ジョンソン宇宙センター

4月6日(日) 晴れ ヒューストン→ビューモント

夕べ僕たちは食事中に燃料の精製(化学反応の部分)をした。デルはとても効率の良いメタノール回復をしていて、ぼくらのグリセリンを引き取りたいと申し出てくれたので、グリセリンを抜いてから朝もう一度彼の家を訪ねた。

昨日ディベートの大会に行っていて半日留守だった息子のダスティンは、16歳にして廃油を集めバイオディーゼルで古いベンツに乗っている。明るい時間に写真を撮りたいと言っていたので、ついでにバスコの運転席に乗せてあげたら、しっかり者の高校生もニコニコ顔の子供にかえったようだった。



ニューオリンズ方面へ行くにあたり、ヒューストンの町を通り抜けていくことになる、そのルート上にちょうどNASAがあったのでせっかくなので後学のために立ち寄ることにした。ジョンソン宇宙センターでは歴史的展示やトラムでのツアーに参加したり、巨大なロケットエンジンを観たが、やはりロケットパークが見ものだった。いくつもの金属パイプやモーターを見ると、毎日車のエンジンやプラントとにらめっこしている僕らは、この上もない親しみを感じる。子供の頃、人間の月面着陸のニュースを聞いたときの畏れの感覚を思い出し、残念ながらバスコファイブと打ち上げ台のツーショットは実現しなかったけれど、今日は数時間ここで過ごすことができてよかった。





ヒューストンを出て、インターステイトを走る。急に大きなコンビナートが見え始め、ここはテキサス、石油で経済が成り立っている州であったと思い知らされた。サッチンは「うわぁ00。」と閉口している。ぼくも同じ気持ちだが、これが世界の現実だ。目をそむけるわけにはいかない。そう言えばコロラドの大学でデモをしていたとき、サウジ出身らしい学生が寄ってきて、冗談交じりに「君たちのプロモーションがうまく言ったら、僕の国の経済はどうなるのさ?」と言っていたっけ。僕らはテキサスの中では特異とされるグリーン町オースティンを訪ね、自分でBDFを作るグリーンな人たちとだけ会ったから、あまり実感はなかったのだが、これがテキサスの顔であることを否定できない。

しばらくするとサッチンが、「このあたりから湿地帯が増えてくるはずよ。」とささやいた。するとタツヤが「今、いい感じの湿地帯が右手にあった!」というので引き換えしてみると、ハイウェイ沿いの小さな駐車場のわきから、木の手すりが渡っている。遊歩道を歩いていくと、その先に小さな湖のような湿地帯があり、鳥のサンクチュアリかと思えるほど無数の白鷺かと思われる鳥がとまっていた。水草の生えた入り口には「ワニにえさを与えないでください」という看板がたっている。

ってことは、水面に見え隠れする黒いようなごつごつしたものが・・・。突如として、大きなくちがぽっかりと開いて、ワニの顔が現れた。夕日に当たって、鳥たちが飛び交い、草もワニも木々も美しい。ほっと一息つくことができた。

少々油を売ってしまったので、今日はビューモントという町で夜を明かすことになった。明日はいよいよディープサウスと呼ばれる地域へ入っていく。

廃油回収 0L
走行距離 250km
サポーター:デル、ダスティン、イレイン、ジョー

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ドライフィルター方式

4月5日(土)晴れ ヒューストン

朝9時半デルに電話をかけると、「すでに人が集まっているから早くいらっしゃい。朝食?コーヒーとドーナッツがあるから大丈夫。」との返事だった。デルは、ウェブサイトかヤフーグループのフォーラムで僕らを見つけ、連絡を取ってくれたサポーターだ。このアドベンチャーもカナダを出発して2ヶ月が経った。いろんな人に会い、いろんなネットワークが広がり、以前は僕らのほうから熱心に働きかけなくては見つからなかったサポーターたちが、あちらから連絡を取ってくれることが増えてきた。ありがたいことだ。このデルは、ドライ方式という無水洗浄方式でバイオディーゼルを作っている。夕べ到着して僕たちがたまげてしまった巨大なガレージの一角に、基本的にはアップルシード式の湯沸しタンクを使ったプラントを構えている。

僕らがみただけでも、約90%のバイオディーゼル精製者が、水による洗浄方法を取り入れている。僕らの場合、車に搭載しているということ、砂漠など水のない地域へ出かけたいと考えていることなどから、やはり無水方式をとっている。だから、カリフォルニアのグリーンラインという会社が売っているプラントと同様、彼のシステムにも個人的にとても興味があった。


