グランドゼロからワシントンDCへ

4月19日(金) 晴れ ニューヨーク→ワシントンDC

昨夜、モーテルに宿泊できたのは午前1時過ぎだった。それから燃料を精製をしたので寝たのは遅かったものの、午前中はグランドゼロを見にマンハッタンへもどることにした。どうしてもグランドゼロに行き、亡くなった方達の冥福を祈りたかったのと、その後再建がどうなっているのか、この目でみたかったからだ。

グランドゼロの近くで駐車したところへ戻ってみると、アメリカ人の家族が留守番をしていたサッチンと話込んでいた。父親らしき人物が「いやぁ、僕はねバイオディーゼルには、基本的に反対なのだよ。」「食料の高騰を招いている現状で、原料に問題があるとおもわないかい?」「確かにそうです。ですから、わたしたちは廃油をリサイクルしているんですよ。それに、アメリカ国内でも他の原料を模索して、いろんなところで研究しているひとたちにも会いましたよ。」「へぇ、そうなんだ。私は、まだ納得いかないけれど、ぜひもっと持続可能な道を探求してくれよ。」反対だと言いながらも、楽しそうに議論を交わすのを見て、こういうことは日本人にはとても難しいことだけれど、ぜひ学びたいコミュニケーションの方法のひとつではないかと思った。


いよいよマンハッタンを離れ、ボルチモア・ワシントンDC方面に向かう。東海岸に来て、有料高速道路やトンネルが目立ってきた。ハイウェイ上で追い抜いてゆく車から、Vサインや親指を立てる応援のしぐさ、プップー!という警笛の激励を受けるのにも慣れてきた。ニュージャージー・ターンパイク&I-95を通っていたときだ。ダッジの白いバンの家族連れがやけに盛り上がりながら追い抜いていった。今まで幾度もシャッターチャンスを逃しているタツヤから、「あのバンじゃあまりスピードが出ないから、追いつけないかなぁ。」とのリクエスト。

どうやら向こうも、こちらがスピードアップしたことに気づいたらしい。追いつくのは、とても簡単だった。適度に混んでいるから、2車線を並行走行しても文句を言う車はなかった。あちらの窓が開いてみると、どうやら家族みんながカメラの用意をして、近づいてきたようだった。サッチンも窓を開け、手を振っている。こちらのバイオディーゼルの文字を指差して親指を立ているから、BDFのサポーターだということは間違いない。もう一度手を振ると、フツウのスピードにもどり去っていった。

実は5月の中旬になって、このお父さんからメールが来た。ぼくらのサイトを見つけたのだ。4人家族のうち14歳になる息子がエコ燃料に興味をもっていて、ランプを改造してバイオディーゼルで使っており、運転できるようになったらディーゼル車を改造してバイオ燃料で走りたいと言っているのだそうだ。だから、僕らの車を見て、息子をはじめ家族みんなが思わず興奮してしまったのだそうだ。

こんなやり取りは、長い道路の旅にちょっとしたスパイスを与えてくれて、とても楽しい。

さて僕たちはその後、ボルチモアの町を抜けブルックビルという町に寄り道することになっていたのだが、ボルチモア周辺で車のパネルに見慣れぬランプが点いたことに気がついた。オイルが少なくなったり、エンジンフィルターの交換が必用な時につくランプとは違うものだ。すぐに車を停めて、マニュアルを紐解くことにした。どうも、燃料フィルターに不純物(水その他)が入り、フィルターが一杯だから、一度たまったものを抜かなくてはいけないようだ。ペットボトルに70mlあまり入った中味を見て、僕らはギョッとした。それは明らかにとても色の濃いグリセリンと水だった。

できるだけ避けようと言いながらも、僕らは約束の時間に間に合わなくなりそうだったり燃料が足りないとき、精製が完全に終わっていないバイオディーゼルを給油してしのいできた。そのせいで使用した燃料の中に、本来取り除くべき不純物が混ざったままエンジンの方へ送られていたのだ。このフィルターが効いていなければ、エンジンにダメージを与えるところだった。北アメリカ大陸横断は問題なくここまで来たけれど、これまでの判断基準では甘い。そう痛感し、ほんの少し背筋が延びる思いだった。品質管理をもっと厳格にしていかないと。

夜遅くDCの町にたどり着く。いろいろあって、結局遅くなってしまった。泊めていただくアンジェラのお宅はDCにあるのだが、カリフォルニアのサポーター、サッチンの親友のハルエさんが飛行機で駆けつけてくれて、先にご近所を偵察(?)しパーキングやその他の事情を確認してくれていたので、とても助かった。彼女が買っておいてくれた3種類のクラムチャウダーで乾杯し、再会を祝った。アースデイまでにDC入りしよう! そう決めてから、ついつい先を急いでの欲張りな旅をしてきて、懐かしい顔を見たことと、久し振りにモーテルではなく人のお宅に来て、何だかとても落ち着いた。明日は朝早いから、今夜はとにかくすぐに寝ようということになり、サッチンとハルエさんにも無理だとわかりつつ「あまり夜更かししておしゃべりに興じないように。」と釘を刺し、床に入った。無事DC入りできた、よかった!

