トヨタフランスのガレージで整備

7月21日(月) 31℃

この先、東ヨーロッパを抜け、ロシアに入ることになる。その前にアメリカ、ヨーロッパでの走行をねぎらって車の点検整備をしておきたい。パーツや言葉の問題などを考えると、このパリでの整備が最後のチャンスになるかもしれないからだ。

整備を心よく引き受けてくれたのは、2007年のダカールラリーの車を作ってくれたトヨタフランスだ。メカニック達はみな顔をよく知ったものばかりで、心が和む。それに彼らは、今次回ダカールラリーなどレース専用の車両を制作中だ。このガレージはレースカーのスペシャリストが集まったメカ達だけあって、強者ぞろいなのだ。レーシングカーではない普通の車を持ち込んでの整備なので逆にちょっと申し訳ないかも・・・。僕の車を担当してくれるのは、若手メカニックのマーニュだ。英語を話し、動きもよく、明るいので一緒にいて楽しい。



今回のプロジェクトに協賛していただいているダンロップから新しいタイヤが届いていた。今まではアスファルトが多かったので、燃費重視でロードタイヤ(PT2)を履かせていたのだが、この先路面がどうなるかわからない。ましてロシアやカザフスタンの悪路を走る事も想定してAT2を今回は選んだ。

僕のすぐ右隣には次回ダカールラリーに出場する片山右京さんのラリーカーが置いてあった。昨年は、ダカールラリーに同じバイオディーゼル燃料で走ったことを思い出すと、なんだか不思議な縁を感じてしまう。

夕方から齋藤さんとトヨタのダカールラリーチームのマネージャーの奥地さんの紹介で「うま味庵」に寄らせてもらう。ありがたいことにシェフのイナッチさんが以前から油をずっと貯めていただいていた。


※顔写真のアップは後で廃食油給油者のサイトで見る事ができます。

走行距離:0.5km
廃食油:65L
お世話になった人:トヨタフランス従業員、うま味庵(イナッチさん)

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大掃除

7月20日(日)29℃

今日は車の中の大掃除だ。明日から車の整備に入るので、その前に車の中にあるものをすべて出して、いるもの、いらないものを分けて掃除することにした。久しぶりに掃除をしたのですっきりした。

このプロジェクトの中でずーっと、グリセリンを分解する土を実験しているのだが、新しい素材を日本から送ってもらい、さらに酸素を送り込みシステムを作ってみた。グリセリンを分解してくれるか楽しみだ。今のところかなり調子がいい。


走行距離:0
廃食油:0

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パリ2日目

7月19日(土) 32℃

さっそく朝から昨日集めた廃食油をプラントに注ぐ作業が始まった。さっちんが主に廃食油をろ過し、僕はメタノールなどで反応の準備してバイオディーゼル燃料を作って行くことにする。彼女にやり方をいちいち説明する必要も無いので、本当に楽でありがたい。今泊まっているホテルは心よく電源を貸してくれている。ホテルの駐車場で発電機を回しては、迷惑なことは間違いないしね。

午後に齋藤さんと待ち合わせてshu(修)に行く。

Restaurant Shu

オーナーの鵜飼 修(おさむ)さんは、2000年に他の日本レストランのオープン時に渡欧。その後、友人の立ち上げたレストランを2縲怩R年手伝い、1年前(?!)にオープンしたという。揚げ物、串揚げ専門店。中世の香り高いサンミッシェルの小さな通り沿いにあり、にじり口のような小さなドアをくぐって、ごっつい白い壁がチャーミングな店内に入る。紹介してくれた斉藤さん曰く、「パリで1,2を争う、イケ面日本人シェフ。お邪魔したとき、ちょうどスタッフはおいしそうな賄いの、コロッケらしきものをほうばっていた。


魚梁瀬(ヤナセ)

シェフは井山英貴さん。この店は2007年にオープンし、炉辺焼きと創作料理のレストラン。(オーナーのお名前を聞き忘れてしまいました。ごめんなさい。)27歳という若手のシェフが腕をふるいカウンターで調理して、大きなしゃもじで渡してくれるのが特徴。備長炭をつかった野菜の焼き物も、とてもうまかった。焼酎をおいている。一緒に行ったコリアンのうーちゃんは、「美少年」の酒をボトルキープしていた。盛り付けはとてもモダンで繊細、主にカップルでにぎわっていました。



最後のデザートはバイオディーゼルアドベンチャーのプロジェクトのために用意していただいたもの。すっげ縲怩、まい!