◆◆ デルの精製方法 ◆◆

彼は一回に30ガロン(114L)の廃油を精製する。

まずはじめにメタノールと水酸化カリウムの混合液の80%を、華氏120度(摂氏60度ほど)廃油に加え1時間反応させる。それを一時間沈殿後、グリセリンを流しだす。

すぐに残りの20%の液を加え更に一時間、終わったら一晩精緻する。

翌朝下にたまったグリセリンを注意深く抜き、バイオディーゼルに残っているメタノールの回復=蒸留作業に入る。約14%のメタノールを回復できるようだ。

それが終わると無水洗浄に入る。彼は、プラスチックのパイプにドリルで穴を開け、十字に組んだものに長い軸用のパイプ(これにも穴があいている)をつけた道具を使う。これに掃除機をつなぎ、送風に切り替えて空気が穴から出るようになっているのだ。

これを蒸留の終わったバイオディーゼルのタンクに入れ、ぶくぶくと泡を出しながら冷ますこと3-4時間。メタノールが完全に抜けたバイオディーゼルでは、残留のグリセリンがすとんと下に落ちる。

だから、この無水洗浄を終えて8時間置くと、グリセリンがみごとに沈殿するという計算なのだそうだ。確かに彼のBDFは、今まで見たどの無水洗浄式の燃料より濁りの少ないものだった。


デルの友人ジョーは、カナダ出身の地質生物学者だ。デルの無水方式を取り入れ、自分なりに工夫して同じガレージでバイオディーゼルを作っている。「オイル会社でどこにオイルがあるか探す仕事をしてきた僕が、実際はバイオディーゼルを自分で作っているなんて、ほんとは皮肉な話だよね。」と苦笑いしながら、彼のシステムを説明してくれた。

デルのような蒸留システムのない彼は、メタノールの回復をあきらめその代わり無水洗浄を8時間に延長する。注目すべきは性能のよい電気ポンプだ。これを使って化学反応に必要な攪拌を起こす。「南部の人たちは、表皮を破るのに時間がかかるけど、一度仲良くなったら本当に親切でいい人ばかりだよ。」という彼は、まるでマーティン家の一員のように扱われている。でも僕らが油に入ってしまった保存剤を取り除きやすいようにバケツを切ってくれたり、大きなごみ箱を率先して捨てにゆく様子を見て、この関係は南部の人たちが親切だから、というだけではないのだろうと思った。

デルはインターネットのドライワッシュBDF生産者グループを主宰しているのだが、このグループには彼の方式を導入してBDFを自宅で作っている人、今プラントを作っている最中の人、そしてこれからぜひ始めたいと勉強を始めた人などが集まっている。今回バイオディーゼルアドベンチャーが来ることで、いつもネット上で情報交換をしている彼らが、今日はデルのガレージに集合した。バスコファイブのデモと共に、デルとジョーが精製をしていたので、これからはじめようと向きには、絶好の講習会となった。こんな風に両方通行のジョイントができると、僕らはとてもうれしい。時間が過ぎるのが早い気がする。


この旅で時間に余裕があるか否かは、すべて持っている廃油とBDFの量にかかっている。あと一ヶ月以内にビザの期限がくる。廃食油を集めて一日一回の燃料精製では間に合わないようになってきた。そこで、昨日デモで作ったバイオディーゼル燃料をデルとジョーに分けてもらうことにした。僕らの廃食油から作ったバイオディーゼル燃料を使って走るというテーマからはそれないこと、様々な廃食油を使ってみる実験でもあるので彼らの作った燃料を使って試してみるのも、このプロジェクトの趣旨でもある。また、彼らのようなグラスルーツの人々の作ったサンプル燃料をいただき、日本に送って燃料の分析も行なっている。

夜は残ったメンバー達と一緒に、テキサスらしい食事を食べられる店に連れて行ってもらった。名物の「チキンフライドステーキ」を注文しろというので、彼らのススメに従った。アメリカ在住のサッチンはそれが何か知っているらしく、「わたしはガンボ!」「ここのオーナーは、ニューオリンズ出身だから、おいしいわよ。」と奥さんたちから太鼓判をもらっていた。名前から想像してチキンなのかと思いきや、それはフライドチキンのような衣をつけて揚げた牛のステーキだった。必ずとは限らないらしいが、チキンの油で揚げてあるとか。確かにこってり気味ではあったものの、一日中精製とおしゃべりに追われて、ろくなものを食べていなかった僕はぺろりとたいらげ、みんなを驚かした。