廃油回収量 0L
BDF 40L(フランキーより)
走行距離 402km
お世話になった人たち:フランキー、アンジェラ、ハルエさん

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ついにニューヨーク(東海岸)に到着だ!

4月18日(木) ダンモア(PA)→ニューヨーク(NY)

いよいよ今日はニューヨークに入る日だ。ついにアメリカを横断して東海岸のニューヨークに到着だ!

やはりマンハッタンに近づくに連れ交通量は増える。久しぶりの都会だ。午後は日系の雑誌と新聞から取材を受けることになっている。そこでタイムズスクエア方面をめざすことにした。フロントラインという雑誌の記者内藤さんに電話をすると、彼女のオフィスはすぐ近くなので、走っている車の写真も欲しいしスクエアまで出て来てくれるという。タイムズスクエア周辺を何度か回りながら彼女を待ち、撮影した。なかなか駐車するスペースを見つけるのは難しいのだが、彼女の勧めでちょっと脇の43番通りにパーキングスポットをゲット。


いわゆる5thアベニューからさほど遠くない一角に、日本企業のオフィスが立ち並び、日本食レストランや日本の雑貨屋などが隣接するブロックがある。その辺りにフロントラインのオフィスと、週刊NY生活のオフィスがあった。フロントラインの取材をうけた後、今度は週刊NY生活に電話をする。担当記者の浜崎さんは手帳を片手に降りてきてくれた。ゆっくり話をする場所がないので、これも経験!と助手席に乗り込んでもらう。取材のあと、ご近所の日本食レストランに紹介してもらうが、回収業者が集めたばかりというので、無念にも廃油をいただくことはできなかった。


人に紹介してもらった何軒ものレストランに電話をしてみたけれど、どうも廃油をくれるというところが見つからない。昨日のテレビの取材で知り合ったドライバーの松尾さんから紹介を受けた、ブルックリンにある中近東料理のレストラン「ミリアム」だけが頼りだ。思い切ってブルックリンまで、橋を渡って行ってみることにする。

オーナーのシャイは、ブルックリンでいくつかのレストランを経営している。道の角にある「ミリアム」は、モロッコ風というかアラビア風というかエキゾチックな内装のとてもしゃれたレストランだった。店のすぐ近くに駐車できたので、廃油をもらうだけでなく食事もさせてもらいたいと思い、その間に精製をしたいので電源を貸してもらえないか交渉した。

電気を使うのはかまわないが、コードに足を引っ掛け道行く人や店のお客さんが怪我をしたら困るというので、コードをレンガやコンクリートの切れ目などにうまく這わせて通行のじゃまにならないように工夫して使わせてもらうことになった。歩道のガムテープで溝に沿ってはわせたコードがみえないようにカモフラージュしてその部分を覆うとなにごともないかのようにきれいに仕上がった。

店ではおいしいタジーンをいただいた後、オーナーが現れ交渉が成立。店の脇にある扉を開けると、地下にある倉庫へ降りそこからたっぷり油をいただいて、夜10時過ぎブルックリンを後にした。



実は今夜泊まるところも決まっていない。マンハッタンでは僕らの予算にあうモーテルが見つかるとは思えないので、ニュージャージーへ出てみようということになった。やっとホテルが決まり、いざ電源を借りられるよう頼んだところ、どうしてもだめだった。長い一日の真夜中過ぎ、ちょっとショックだけれどめげずにまた宿探し!

廃油回収量 40L
走行距離 239km
お世話になった方たち:ナイトウさん、ミウラさん、ハマザキさん、マツオさん、シャイ

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オノンダガ・ネイション

4月17日(木) 晴れ シラキュース(NY)→ダンモア(PA)

昨日の約束どおりチーフに電話をかけると、オノンダガ・ネイションのコミュニケーションセンターに来るよう言われた。とにかく言われたところへ行ってみることにした。着いてみると、他にも何人か集まっており、コミュニケーションセンターで働いているベティとサマーと、シックスネイションズノ環境タスクフォースのメンバーの一人、タスカローラ・ネイションのニールもいた。今日は学校があり、行かねばならないが、何か質問があればいつでも連絡してくれと言い残し、去っていく。チーフたちの連絡を受け、時間がないのにかけつけてくれたのだろう。ありがたい心づかいだ。

ここではゆっくり時間がすぎてゆく。言葉もわからないし説明もないから、ひたすら待つ。今までもそうだけれど、僕が彼らとつきあって感心するのは、自分にとってもしくはネイションにとって何が優先度が高いのか、かれらはいつでも心得ているということだ。時によっては予定をすっかり変えてしまうから、つきあっていて困ることも多々ある。でも、彼らは何が今必要なのかわかっていて、決して妥協しない。現代の文明社会で生きていて、僕たちは時々そのことを忘れているのかもしれない。