走行距離:45km
廃食油:Shu 60L、魚梁瀬 25L
お世話になった人:鵜飼修(Shu)、魚梁瀬のみなさん

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パリで廃食油さがし

7月18日(金)

午前9時にTRF(トヨタレーシングフランス)のガレージにバスコファイブを持ち込み整備の段取りをする。その事務所で久しぶりにさっちんに再会する。約2ヶ月半ぶりくらい経つだろうか。彼女はこれまでアメリカのデータをまとめたり、ヨーロッパで行く先々での情報を送ってくれアメリカからヨーロッパの行程をバックアップしてくれていた。アメリカの用事も一区切りつけて、駆けつけてくれたのだ。心強い味方がここで加わってくれ勇気百倍だ。

午前11時にパリ在住のカメラマン、齋藤よりこさんとオペラの近くのファーストドンで待ち合わせる。齋藤さんとは昨年、メールと電話で話した事があるだけでお会いするのははじめて。なのにパリの知り合いの日本食レストランなどいたるところに当たってくれていたのだ。

ファーストドンのオーナーの安田さんは車を店の前につけるやいなや飛び出してきて、廃食油をさっそく持ってきてくださった。さらに道中食べなさいと言って、おむすびと唐揚げなどお弁当を手渡しされた。なんと特別に作っておいていただいたのだ。さりげない心使いが本当に身にしみてうれしい。丼ものや麺にのせる天ぷらを揚げることが多いファーストドンの油を、さっそく安田さん、金子さん、浅田さんにプラントの中に注いでいただいた。浅田さんの東京の実家がなんと僕の家と一丁しか離れていなと聞いてこれまたビックリ。


向かいのレストランからも数リットルだが油を持ってきてくれたり、となりのカフェのご主人も油を入れてくださった。なんだか連鎖反応的に沢山の人達に油を入れていただけるのは、嬉しいの一言につきる。南フランスからパリまでは一人だったので、自分以外のひとの力でこんなに一度に油が集まって行くのがなんだか信じられない。


モモの木の渡部さん

「国虎屋」は、2007年のダカールラリーにランクルで出場したときに、この近くのホテルに泊まっていたので、ここにはよく来た事があった。2008年にこんなことでお世話になるとはそのとき思ってもみなかった。若い従業員の方たちもいつも元気がよく、気持のよいお店だ。

なんと100リットルを越える量をとっておいていただいたので、目標の400リットルに一気に近づいてきた。すごい!

午後2時、「ボンズール」というフリーペーパーを作っていらっしゃる安田さんにお会いして、取材していただく。このボンズールは日本人が読んでももちろん面白いが、日本に興味があるフランス人にとっても興味深く読める内容になっていて楽しい。例えば、日本語を勉強するときに教科書に載っていない様な日常会話、使いやすいことばなどが説明されている。「どうも」という言葉をどういう風に使えばいいか、「まいど、どない」、「ぼちぼちですわ」などイラスト付きで紹介されている。次号で1ページ、このバイオディーゼルアドベンチャーのことを取り上げてくれるそうだ。

そして、右の写真が、パリのレストランを紹介していただいたり、通訳していただくなど大変お世話になっている斎藤カメラマン。

次に寄ったのはレストラン「DOMINIQUE BOUCHET」。オーナーのドミニクさんやお客さん達に油を入れてもらう。

フランスはサラダ油を車に入れるとうるさいんだよ。と言われ、アメリカではポリスにあったけど、とても良いプロジェクトだと言われ、10ドル札をカンパしていただいたことを話すと、ドミニクさんはそれじゃ僕もといって10ユーロをすかさず出してカンパしていただく。


さらにこの後中華街にあるタイ料理屋「タイロイヤル」に連れて行ってもらった。齋藤さんのよく来るお店で、オーナーのサムさんは、この車をみるなりすごく興味を持ったようで熱心に質問された。さらに沢山貯めてあった廃食油もしっかり分けていただいた後、美味しいタイ料理とさらにデザートシェフの亮太郎さんが作るすごい!!デザート!!をいただき甘党の自分としては大の大満足。

走行距離:54km
廃食油:147L
お世話になった方:ファーストドン(安田、金子、浅田) ももの木(渡辺) 国虎屋(野本オーナー、細川、Thoyer) DOMINIQUE BOUCHET(ドミニク、よりこ夫人、佳子) タイロイヤル(サム、遼太郎)