別れ際に彼らは、「何かあったらどこへでも飛んでゆくから、絶対に電話しろよ!」と涙の出るような言葉を残し、各々のディーゼル車に乗り込むと、フライドポテトの匂いをさせながら去っていった。

廃油回収量 19L
BDF 190L
走行距離 58km
サポーター:デル、イレーン、ダスティン、ジョー、ジェイ&ロビン、ジム、カイル、クリス、ケリー&ウェンディ、ダグ、シェーン、ゲリー&クレア

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グリーンタウン、オースティン

4月4日(金)晴れ オースティン→ヒューストン

朝一番、夕べレストランで会ったグリーンビルダーのリンジーに電話をした。午前中は予定が空いているという返事だ。今朝はもうひとつ、バイオディーゼルを販売しているエコワイズという店も訪ねたい。住所を調べたところ、どちらも都合よく同じ方向だったので、9時過ぎに宿を出発した。

あと数ブロックでエコワイズというところで、窓の外を眺めていたタツヤとサッチンが、「あ、緑のケロティ!」「ああいうコーヒーショップって、環境系のひとが集まるよね・・・。」僕もピンときたので、車を停めてみた。店の外には無数の自転車が停めてある。外の庭は雑然としているようでいて、なにか秩序がある感じだ。ほどよくゆがんだ小さな木造の建物は、大きく見えなかったのに中に入ると割りと広く、結構賑わっていた。サッチンは外で電話の応答に追われていたので、彼女のカプチーノを注文して脇の部屋へ陣取った。と、女の人がテーブルにやってきて、「あの車を見たけど、バイオディーゼルで走っているの?」と話しかけてきた。

キャシーと名乗る彼女の質問に答えていると、隣のテーブルに座っていた若いカップルが加わってきた。「へぇ、世界一周・・・。」と、後ろのテーブルの女性が、「私の義理の兄がやっているメキシカンレストランでも、駐車場の脇でバイオディーゼルを売っているわよ。彼の名前は、ビリー。」更に、店の店員のチェストリーまで加わってきて、「オースティンのバスの一部が、ナチュラルガスと電気のハイブリッドだって聞いたことあるよ。」「テキサス大学は、グリーン関係の研究でも有名だよ。」などと、部屋全体で盛り上がってしまった。

大人のESL(English as Second Language)を教えているジェンは、ダンと二人で外で車を見たいと言い出した。「おもしろい!明日の授業で、みんなのことをはなして英語のレッスンをするわ。」と言ってくれてた。実際に会えない人たちに、僕たちのしていることを紹介してもらえるなんて、うれしい限りだ。ついでに、泊まるところにこまったら、Craigslist.comの掲示板を出せば、かなりの確立でよい条件の申し出があるはずだと教えてくれた。



コーヒーショップで時間を取ってしまったので、先にグリーンビルディングへ見学にでかけることにした。彼らの自宅兼オフィス&ショウルームは、とてもしゃれた家だった。基礎は残して全面改装したという家は、市の認定システムでは4つ星になるという。省エネ、カーペットの材質が再生プラスチックであるということ、床材がリサイクルやおがくずを固めたものだったり、と贅沢に作ってあるのに諸々にグリーンになる努力がみられる。彼らの話によると、オースティンの市長はかなりの革新派で、グリーンに関してもテキサスの中でずば抜けて改革を推し進めている存在なのだそうだ。行き合う人たちの何人もから、「ぼくは○○出身だけど、保守的過ぎて住めなかったからオースティンにやってきた。」と聞いた。

例えば誰かがソーラーシステムを使って家を建てたいと考えたとしよう。システム導入の見積もりが2万2千ドルだった場合、市が1万3千5百ドル、国が2千ドル(13年から20年かかるけれど、)補助金を負担する。カリフォルニアの5から10年という数字に比べると、気の遠くなるような話ではある。でも家の寿命や、いわゆる「再売価値」を上げるということを考えると、悪い話ではないだろう。多くの人が、このプログラムを利用しているし、「ソーラー準備完了」の状態で資金が調い次第工事に取り掛かれるという家も多いとのことだ。お互いに信念を貫いて、地球をきれいに保つ努力を続けようと約束して、握手を交わし彼らと別れた。