ひとりのチーフが「じゃ、行こうか。後をついてきてくれ。」と言って、先導してくれた。しばらく走ってたどり着いたのは、ある農場だった。中からはビルと名乗る白人のファーマーが出てきた。どうやら彼が、昨日きいたバイオディーゼルを作っている農場経営者らしい。明らかに肥やしの匂いが漂っていて、見回すと何頭もの牛、それからコンポストの山が見える。酪農が主な収入源だろう。聞いてみると、ビルは酪農一家の4代目、生活していくために酪農のほかにもいろいろ手を出したこともある。バイオディーゼルを作ることに、父親は反対だった。でも、毎月の燃料費が4000ドルを越えたとき、それを払い続けて農場をつぶすようなことはさせない、と彼の意思は強まった。今でも賛成してくれてはいないが、黙って見守るようになったという。

ビルのBDF精製システムは、半継続式とでも呼ぼうか1分間に60〜80ガロン、圧力を使って反応を細いパイプの中で起こさせ、長いときで5時間持続して作ったことがあるという。しかし子供が家業を手伝うこともあり、薬品を手の届くところに置いておくことに不安を感じ、最近ではSVOつまりフィルターにかけた廃油のみを使用している。近くのレストラン数件から廃油を回収する。その他、食料品店などにゴミ箱も設置しており、それを回収してコンポストを作る。’98年にあった大きな暴風雨で倒れた木を再利用したのがきっかけで、町で倒れてしまった木や他の木々の成長を妨げることになる木だけを疎抜き、道の牛の糞や木屑と混ぜてねかしそれも販売している。オノンダガのクレーン操縦士たちは、とても腕がよいので、こういった正確さを要される仕事が得意だとも話してくれた。

コンポストの山を見せてもらったのだが、混ざっているビニール袋のくずの多さに驚いた。これはすべて手で拾うのだそうだ。それでも、始めた当初よりは減ってきた。どう捨てたらごみを生かせるのか、まだまだ教育が必要さと笑った。

僕らの廃油回収もそうだけれど、実感するのはリサイクルとか持続可能なサイクルというのは、すべての段階で人の協力とケアがあってこそスムーズに成り立つのだ。つまり僕らの場合でも、レストランの裏手にある油の回収コンテナを前に、水が混ざったり洗剤も一緒に入れてしまったために、BDFにできないことが多い。捨てる人が再利用についてもっと知識があれば、手間や無駄が省けるわけだ。こういったことがうまくまわり始めるてやっと、本当にサステイナブルと呼べる社会が実現するのだろう。


バーミンガムという町の近くのガソリンスタンドで、トイレ休憩&ルートの確認をしていた時だ。自転車に乗ったマットと名乗る若い男性が息をきらして近寄ってきて、自分とその友人はバイオディーゼルを作っていて、廃油をあげたいし彼にも僕らの車を見せたいから、ぜひ来てくれないかと誘われた。彼の妹が僕らの車を見かけて電話をし、取るものもとらず駆けつけてきたらしい。おもしろそうなので、訪ねてみることにした。

地下室に設置されたシステムは、マエストロという市販の精製機を使用したものだった。まだ経験が浅いらしく、彼らからはいろいろ質問があった。どうも地下室の温度が低すぎて、反応時に十分熱くならないため、反応が完全に起こらず失敗を繰り返しているように思われた。それから、廃油をくれるというのでポンプから汲み上げ始め、僕ら3人はその色に見覚えがあり思わず顔を見合わせた。ヒューストンのデルに教えてもらったことだ。白っぽく濁った廃油は、間違いなく油の試用期間を延ばすために入れる添加剤(マグネソル)が混じっているものだった。

どのようにこしているのか訊ねると、取っ手のついたざるを持ってきた。残念ながら、この油をいただくわけにはいかないこと、反応前のフィルターがけはかなり重要で、最低でも100ミクロン、もっと細かいフィルターにかけている人もいることを伝えた。

ショックを隠しきれないものの、彼らの顔には希望の光がともったように感じた。「廃油を提供してくれようという気持ちだけでもうれしいよ。 Please keep trying!!」 近所のレストランに廃油がないか電話までしてくれた彼らに、そう礼を言い一路ニューヨークを目指した。

遅くなってしまったので、今夜中の到着は無理だが、できるだけ近くまで走りたい。実は給油しなくてはならず、できればどこかで電源を借りたかった。今日だけ午後から同行取材していたTBSの希望で、ブルーマー(PA)という町に立ち寄り空き地でプラントの説明を収録していたのだが、その間タツヤがご近所のかたに声をかけ、頼んでみると快く電源を取らせてもらえた。せっかくなのでプラントの仕組みをご披露、見ず知らずなのにとっても仲良くなってしまった。これもバイオマジック、人と人の出会いをもたらしてくれる魔法の車なのかな。

廃油回収 0L
走行距離 312km
お世話になったひとたち: ジェイク、バージル、ニール、サマー、ベティー、ビル、マット、アール、マイク(父)、マイク(息子)、すずきさん、ひろせさん、まつおさん

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バッファローで再会

4月15日(火) 晴れのちくもり バッファロー(NY)

ニューヨーク州立大学バッファロー校を訪れることにしたのは、つい数日前のことだった。ネイティブアメリカンで環境問題に取り組んでいると聞いている、イロクワ・シックスネイションズの選抜団体、Environmental Forceのメンバーに話を聞きたいと思い、連絡を取っていたところこの大学にたどり着いた。残念ながら会いたいと思っていたチーフは不在だったのだが、ここで僕らはとても面白い再会を果たすことになった。

