6/25 山田町_大沢保育園(3)木のおもちゃお届け

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大沢保育園へ「木のおもちゃセット」をお届けしました。
このおもちゃは NPO日本グッドトイ委員会 の皆様に寄付をして頂いたものです。
幼稚園や保育園では、なかなか木のおもちゃの寄付が少ないのが現状です。
みんな真剣な面持ちでおもちゃを抱えて「ありがとうございました」とお礼を言ってくれました。
BDA11606.JPG こちらの保育園では、30人24世帯いた子どものうち、11人の家が全壊、2人の家が半壊。世帯の半分以上の数である13世帯が被害をうけました。
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高台にある保育園の庭からは、以前は見えなかった海が見えます。建物は津波にさらわれ、基礎土台しか残っていません。これが、保育園から見られる毎日の風景です。
この風景を目の前に、子どもたちが外で走り回って遊び、親御さんや先生方もこの中を保育園まで通っています。
現在の状況を園長先生がお話ししてくださいました。
「先生方のうち、3人の職員の家が流されました。それぞれ避難所や自分で住まいみつけたり、親戚のところから通ったりして、がんばって普通どおりに出勤しています。家がなくなった人は気持ちも大変です、仕事しなきゃと思うと時間追われて忘れられる場合もありますが、毎日の出勤する度にがれきの中を通ってくると、毎日海をみながら悔しい思いを感じなければなりません。でも自然のことはどうにももならない。毎日通るたびに、あのときみんなはどういうふうにして必死ににげたんだろう……と思いながら、通るたびに、ここから下を見る度に、あの日を思い出すんです……」
「この保育園は下のほうにある1〜2歳児の部屋と階段が浸水しました。4月1日から給食水と電気なくてもプロパンガスを使えるようにして給食を作っていました。給食のメニューは皆さんには恥ずかしい思いでしがた、お湯を入れてご飯できる非常食などを、お茶碗を洗わなくてもいいように工夫して出していました。水が不足していたので、ペットボトルひとつでうがいして、飲み水にしたり調整して。そのうち自衛隊が発電機をもってきてくれたり、石油ストーブを頂いて暖をとって……と、少しづつ。電気が復旧したのが4月10日くらい、水道も4月中頃まで。電話とFAX通じたのが6月初旬です」
「……この保育園の中に入ったら、子どもは前の生活にもどれるかなと思って、水も電気もないからそのことは心配でしたが、今できることと思いながらやって、ようやく元にもどってきました。保育園はじめますって言っても、震災からずっと1か月は親のもとにいたから、親と離れるのが大変で。避難所のほうがいいと泣いた子もいたんです。子どもは食欲もありませんでしたね。食べたことないようなものを出していたこともあるし、子どもも疲れていたんでしょうね。胃腸の状態もよくありませんでした。だから “無理して食べさせなくてもいいよ” と言いながら。子どものあるがままをうけいれながら。泣いたら泣いてもいいよ、食べられなかったら食べなくてもいいよと。食べなきゃダメ、じゃなくて、負担かけないようにしながらやってきました。ただお母さんにはちゃんと状態を知らせながら」
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地震当日、園内にいたお子さんは無事でしたが、地震直後にご家族が迎えにきて引き取られたお子さんが、残念ながら津波の犠牲となりました。
逃げ遅れたお祖父さんやお祖母さんが津波にのまれてしまったご家族も少なくないそうです。
幼稚園の前には、過去の大地震と津波への慰霊塔が、静かに建っています。

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