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いざ、パリへ

7月17日(木) 28℃

朝、7時に起きた。外はまだ薄暗いが今日こそパリへ向かうぞと誓う。

イタリアのブラで集めた40リットルとこのイビスホテルでいただいた40リットルの燃料の精製が終われば、パリまで何とか走れるはずだ。ここからパリまで約550kmほどある。通常80リットル精製できれば約600キロほど走れることになる。ただし、アップダウンやカーブがあまりなく、燃費走行したコンディションのいい状態でだ。

今日はほぼパリまで高速道路をつないで走るので燃費はそう悪くないはずだ。エンジンを2000回転ほどで走るのと2100回転で走るのではトータル20〜30kmも走行距離が変わってくる。パリに着けるかは運転の仕方にかかっているというわけだ。どちらにしても燃料がぎりぎりなのでパリのホテルにたどり着けることを祈るばかりだ。

昨日から作っている燃料は最終のフィルタ竏窒オて今日の午後7時ころにできあがることになっている。それまでこの旅の様子を掲載してくれる雑誌の原稿書きに専念することにする。


午後7時、燃料がやっと完成した。ホテルの従業員に別れを告げ、レマン湖にさよならの挨拶をして、A40という高速道路を西に向かった。陽が9時ころまで沈まないのでしばらくは快適な走行を楽しむ。およそ時速95〜100キロほどのスピードで燃費走行に徹する。制限速度は130キロなので本当はそのスピードで走れば早くパリに着くが、ここはじっと我慢。パリに入ったのは、すでに1時半をまわっていた。パリの入り口ですでにエンプティランプが点灯していたが午前2時にはなんとか予約していたホテルに滑り込めた。やった縲怐Aパリに着いた。

走行距離:540km
廃食油:0

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油とインターネット

7月16日(水)32℃

昨夜ジュネーブの近くのイビスホテルに泊まることにした。燃料がエンプティであと10kmも移動できない状態だった。ホテルのマネージャーに事情を話すとすぐに電源を貸していただき、油まで持って行っていいよと心よく承諾してくれた。従業員もこのプロジェクトにとても関心を示してくれ、気持ちよく泊まることができた。

昨夜、廃食油をプラントに給油するだけで朝の4時までかかった。標高が高いのか夜はかなり冷え込んだ。久しぶりにフリースを着ての作業だった。油を濾過するのに夜間は油が固まりやすくフィルタ竏窒ハらないからだ。そこで今日は昼間暖かいときにフィルタ竏窒キることにした。夜は満室になるホテルだが、昼間はまったく泊まり客はいないので気兼ねなく燃料を作ることができる。それにしても昼間は暑い!


ホテルの4階の自分の部屋から見えるレマン湖。右は自分の部屋から見えるバスコファイブだ。なかなかこんな位置から車をみることができない。昼は油がさらさらで作業がはかどる。しかし、同時に連載している雑誌の原稿の入稿が迫っていて、油とインターネットの往復で1日が終わってしまう。

走行距離:0
廃食油:40リットル
お世話になった人:イビスホテル従業員、Christophe Feuillet, Romain Maulet, Aurore Tivelet

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カルロ・ぺトリーニ氏


ステファニアとマルコに連れられてスローフード大学からホテルに移動して、スローフード協会の人達とお会いする機会があった。ホテルのカフェでいろいろ話をしているとその後ろを通り過ぎた初老の男性が立ち止まって、もしかしたらバイオディーゼル燃料で走っている人は君かい? と話しかけられた。すでにステファニア達から今朝話しを聞いていたのだろう。

彼はスローフード協会を立ち上げたファウンダーのカルロ・ぺトリーニ氏だった。忙しい人なのでめったに会う事はできないと聞いていたが、せっかくの機会なのでバスコファイブの止めてあるパーキングまで一緒に行き、バイオディーゼルカーを紹介した。

喜んで油を注いでくれとてもいいことだからぜひ続けてくれ、と激励の言葉をいただいた。


スローフード協会について(以下抜粋)

「スローフード」という言葉の由来は、15年程前、イタリアのローマにマクドナルドの1号店が誕生し、マスコミで騒がれていたころにさかのぼり、のちにスローフード協会の会長となるカルロ・ぺトリーニ氏が仲間たちと食卓を囲んでいたとき、ファーストフードの脅威という問題が話題にのぼり、だれからともなく口にしたのが「スローフード」という言葉だったそうだ。