エコワイズは、自然でオーガニックな素材でできた製品、環境によい製品、フェアトレードで輸入されたものを取り扱う店だ。軒先にタンクを置いて、バイオディーゼルとフィルター済みWVO(廃油)の販売も行っている。バイオディーゼルは、100%の場合(つまりフツウのディーゼルとの混合でない限り)燃料と認定されていない。だから、この店でも取り扱うことができるのだそうだ。一週間に平均4500リットルのバイオディーゼルを売るという。

オーナーのジム・ホーランド(53)は、この店をはじめて18年になる。動物性のものは一切扱わない、できるだけローカルの生産者と取引し、小さな会社とだけ商売するというポリシーを守っているのだそうだ。この店をもっともっと近所の溜まり場のようにしたい、できたら食べ物をおいて人々の体から健康にし、子供たちが何かを学べる場所にしたい、それが彼の夢だそうだ。ここにもまた、自分のやり方でできることをしている人がいた!

エコワイズでぶらぶらしていると、次から次へとディーゼル車がやってくる。25件のシェルステーション、10件のフュエルマンステーションではB20(20%だけBDFを混ぜてあるディーゼル燃料)を扱っているものの、オースティンでB100が手に入るのは5件のみだ。今日はポンプが故障中で給油できないと知ると、みんな「困ったなぁ。」と言うが反面そういった不便も含めて、腹を決めてバイオディーゼルを使っていると話してくれた。



BDFユーザーたちと話に花をさかせていると、一人の青年が目を輝かせてサッチンとはなしているのが見えた。僕も近寄って行って耳を傾けると、どうも彼は一人でバイオディーゼルをテーマにドキュメンタリーを撮りつづけているらしい。はじめはバイオディーゼルのチアリーダーみたいな、楽しい映画を作ろうとしていた。ところが、いろいろなひとに出会い、いろいろ学ぶうちに、ことの深刻さに気づき、またバイオディーゼルのことを大企業とのタイアップなしに推進しているひとがいないことに憤りを感じ始めた。以来、こつこつひとりで撮り貯めている。シアトルやカリフォルニアにも行っており、僕たちが会ったバイオディーゼル関係者たちにも会っているようだった。彼の名はベンジャミン。いろいろ情報を交換しているうちに、アルジー(藻)への興味が一致した。彼はテキサス大学にすばらしい藻のコレクションがあるから、これから僕たちを案内したいと申し出てくれた。

幼児の頃からマクロビュオティックで育ったという彼と昼を済ませて、テキサス大学へ向かった。電話をしておいてくれたので、大学に着くとブランド教授は「待っていたよ。」と笑顔で迎えてくれた。藻と一言で言っても、光の量、培養液の種類、寿命、色その他種類はさまざまで、中には水草のようにとてもユニークで美しい形のものや、ピンクの藻まであった。最近、この藻からバイオディーゼルができるかもしれないという考えが紹介され、アメリカではその研究が進んでいるらしい。ところが、壁面に付着しやすく、環境による違いがありすぎること、成長をコントロールするのが難しいことなどから、なかなか製品としての生産販売までこぎつけることろはない。でも、「アルジーの中には50%が油分とバイディーゼルの原料としては、かなり期待できる原料なので、ぜひ開発研究がすすむといいと思うよ。このセンターでも今までは、サプリとしての藻の価値は別として、どちらかというと、池や湖に藻が増えすぎて困るという人からの依頼が多いからね。嬉しいことだよ。」と話してくれた。

外へ出て僕らの車を教授に見てもらっていると、オースティンのもう一人のサポーター、ビルが、やってきた。BDFを使い始めてまだ6ヶ月の彼は、僕らのサイトを見つけて声をかけてくれた。オースティンでは特に決まった場所でのデモなど予定していなかったので、サポーターと落ち合う場所が限られていたのだけれど、うまく会えてよかった。


「ヒューストンでは、デル(サポーター」が待っているのよ。そろそろ!)というサッチンの掛け声で、僕らは別れがたかったけれどベンとビルに別れを告げた。ハイウェイでの携帯電話の受信はかなり不安定だ。何度も切れてしまうのに、楽しみに待ってくれているデルからは、何度も電話があった。いわれた住所にたどり着いてみると!大きいとはきいていたが彼のガレージは、飛行場内にある飛行機のガレージだった。中には何機も停まっている。眠い目をこすりながらたどりついた僕たちは、一気に目が覚めてしまった。