塩原良さんは、吟遊打人と名乗る太鼓を主に芸能の道で生きている人だ。実はタツヤの高校時代の級友でもある。日本での出陣式から僕らの活動を追ってくれている方は、覚えていていらっしゃるかも知れない。出陣式の時セレモニーの景気づけに、太鼓の演奏があった。それが塩原さんだった。更にロスでの滞在中、彼の弟分とも言えるTakumiくんが遊びに来てくれて、「予定は合わないだろうけど、4月の中旬からアメリカ北東部をツアーの予定です。」と言われていた。僕らはその頃、4月の初めまでには北米フェーズを終えると予定していたので、「残念だね。」と話していたのだが、二日ほど前にタツヤが連絡を取ってみると、なんと今夜15日バッファローの大学でコンサートを予定しているとのことだった!!ご縁とは、なんて不思議なものだろう。


塩原さんの口ぞえで、彼らのコンサート会場であるCenter for the Arts の入り口脇に、車をディスプレイする許可をもらうことができた。しかもコンサート前だというのに、リハーサル後二人で外に出てきて演奏してくれた。感謝。塩原さんの演奏は、昔ながらの前口上がよい。超ブロークン・イングリッシュの「サンキュウ!」「ビーハッピィ!」も楽しい。そして腹に響く張りのある音は、疲れ切った僕ら3人の魂を奮いたたせてくれた。

コンサートの後、同じモーテルに宿を取った僕たちは、彼らの主催(のみにとどまらず、演奏まで一緒にしてのけた)ミチコさんと二人を誘って夕食に出かけた。便利なことに、宿から徒歩2分のところにうまそうな韓国料理店があった。閉店間際の10時に駆け込んだのに、ご主人も奥さんもとてもよい人で、本格的な韓国の家庭料理をゆっくり説明しながら出してくれた。ちょっと駆け足の旅にかまけて、車の中でクラッカーを頬張るような数日が続いたので、久しぶりのオリエンタル料理にほっとした。

僕はサバイバルモードに入ると、食べ物などどうでもよくなってしまうタチなのだが、やはり米を食べるとほっとするのは事実だ。隣を見ると、サッチンはご満悦といった顔で塩原さんと話が弾んでいる。タツヤは、なぜか店の奥さんに気に入られ「さぁさ、ちゃんと食べるのよ。」なんて世話を焼かれて、すっかりゆるゆるだ。明日は、会いたい人に会えるかな・・・不思議な再会を果たした僕たちは、心のこもったおいしい食事(ともてなし)と旧友の応援に勇気付けられ、希望に胸がふくらんでいた。



廃油回収 0L
走行距離 95km
お世話になった人たち: 塩原さん、Takumiくん

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ブーヌ

4月12日(土) 晴れ ピッツボロ(NC)→ブーヌ(NC) 

南部から東海岸にかけていくつかある訪問候補地中ので、今回キーになっていると感じていたのは、ノースカロライナだった。昨日から来ているピードモントに加え、もう少し西にあるブーヌという町にあるアパラチア州立大学も訪ねたいと思っていた。そこでは、学生がバイオディーゼルのプラントを作り、EPA(U.S. Environmental Protection Agency) P3 Design ExpoというDCで開催されたイベントで、2006年にデザイン賞を受賞したと聞いていた。また、ここからニューヨークへ直線で北上するか、以前から行きたいと願っていたナイアガラの滝の辺りまで遠回りできるか・・・。今日訪れるブーヌを出発する時点で、タンクにある燃料と相談して決めようという心積もりだった。

ここピッツボロに来てピードモントの工場を訪ねたとき、意気投合して一晩お世話になったのが、ラッセルという青年だ。彼はピードモントの工場でバイオディーゼルの精製を手伝っている。夕べは彼の家の近くにある自然食品マーケットで、生演奏つきの特別メニューがあると聞いて、夜空を楽しみながら夕食を一緒にした。実はこのラッセル、アパラチア州立大学の卒業生で、2006年のバイオディーゼル・プロジェクトにも関わっていたらしいとわかった。今日会うことになっている、プロジェクトの指導教授ジェレミーがまだ大学院生だったころから知っているという。縁を感じずにはいられず、話をするうちに「狭いけどうちに来て泊まれば?」という話になったのだった。

朝もう一度レイチェルの家があるコープを訪ねると、彼女はフレンチプレスからコーヒーを注ぎながら、ソーラーパネルの話や他に何人か連絡を取るべき人を紹介してくれた。ドイツにいて、バイオディーゼルは嫌いでSVO(Straight Vegetable Oil) の信者だが、ロシアに知り合いがあるから助けになるだろうとか、DC郊外でバイオディーゼルを作っているフランキーなど。シアトルでバイオライルに人を紹介してもらって依頼、どれだけこんな風にバイオディーゼルのネットワークが広がってきたことだろう・・・。


