていく。

18時、山頂へ到着。頂上は風が強く、霧に包まれていた。山小屋で20分ほどひと休み。山頂の月山神社本宮はもうクローズしてしまったので、門前で祈りを捧げる。こちらには、月読命(つくよみのみこと)が祀られているという。


目にとまったのは、バイオトイレの建物。山頂だけでなく、8合目、9合目、にもあるそうだ。100円のチップ制。水を使わずに、微生物が混ぜられたおがくずで屎尿を分解、それを再び下ろすというもの。

実際に便器を離れてボタンを押すと中の土がプロペラのようなもので、ゆっくりと混ぜられた。匂いもほとんどしない。山頂で水もいらない、環境への負担も少ない、こんなトイレがあるなんてすばらしい。

あたりはどんどん暗くなっていくが、ヘッドライトをもっているので、予定通り下山することに決めた。途中、夜空を見上げると、満天の星と天の川が見えた。

月山頂上についたときにはもう陽も落ちるところで、肌寒い風が吹き始めていた。誰もいない山頂の中で、美しく沈んでいく夕陽をみたり、折り重なるシルエットが浮かび上がる景色に見とれていた。


月山頂上から見た夕陽


月山頂上から湯殿山方面を見下ろす


月山頂上から見た町の灯り


山道を歩いている時、空には満面の星空が広がっていた

下ること3時間30分。本日の宿である湯殿山の御篭所に着いたのは、夜の10時になっていた。この晩はお風呂を頂き、汗を流すと、倒れるように就寝。

無事に登らせて頂いて、感謝。

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龍岩祭3日目 Rainbow Dragon !!

この龍岩祭は今回で5周年を迎えるそうだ。

「ミュージシャンもスタッフも、全員がボランティア。だからみんなで楽しんでみんなで作る。それがこのイベントなんです」と五十嵐さん。様々なイベントプロデュースや音響などを行う会社を立ち上げ、5年前には地元蔵王に戻り本社をここにもった。そうしてこの蔵王でのイベントを実現させたのだそうだ。


「みんなで楽しみながら、蔵王温泉の街を盛り上げたい。それがこのイベントの目的なんです。はじめのうちは街でやっていたんですけれど……なにせライブは音が大きいですから、怒られてしまって! それでスキー場に会場を移したんですよ。でもこのイベントが街に還元できないと意味がないですから、いろいろ思考錯誤しています」と。

なるほど、ゲストが温泉も気軽に楽しめるように、数キロ離れた街へと送迎するシャトルバスが格安の100円(寄付として100円以上も大歓迎!)で運行中。宿に泊まりたい人のために、パンフレットには温泉街の宿の値段と連絡先などの情報も記してある。

イベントは、地元皆さんの縁の下の支えがあって実現できるもの。僕は五十嵐さんや皆さんのその想いに共感し、応援したいなと思う。

最後に、目の前にある屋台「いもや」さんから油を頂くことができた! フライドポテトやオニオン揚げなど使ったばかりのほかほかな油を25リッター頂戴する。


揚げカスも少ないし、いい燃料になるはず!「廃油の処分に困っていたんです。逆に助かります!」と言って頂いた社長さんの樋口さん、聞けば本職は建築大工さんなのだそう。

頂いた燃料で150km以上は走れそうです、どうもありがとうございました!

昼過ぎ、北へと急ぐ僕らは、皆さんよりひと足先にイベントを出発することにした。

五十嵐さん、皆さん、本当にどうもありがとう! また会いましょう、コラボできる日を楽しみにしています!

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