廃油回収量0L
走行距離 286km
出会ったサポーターたち:チェストリー、ジェン、ダン、ヘザー、キャシー、スゼット、リンジー、ジェフ、ピーター(GB)、コール、ジム、ヒース、ベンジャミン、ビル、ピーター(軍人)、デル

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全米最大のBDFスタンド

4月3日(木) 曇り時々雨 最高気温29度 スレイトン→オースティン

日の出前に出発。今日は、フォートワースとオースティンの間にある、トラッカーのためのバイオディーゼルスタンド(現在は残念ながら、改装大工事中)を見に行く。テキサスはトラックの交通量が多く、どこもスタンドはトラッカーが沢山停車している。カーボーイハットが似合う南部特有の雰囲気があって面白い。朝だというのに、風が肌にやさしく温かい。ここ数日、随分南下した。これからは、もっとあたたかくなるだろう。

1984年にオープンしたカールズコーナーは、フォートワースからI-35を南へ85キロ、ハイウェイ沿いにある大型トラック向けのガソリンスタンド。バイオディーゼルに興味を持ったカントリーミュージシャンのウィリーネルソンと、その古い友人であったオーナー・カールが組んでバイオディーゼルを売り始めたのが2005年のことだ。その後このステーションはブームとなった。バイオディーゼルの使用を考えるとき、将来的にとても有望な代替燃料だとされる理由は、運搬用の大型車や電車がほとんどがディーゼル車だということだ。つまり、世の中すべての大型運搬車が従来の化石燃料を原料としたディーゼルの使用を止めると、地球環境はかなり改善されることうけあいだ。

スタンドは1990年に火災があり全焼したらしいが、新しいパートナーを得て現在このスタンドは改装工事中だった。Earth Biofuelsの人が、シアターまで完備した大型車専門(コマーシャル大型免許を提示すると、特典が得られるらしい)のスタンド施設と、隣に建てられたプラントを案内してくれた。B20(BDF20%のディーゼル)を主に、12基の大型車用のスタンドで、一ヶ月1000万ガロンの需要を見込んでいるのだそうだ。これが完成するとアメリカ国内では最大のバイオディーゼル燃料を売るスタンドとなるそうだ。隣接のプラントから直接パイプを通して16万ガロンのタンクへ送るので、輸送・貯蔵費と時間を稼ぐことができる。一日に7800ガロン(2万リッター)のバイオディーゼルを精製することができるという巨大な銀色のタンクを前に、テキサスの土地柄を感じた。



カールズコーナーを出て、一路オースティンに向かう。オースティンは、テキサスの中ではかなり環境問題への意識の高い町として、西海岸にいるころからうわさを耳にしていた。だから、ニューオリンズへ行くため南下するのならこの辺りからと決めていた。

カールズコーナーが閉鎖中なので、バイオディーゼルを使っているトラッカーと話をできなかった。オースティンには、B20なら売っているスタンドがあると聞き、オースティンへの途中I-35を降りて、いくつかスタンドで声をかけたけれど、ほとんどのトラック運転手は、バイオディーゼルが何なのか知らないようだった。

オースティンには、いくつか廃油から作ったバイディーゼルを売っているところがある。そのうちのひとつ、ディーゼルグリーンと連絡がついたので訪ねることにした。夜になってしまったのだけれど、ちょうどSVO(ストレートベジタブルオイル)で走れるように車の改造を頼まれて作業中だからと、僕たちの遅い到着を笑って許してくれた。オーナーの一人マイクは、1998年に初めてのディーゼル車フォルクスワーゲン・ジェッタを購入。その後バイオディーゼルのヤフーグループを形成して、バイオディーゼルについてのグループの管理人をしていた。3年前にアップルシード式でバイオディーゼルをつくりはじめ、コープとして活動を開始。250人ほどのメンバーがいたそうだ。2年前に、他のふたり(ジェイソンとリーバイ)の3人で、事業として活動を開始したが検討の結果廃油の回収と、バイオディーゼルの販売(つまり精製は他の企業にまかせること)に集中するとこに決定した。廃油を回収するだけで、かなり大変な仕事だからというのが一番大きな理由らしい。ここまで廃油を集めて旅してきた僕らにも、その苦労は理解できる。