アパラチアの美しい山景色を満喫しながら、ブーヌへ向かう。ジェレミーとは午後3時、大学のプラントで待ち合わせだった。少し早く着いたので、人気のないグリーンハウスやウェアハウスのような建物の周りを歩いてみた。ひとつの小屋の周りには、見慣れた5ガロン入りのプラスチックのコンテナ(大抵のレストランでは、この容器に入った油を購入するため、廃油でバイオディーゼルを作っている人たちには、お馴染みなのだ!)がいくつか並んでおり、どうやってもこれがプラントだろうと思われた。

ジェレミーは思いのほか若いが、アパラチアの男にふさわしくふさふさ、というよりはボーボーのあごひげを生やした、気さくで穏やかな中に情熱をしたためた感じの人だった。そのうち、2006年のプロジェクトに関わっていた元学生のジョン、現在のプロジェクトメンバーの数人、プラントとグリーンハウスの建設を手伝った建築学科の先生などが現れた。お互いのプラントの説明や、情報交換、今後への課題など、話題は絶えない。そのなかでアルジー(藻)の話や、水草を使っての排水洗浄システムなどは、興味深いものだった。

一通り話が終わり、もうひとつのプロジェクトに協力してもらい、みんなが絵を描き始めたとき、ジェレミーが「今日の夕方、僕のバンドが大学のギャラリー・オープニングで演奏するんでけど、来るかい?」と言い出した。音楽好きのタツヤはすっかり乗り気。サッチンも「どんな音楽なの?」とウキウキの様子。もちろん僕も、生演奏が聞けるなんて大歓迎だ。時計を見るとあと20分で演奏開始だというのに、結構悠長なジェレミーの後を走り、大学の校舎があるダウンタウンへ向かった。

彼らが演奏していたのは、地元の人たちが「オールドタイム」と呼ぶ、いわゆる「ブルーグラス」に似た音楽だった。ジェレミーはフィドルつまりバイオリンを弾いていた。ローカルの風景に焦点を絞った複数のアーティストに寄る写真展だったのだが、彼らの軽快なリズムは来た人たちに活気を与えているようだった。横を見ると、もちろんサッチンとタツヤも踊っていた。

ちょうど来ていた「バンフマウンテン・フィルムフェスティバル」にも誘われたのだが、僕らは燃料の精製やウェブの作業が滞っていたので、今夜は残念ながら辞退しなくてはならなかった。



廃油回収 0L
BDF 53L
走行距離 411km
お世話になった人たち、出会った人たち: ジェレミー&ルネ、ジョン、エリカ、クリステル、ブライアン、トッド、ハロルド、ジョナサン、マシュー、メアリー、リー&スペンサー、アダム

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シャイニングスター

4月11日(金) 晴れ グリーンビル→ピッツボロ(NC)


僕らはアメリカフェーズを始めてから、バイオディーゼルのパイオニアとも言える何人かの名前や、団体名を耳にしてきた。その中に「ピードモント・コープ」というノースキャロライナのバイオディーゼル共同組合があった。大企業ではなく草の根運動として活動しているコープの中で、彼らは「シャイニングスター」なのだと言った人もいた。だから彼らが、何をどんな風に運営しているのか、ぜひ訪ねて話を聞きたいと思った。

グリーンビルから約400キロ。ピッツボロは、のんびりして居心地のよさそうな、アパラチアの田舎町だった。彼らは、有機農業とバイディーゼルの共同組合と一般向けにバイオディーゼルを販売する会社の2団体を経営している。ラルフ、リーフ、レイチェルの三人が発起人だ。

まずは町のはずれにある、ピードモントの市販用BDF工場を訪ねることにした。そこには「工場」という名前からはふつう想像しないような、明るい色のペイントがファンキーでかわいい建物がたっていた。一連のコンプレックスは倉庫を改装したもののように見えた。奥にはオーガニックなのだろうと思われる畑やピンクの縁取りの給油所らしき小屋などに混じって、大きなタンカーやPiedmontと書かれたトラックが停まっていた。

2005年2月に、以前国防省の持ち物でその後15年間使用されていなかった工場に目をつけ、その再利用を実現した。また、NCAT (National Center of Appropriate Technology) からの援助金を勝ち取って、資金繰りをした。

だから、草の根的に廃油からバイオディーゼルを作っている会社にしては、比較的余裕のある「実験室」「オフィス」そして「工場」とスペースが分かれており、更にデモ&教育用のコンテナーまで用意されていた。このコンテナーには搾油機をはじめ、精製機の実用モデルが取り付けてあり、学校やイベントへ持って行ってはデモをしてみせるのだそうだ。


この工場では、一日2000ガロンx2回の精製をしている。前に停まっていた大きなタンカーは、バイオディーゼルを買いに来たとのことだった。僕らが使っているイオン交換樹脂の類似品、アンバーライトとピュアライトを使用。水での洗浄をするのに使っているということで、僕らにはとても興味深いところだ。