そして冗談のように口をついたこの言葉は、1986年に北イタリア、ピエモンテ州のブラという小さな村に「スローフード」協会を発足させることになり、世界38カ国、132の都市にあわせて約8万人の会員をもつ一大組織になった。今も、その小さな村に国際本部がある。

「スローフード協会」は基本的にNPO(非営利団体)で、いわば食文化のボランティア団体。主な活動内容は消費者に正しい情報を伝えるという見地からの 出版活動と、オリーブ油やワイン、チーズなどの試食のための会食。質のよい食べ物を守り、そして違う人間同士が顔をつきあわせて食事をし、大いに語り合う、という一見当たり前のことが、スローフード運動の核になっている。



お世話になった人:Stefania SIRAGUSA、Marco SERVETTO、Riccardo
Migliavada、
カルロ・ぺトリーニ、スローフード協会

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スローフード大学








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ピザリア「サンタルチーヤ」

午後3時頃、システロンのイビスホテルを出発。イタリアのブラに着いたのは夜10時ごろだった。街の商店街はすでにしまっていてレストランは開いていない。カフェで地元のイタリア人に教えられてピザリアを紹介してもらう。

このあたりでは唯一開いている店だった。サンタルチーアというピザリアでは歳のいったおばあちゃんとあばさんらしき2人がきりもりしていた。後は数人の男性があつまり軽食を食べながら雑談していた。店に入るとみなれない東洋人が入ってきたという感じで、ジロジロとみられたがおかまいなしにテーブルにつく。当然店の人はイタリア語しかはなさない。メニューをみてスパゲティがあったのでカルボナーラを頼む。やっとスパゲティらしいパスタが食べれると思うと期待で胸が躍る。

たしかに出てきたスパゲティはアルデンテの腰のあるパスタだった。感動とともに黙々と食べる。一通り平らげた後でもちろんデザートを頼む。(頼んだのはテラミスだ!)

そこでせっかくなので廃食油があれば分けてもらおうと思い、席を立ち上がって英語でだれか英語を話す人はいませんか?と大きな声で話してみる。するとピンク色のTシャツを着た男性が手をあげてくれた。さっそく事情を説明して廃食油をさがしているというと、なんと彼の彼女(奥さん)はここで働いている従業員だった。すでに私服を来て帰るところだったが彼女に彼が頼むと奥に行って油を確かめてきてくれる。なんと廃食油があるという。

裏の物置の様なところにいくとなんと40リットルもあるではないか!すごい。言ってみるものだ。

さっそく、車を遠い駐車場から取りに行く。店の前に置いてお披露目をする。

中庭に車を移動して廃食油をひしゃくで組んでいると扉の向こうで沢山の光る目がみえた。みんな興味ぶかげに見ている。

実は、この街にあるスローフード協会にあるレストランで食事をしたくて寄ったのだと話すとその見に来た中にスローフード大学の学生がおり、先日勉強に日本の名古屋に行ってきたという。そのカップルは英語が堪能で、このバイオディーゼルカーにもとても興味があるという。ジャーナリスト志望で記事を書いたりするので是非明日スローフード大学に遊びにこないかということになった。それとスローフード協会にも知り合いがいるので連絡して会わせるようにしてくれるということになった。偶然とはいえ本当にありがたい。

廃食油を補給した後、車が安全に停められ、近くにあるホテルをMASSIMOに連れて行ってもらう。ベストウエスタン宿泊。地下駐車場は完璧なまのでセキュリティがなされていた。ありがとう、マッシモ!そして結婚おめでとうございます。末永くお幸せに。

走行距離:245km
廃食油:40リットル
お世話になった人:MASSIMO CAVALLOTTO、Stefania SIRAGUSA、Marco SERVETTO

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カルカッソンに入る

7月8日夕方、カルカッソンに到着。

町で長谷川さんおすすめの中華料理店で夕食をとる事にする。仕事の関係でここにもよく来るそうだ。

食事の後、廃食油はないか聞いてみる。心よく調理場を探してもらうが業者に出した後で油はなかった。でも車をみたいと言われ、車まで案内した。3人は兄妹のようで上のお兄さんはカナダのケベックに住んでいるという。3人とも英語がたっしゃだった。カメラ、カメラと言って店にカメラをとりにいき、話もはずんだ。


ペルピニャンからカルカッソンに移動
走行距離:143km
廃食油:0

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