久しぶりの大きな町なので、奮発して今夜はインドネシアレストランへ。「米と野菜は、やっぱりほっとするね。」と舌鼓を打っていると、隣のテーブルから声がかかった。「あのバイオディーゼルと書いてある車は、君たちのかい?」30代の若いカップルだった。話してみると、彼らは「グリーンビルダー」という建築会社を経営しているのだそうだ。この近くにオフィスがあり、現在建築中の家も見せてもらえるというので、明日の朝予定が合えば訪ねたいという軽い約束をして分かれた。

廃油回収量 0L
走行距離 808km
お世話になった人たち:マイク、ロバート、マイク、ジェイソン

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エアリフト

4月2日(水)晴れのちくもり アルバカーキ→スレイトン

朝9時にトヨタに電話すると、あと1時間ほどで終了とのことだった。トヨタディーラーのメカニックのライアンが朝早く出て無理をして作業をしてくれたようで予定通りエアリフトを取り付けてくれていた。エアリフトを取り付けたのは荷物の荷重がルーフの上に取り付けたキャリアなどの荷重が増え、通常よりも重さが増したため強化スプリングだけではやはり足回りへの負担が多すぎてコーナーやギャップでの走安性が悪くなってきたからだ。そこでスプリングへの負担が大きすぎてバネがへたってくるのでスプリングの中にエアリフトをかませて足回りへの負担を軽くするために取り付けたのだ。エアリフトの注意点などをアドバイスしてもらい、記念写真を撮った後、とてもよくしてくれたトヨタの従業員に別れをつげてI-40に乗って先を急いだ。

テキサスのオースティン方面に向かうので、途中方向を少し南東に変えルート84号線にのった。今日ははタンクの燃料が続く限り、走ろうということになっていた。車内からテキサスにあるバイオディーゼルのある会社に連絡を取ったところ、明日見学させてくれるという承諾をもらうことができたので、ダラスとオースティンの間にある町を経由することにした。



ちょうど夕暮れ時、スレイトンという名のちいさな町に着いた。この先にはしばらく町らしきものはなさそうだったので、まち唯一のモーテルに泊まることにした。懐がさびしいところだが、こんなところで泊めていただける場所を探すのは困難だろう。チェックインを済ませてロビーから出ると、すばらしい夕焼けだった。

さて、今夜は燃料の精製だ。明日も長距離のドライブになる。

廃油回収 0L
走行距離 550km
お世話になった人たち:アンソニー、ライアン、ファン

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サンタフェを出発

4月1日(火)晴れ サンタフェ→アルバカーキ

サンタフェの町に別れを告げる日が来た。別々の宿泊所に泊まっていた僕らは、朝8時半に集合した。

ルーフの収納が変わったので、タンクに入れ切れなかった廃油を、こころ置きなく運ぶことができうれしい。でもそのせいでただでさえ重い車体が更に重量を増してしまった。コロラドのゴールデンで、僕はそのことをスリーオフロードの社長クリストに相談していた。彼のアドバイスは、エアリフトというサスペンションのサポート器具をとりつけることだった。部品注文し、アルバカーキにあるトヨタ認定のディーラーに届いていると連絡があったので、今日は1時間だけ南下してアルバカーキに泊まることにした。半日あればよいと言われたら、一日かかると考えたほうが妥当だと、今までの経験からわかっていたからだ。

いざ出発となると、ショック!車のバッテリーが上がっていた。しばらく運転せずに、電気を使いながら作業していたからだろう。AAA(日本のJAF)を呼んだが、時間がかかりそうだった。しょうがないので、近くにあった車を借りてジャンパースタート(バッテリーをつないで)をした。バスコファイブは大きな車なので、少し時間がかかったが、どうにかエンジンをかけることに成功した。いざ出発。

そのトヨタのディーラーは、I-40のハイウェイ沿いだったのですぐに場所がわかった。着いて話をつけてあった係り員アンソニーを探す。約束より遅れてしまったのに、とても気持ちの良い対応だった。打ち合わせをしていると、車に興味を持った従業員が次々に「何だこれは?」と足をとめていった。短時間にうわさが飛び交い始めたらしく、セールスの方からも従業員たちが、入れ替わりやってきて「いやぁ、君たちの車を賞賛していることろさ。」「いい塗装だな。」「ランドクルーザーにディーゼルがあったのかい?」「ほら、ハンドルが逆だぞ!」などと、口々に叫んでいる。