精製に必要な電気はソーラー。原料は、廃食油と鳥の油脂。食料の物価高騰に伴い、レストランからの廃食油だけでは足りないことから、ここ数年手に入るものはなんでも試すしかなく、鳥の油を使用し始めた。「理想を言えば使いたくないけれど、市販用のバイオディーゼルには、これを使わざるを得ないんです。」とレイチェル。ちがうロケーションにある、協同組合のメンバーに売るものだけは、廃食油にこだわって生産しているとのことだった。

750KWの大きな発電機があり、今手がけているプロジェクトがうまく市に受け入れられれば、ピッツボロにある1000世帯がここで作る電力に頼ることができる見込みだと言う。「市に認めてもらって契約を取るのは、至難の業よ。でも、実現してみせる。」

ピッツボロから10kmほどのモンキュールが、レイチェルの本拠地だ。家と同じ敷地内に協同組合(コープ)があり、有機農業とバイオディーゼルの生産販売を、インターン方式をとって運営している。車の修理免許を持つレイチェルとその友人二人は、4年前にバイオディーゼルの実験をはじめ、簡単なクラスを教えることから始まった。

クラスを取った人たちからの要望が高まり、2003年10〜20人ほどが集まって協同組合という形で、バイオディーゼルの販売を開始した。販売のみに力をいれていたのだが、アイオワ州やフロリダ州の大きな会社からの購入が難しくなり、自ら作ることになった。現在は、ピッツボロの町周辺7箇所に給油所があり、600人ほどのメンバーをかかえている。

日本人のはるかさん他、インターンとして働いている方たちがちょうど仕事を終え直前に到着したのだが、親切に精製所の案内をしてもらい、彼らの仕事や持続可能な方法への打ち込みの徹底振りに、頭がさがった。



廃油回収量 40L
BDF 38L
走行距離 407km
お世話になった人、出会った人:レイチェル、リーフ、デビッド、トッド、クレッグ、エヴァン、ラッセル、はるかさん、ティム、ジェイソン、ウィル、アンドリュー、タミィ

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アトランタ通過

4月10日(木) 晴れ モールディン→グリーンビル(SC)

今日はジョージア州からサウスキャロライナに入る予定。夕べ化学反応を済ませて沈殿させてあった燃料を確認し、早速ハイウェイに乗る。本当言うと、時間が許せばフロリダ方面へ入ろうかと思っていたのだが、マイアミやキーウェストへの距離を考慮すると、燃料の精製が追いつきそうもない。残念だったけれど、フロリダ入りは諦めることにした。

休憩を兼ねてアトランタの町に寄った。ここには、CNNニュースの本拠地がある。コカコーラのワールドミュージアム横を通り過ぎ、CNNにランチを兼ねて見学することにした。


サウスキャロライナでは、今まで出会った方たちのネットワークが広がっており、多くの方から「近くに来るのなら会いたい。」「廃油を寄付したい。」という声をかけていただいていた。もちろん僕たちは燃料に余裕はないので、すべての方たちに会いに行くわけにはいかない。その中で、ちょうどすでに約束のあるノースキャロライナへのルート上にあるバイオディーゼルの協同組合からの強い要望があり、立ち寄らせてもらうことになった。急に連絡し、予定より遅くなってしまったにもかかわらず、ウェインとアレックスをはじめコープのメンバーとその家族、彼らが呼んでくれたテレビカメラマンのジェイソンは、嫌な顔ひとつせず待っていてくれた。

ウェインとアレックスは、「バイオディーゼルを作ってみないか?」というインターネットでのウェインの呼びかけがきっかけで知り合った。「掲示板に載せて、何ヶ月も待ったのに、誰からも何の音沙汰もなかったんだ。ところがある日忘れた頃に、アレックスから連絡が来て、一緒にバイオディーゼルのコープをやろうということになった。」アレックスも僕も、家の台所で少量を試すのに飽き飽きしてきた頃だよ。」

廃油をこすフィルターを買うのはもったいないから、メンバーの一人チャーリーがスリフトショップから1ドルでジーンズを買ってくる。太ももの部分を切り、細いほうをウェインが縫いとじてフィルターを作っている。僕たちが廃油がなくて困っていると伝えてあったので、作業場を引っ越したばかりで精製を休んでいたようなのに、無理をしたのだろうか、僕らが着いて一段落すると「廃油が必要なのだろう。」とドラム缶からポンプでくみ出し、廃食油を分けてくれた。

アメリカに入った時にはその存在すら知らなかったグリーンビルという町で、僕らは予想外の歓待を受け、予定が遅れてしまったのを言い訳に今夜はこの町に宿をとることにした。夕食は、ウェインの奥さんのステイシーのススメに従い、近くの中華料理屋で親睦会となった。急な誘いをかけたのに、みんな都合をつけてくれて、楽しいひと時を過ごしながら、バイオディーゼルの話題で持ちきりだった。

「オー、僕たちが初めて作ったBDFは、ひどかったよ (It was not pretty.)。サンプルが今でもとってあるから、後で戻ったときに見せてやろう。」バイオディーゼル関係者に会うと、いつもこんな話で盛り上がる。バイオ燃料は新しい。誰も本当のことろを知らないのだから当たり前なのだが、わからないからこそ失敗や成功を繰り返して、一歩一歩学びながら燃料とつきあっていく感が強い。

それを面白いと思える人が、世の中にこんなに何人もいるなんてちょっと感動ものだ。いわゆるハウトゥー本が少ないので、インターネットでのネットワークが広がっているのもよくわかる。わいわい言いながら、彼らの辛抱強さとユーモアのセンスに、今夜もまた脱帽した。



廃油回収量 140L
BDF 80L
走行距離 383km
反応 1回
お世話になった人たち: ウェイン&ステイシー、アレックス&レイチェル、ボブ、チャーリー、デレック、ジェイソン(TV)

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深夜パトカーの来襲

4月9日(水) 曇り スライデル(LA)→バレー(AL)

南部のまっただ中を走っていて目につくのは湿地帯だ。そういった沼の中に、少しでもよいから入ってみたいと思い車中で調べたところ、通り道からさほど遠くないところに「ゲーターランチ」というツアー会社があることがわかった。電話してみたところ、30分のボートツアーならやっているというので、ちょっと道草してみることにした。

ハイウェイから逸れてでこぼこ道に入る。看板が出ていたから正しいのだろうが、ただの藪に入っていくような感じだ。ラフな(としか言いようのない)建物が見えてきた。隣には沼とボートが2台。30分のツアーを頼むとポールと名乗る30代の男性が、「じゃあ、いつでもいいよ。」とボートの方へ歩き始めた。水草が生える狭い水路をブーンと抜け、時々たくみに方向転換をしながら進んでいった。

ワニが倒れた草のうえにじっとしている。今日は気温が華氏70度(摂氏約20度)なので、彼らには寒すぎるので半分眠ったような状態で、エネルギーを使わないようにしているのだということだ。「アリゲーターは、滅多に人を襲わないんだよ。クロコダイルとは、まったく別の生き物さ。」

残念ながら時間が許さず、スワンプのプチ体験しかできなかったが、あの匂いや野草の白さ、そしてどこまでも深い黒い南部の水の色はぼくの心に焼きついた。


湿原の沼から出てハイウェイに戻る。昨日オイル交換をすることができず気になっていたので、大きめの町を通る度にトヨタのディーラーを探しては電話をかけた。重量が多いことや、ディーゼルエンジンだということを言うと、面倒に思うのか電話でよい返事をもらうことは難しい。しかし、モービルというアラバマ州の町で、やっと「どうぞ、来てください。」との返事をもらえた。

アルバカーキでトヨタのディーラーに行った経験から予想はしていたのだが、やはりここでもたくさんの従業員が寄ってきた。アメリカではトヨタはディーゼル車を市販していないので、珍しいということもあるらしい。ランチを終えて戻ってみると、親切にも洗車までしてくれていてマネージャーのジェームズさんが、「がんばってください。費用はうちで。」と申し出てくれた。ありがたい。



テキサスを越えてから、少し先を急いでいる。今夜も宿についてすぐ、燃料の精製に入った。今夜つくり始めなければ、あさって走る燃料はない。できた量より多く使ったり使い方を誤れば、燃料は予定より早くなくなってしまう。そんなペースで旅をするのにも慣れてきた・・・。僕たちは「自給自足」を身をもって感じ、毎日学びの連続だ。

この晩ちょっとした事件が起こった。

夜も更けた午前2時過ぎ、化学反応が終わって一息つき外へ出た。部屋のすぐ前に車が停めてあるので、沈殿のはじまったプラントを眺めながらとりとめのないことを考えていた。夕方この町について安宿を探している時、トラックに乗った年配の男性が急に車を停め、話しかけてきた。「バイオディーゼルは違法だって知ってるか?」と言ったように聞こえてギョッとしたのだが、よく話を聞いてみるとそれは冗談で、彼もまたバイオディーゼルを作っているのだとわかった。「気をつけないと、文句をつける人もいるぞ。」なんて忠告までくれた。

夕食を頬張りながらそのことを思い出し、他の二人と「そうは言っても、このあたりは保守的なひとが多い。やたらと後ろを開けてプラントを見せるのも、考えものかもね。違法なことは何ひとつしていないけれど、難癖つけられたら理解してもらうのに時間がかかるかも・・・。」なんて話していた。


そんなことを考えつつ、歯磨きをしながら「反応も終わったし、そろそろ機械をしまったほうが・・・。」と思った矢先のことだ。左右前方からこちらに向かってまぶしい光がやってきた。それは警察の車のサイレンの光だった。「な、何?」急いでタツヤの戸を叩くが、シャワーを浴びているらしく返事がない。サッチンへ電話して「とにかくすぐ来て。」とだけ言って、元いた場所に戻った。

がっちりした体つきの警官二人が現れ、こちらへ歩いて来る。彼らはバイオディーゼルについて知識があるだろうか。日本人に偏見を持っているなんてことはないだろうが、発音がままならぬ外人の僕の英語を理解してくれるだろうか、それにしてもなぜこんなモーテルの裏手の駐車場にいる僕らを見つけたんだろう? いや、ここはアメリカだ。昔インドやアラブの国で、問題に巻き込まれたときとは違う。話せばわかってくれるさ・・・。