やはりトヨタに勤めている人たちは、車が好きだ。

明日の朝一番に仕上げてもらう約束をして、シャトルで近くの安ホテルに連れていってもらった。

モーテルの向かいには、アウル・カフェというアメリカ1950年代オールディーズ風のダイナーがあった。おもしろいからそこで夕食をたべることにする。サッチンは「こういうところへ来たのなら、コレ!」と甘党でもないのにルートビアフロートを注文した。タツヤとふたりで「タランティーノのあの映画、何てタイトルだっけ?」

「ウマ・サーマがおかっぱ頭で、トラボルタのキャラクターにせがんで、こういう店に来て・・・。」なんてすっかりその気になっている。「ここなら廃油もいっぱいありそうだな・・・。」と最近では、食事をするとその話題ばかりだったが、これ以上積荷が増えるとリスクが多いので、今日は思いとどまった。

そういえば、バスコファイブのいない精製のない夜なんて、変な感じだ。

廃油回収 0L
走行距離 103km
お世話になった人たち:モトイさん、アンソニー、ライアン、ファン

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アースシップ

3月31日(月)晴れ(強風)サンタフェ→タオス→サンタフェ

朝9時、アメリカインディアン美術学校(通称IAIA)へ廃油をもらいに行った。学校のカフェテリアに、以前そこに通っていたモトイさんが頼んでおいてくれたのだ。フリーの仕事で時間が比較的自由なのと気転が利くのをいいことに、彼女にはお世話になりっぱなしで感謝している。柄杓ですくって、なかなかの収穫だった。

午後は、タオスの近くで兼ねてからぜひ訪ねたいと思っていたアースシップへ向かった。アースシップ・バイオテクチャーは、1970年代初頭マイク・レイノルズという建築家が、廃材を利用した建物を建て始めてはじまった。飲み物のアルミ缶や古タイヤなどは土を詰めることで、断熱効果のある素材へと変身する。それに目をつけた彼は、実験と失敗を繰り返しながら、アースシップのコンセプトを実践してきた。持続可能であること、エネルギーは自給自足であること、誰もが建てられる家であること、これらが基本モットーなのだそうだ。あまりにも実験的で開発途中の技術もあったため、1990年代には建築家としての資格を失うという危機もあったらしいが、いまではいくつかの譲歩をした上で、アースシップの建築は続いている。

オフィスで働いているローズが、いくつかのユニットを案内してくれた。ずんぐりむっくりしたU字型のアースシップは、アンモナイトのような感じだ。北側には土が盛ってあり、半分穴倉というか半地下のように建ててある。南側には、パッシブソーラーを利用した大きな窓があり、土の壁が昼間太陽熱を吸収するから、他の暖房は必要ないのだそうだ。カラフルなガラスのボトルの底が、明り取りとインテリアの役割を果たす。屋根から集められた雨水は、ろ過されて利用。ソーラーパネルと風車からとった電力を蓄電機にため、コンバーターを通して使用する。排水は、キッチンからの水が植物とトイレに使用され、トイレから出た排水は、汚水浄化槽を通ったあと小石や植物の自然フィルターを通ってから土に返される。どのユニットも家の中に庭がり、たくさんの植物が生えている。足を踏み入れると、一瞬熱帯を思わせるような匂いがした。まっすぐで平らな壁がないのも特徴だ。とにかく摩訶不思議でユーモアにあふれているデザインだ。

フェニックスという比較的新しい、まだ完成していないが貸し出しを始めているユニットも、今夜部屋を借りているボビーとローラのご好意で見せてもらえた。このユニットでは、90年代の問題後、州の規制に反しないでマイクの理想を追求しているとのことだ。部屋の裏に回ると、タイヤと土がむき出しになっていた。なんだがきれいに見えるから不思議だ。よく考えると、古タイヤと泥なのに・・・。フェニックスの南側は大きなグリーンハウスになっているのだが、そこに池を作る準備がすすんでいた。ローズは、「ここでタラピアという魚で、下水処理を試してみようとしているんです。タラピアは、もともと水を洗浄する能力を持っているらしいの。」と話してくれた。どうなるかまったく予想もつかない実験らしいが、ますますマイク・レイノルズに興味をそそられた。出かけていてルスなのが、残念だった。

ローズにお礼を言って別れてから、もう一軒、タオスへくる途中に寄ったリフトギャラリーのオーナー、マークとベッツイーに教えてもらったロバート・プラーという人のアースシップを訪ねた。電話をかけたところ、彼も留守ではあったが家の外には「どうぞ!」という看板が立っており、外から拝見することにした。と、家もさることながらここをたずねたかったのは、彼がデモ用のハンマーのリムジンをバイオディーゼルで走らせていると聞いたからだ。彼の家に近づくと、嫌でもその白い巨大なハンマーが目に入った。彼の家にはかなり効率がよいと聞いているタイプの風車が回っていて、車の横には「フリーレンジ、オーガニック水素」と書かれたタンクがあった。ちょっと離れたところには「バイオディーゼル」とマークされたドラム缶がある。そうか・・・この車は、バイオディーゼルと水素ガスのハイブリッドなのだ。元はサーカス出身だというこの変わり者のロバートにも、ぜひ会ってお話してみたいと思った。

旅を続ければ続けるほど、また訪ねたい場所が増えてしまう。それがこのプロジェクトの醍醐味であり、ジレンマだ。今日もまたそれをかみ締める、すばらしい一日だった。

廃油回収 25L
走行距離 0km
お世話になった人たち:モトイさん、ベッツィー、マーク、ローズ

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竹の子ご飯

3月30日(日)晴れ サンタフェ

昨日と同じく、作業に追われた一日。

先日廃油を届けてくれたケイコさんが、「竹の子ご飯ができました!」と煮物とご飯を届けてくれた。サッチンのお姉さんみたいな存在だと聞いていたけれど、その心づかいに感謝した。缶詰でひとりビデオの整理をしているタツヤにも箱に詰めて届けると、「ひぇ縲怐I」と言って喜んでいた。ちなみに、彼は気持ちよいことうれしいことがあると、「ひぇ縲怐I」というのが口癖である。

廃油回収量 19L
走行距離 0km
お世話になった人たち:モトイさん、ケイコさん

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マリアズ

3月29日(土)晴れ サンタフェ

朝から頼んであったメキシコ料理屋のマリアズに行き、廃油の回収にいった。燃料の精製、写真の整理、そしてブログの執筆に徹した一日だった。


廃油回収 53L(マリアズ)
走行距離 0km
お世話になった人たち:モトイさん、マリアズのマネージャー

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催眠治療セラピストと鍼灸・指圧師

3月28日(金)晴れ サンタフェ

サンタフェは全行程の中間地点と考えているので、車やプラントのメインテナンスを予定している。週末に入る前にいくつか片付けなくてはならないことに、タイヤを交換することだ。すでに日本から履いていたタイヤは1万キロを越え、すでにすり減ってきていた。なんといっても燃料を満タンにして、人と荷物を載せると800kgを越える重量とカリフォルニアの路面状況が非常に悪いため小さな亀裂がタイヤにはいっていたからだ。

旅の途中でダンロップがタイヤのサポートを引き受けてくれることになり、サンタフェに届いていたニュータイヤを持って近くのタイヤ屋「エキスパータイヤ」にタイヤ交換を頼んだ。

ショップに行くと車好きの連中は、バスコファイブを見ると、右ハンドルだということ、アメリカには珍しいランドクルーザーのディーゼル車だということ、特殊な塗装が施してあることなどに注目して、興奮に目を輝かす。ここでも何人かの従業員が、目を見張っているのがわかった。

夜はサンタフェJINのメンバーでもあるヒロくんに、指圧をしていただくことになっていて、その前にモトイさんも誘って食事をした。初めてレストランらしいところでの食事だ。内陸部に入ってから、自炊ができる時以外はまともなものを口にしていなかったせいか、タパスもパエリアも、料理はすべてこの上もなくうまかった。

僕は若い頃からバイクで砂漠へ出かける。しかし事故で体を随分痛めているので、ボディワークというか治療全般に興味を持ち始めたていたせいでヒプノセラピーやマッサージに興味があった。テーブルに催眠治療セラピストと鍼灸・指圧師の二人を交えて、今夜はとても興味深い話を聞け楽しかった。

ヒロくんは、ここサンタフェで鍼灸と指圧の勉強をしている。もうすぐ卒業だ。商売っ気のない彼は、僕とタツヤを合わせて4時間以上、じっくりと診察・治療してくれた。ゆるゆるのまま宿へもどり、旅の疲れを癒した。

廃油回収量 106L(ファーズ)
走行距離 3km
お世話になった人たち:モトイさん、バーナード、ヒロくん

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