ところが光から抜け近づいてきた警官たちは、よく見ると片手にカメラを持ちニコニコしている。「いやぁ、記念写真を撮らせてもらいたくてね。」「さっきパトロールしていて、君たちの車を見かけたのさ。」「ウェブサイトを見せてもらったぞ。面白そうだから、戻ってきたんだ。」

その後更に彼らからの情報を聞きつけた、他の町の警官たちもやってきて、記念写真の撮影会となってしまった。結局興奮した彼らの相手をして、午前3時やっと床につくことができた。世の中、何があるかわからないね。


廃油回収量 0L
走行距離 593km
反応 1回
オイル交換 (オイルのみ)

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グローバルグリーン

4月8日(火) くもり ニューオリンズ(LA)→スライデル(LA)

夕べはアイリーン、デイビッドと彼女の家の裏庭で、焚き火を囲んでバイオディーゼル談義に花が咲いた。今朝、デイビッドが僕を車に乗せてハリケーンカトリーナの後、マクドナルドがハリケーン対策にディーゼルジェネレーターを設置したり、新しい廃油システムなどを考案しているなど、いろいろ説明して案内してくれた。アイリーンの家からさほど離れていないダウンタウンだが約2年半経っても大きなスーパーやKFCなど今だ閉鎖されたままの状態だった。また、ショップの外壁についた水の後がハリケーンの凄さを物語っていた。

家にもどった後、地球の将来や新エネルギーについてデイビッドと話が沸いた。彼の次から次と出てくるアイディアはすごいものだった。これから彼がどんなことをしていくのか、楽しみだ。アイリーン達は、今作業場の引越し中で何もあげられないからと、スライデルという近くの町に住んでいるBDF生産者の友人、ハリケーンカトリーナの被害地でグリーンなビルディングを建てている場所を教えてくれた。(俳優のブラッド・ピットが作った”Make it right”という団体と協力している、グローバルグリーンという団体が進めているプロジェクトだ。) 

彼女自身、ニューヨーク出身なのだが、カトリーナの後、復興を環境によいやり方で実行しようという運動があることを知り、引っ越してきたのだという。その建築現場でディーゼル車に乗っている労働者たちと知り合い、彼らがバイオディーゼルを使いたいのに手に入らないというので、この世界(!?)に足を踏み入れた。



9thワードと呼ばれる地域は、特に被害がひどかったことで知られる。そこにグリーンな家を作っていると聞き、案内してくれるひとがいるかわからないと言われたけれど、取りあえず見に行ってみることにした。個人のプライベートな家を見て歩くのは気が引ける。NPOの団体のプロジェクトなのだから、行けば何かわかるだろうという算段だった。

サイトに着くとプロジェクトのバナーが張ってあり、屋根屋が一段落したらしくちょうど建物の外で荷物を積み込んでいた。様子と聞くと、中にブロンドの女性がいて、彼女がここのスポークスパーソンだから聞いてみるようにと促された。Global Green ニューオリンズオフィス・ディレクターのベスさんは、ミズーリ出身の元弁護士さんだ。大学を出てDCへ行き弁護士になる、そう思っていたのにニューオリンズの魅力にとりつかれそのまま居ついてしまった。弁護士になって15年ほど経った時、カトリーナが襲ってきた。一時避難を終えて帰った彼女は、市の復興のため何かをしたいと思い、方向転換をしたという。

今彼女が取り組んでいるプロジェクトは、Holy Cross Projectというもので、プラッド・ピットが設立した「メイク・イット・ライト基金(MIR)」、「ホームデポ基金」の協力で、9thワードという地域の低所得者を対象とした、家屋再建をグリーンビルディングでしようという試みだ。MIRは、2006年デザインコンペを主催して、この辺りにふさわしいグリーンな家のデザインに賞をおくり、それをベースに建築工事をすすめてきた。

5件の個別住宅、23家族が入居できるアパートコンプレックスとコミュニティセンターが、この一角に建てられる予定だという。5月15日のグランドオープンを目標に、今工事が着々と進んでいるところだ。「緊急時という感覚がやっと過ぎ、計画をたてるだけの心の余裕ができたのが一年前、最近になってやっとみんなの気持ちが明るい方向へ向き始めたところです。峠は越えたおいう感じ。」とベスさんは語った。




そろそろオイルチェンジの時期が来た。バスコファイブは、アメリカでは販売されていないランドクルーザーのディーゼル車だ。ロスのように時間がないので、フィルターの交換はあきらめオイルだけを交換しようと決めた。ニューオリンズにある、予約なしでも受け付けてくれる修理の店に行った。随分待って、まだ終わらないのでよく聞いてみると「あの車の重量はどのくらいです?重くてうちの自動ジャッキじゃ、持ち上がらないよ。」と言われてしまった。廃油、燃料、ジェリー缶に入れてある廃油を合わせると、車の重量は3.5トンはくだらない。フツウの車より、約1トンの重量オーバーだ。諦めて、途中でトヨタのディーラーを探すことにして、ニューオリンズを後にした。

東へほんの数十キロのスライデルは、小さな南部の田舎町だ。そこにゴードンというアクティビストが住んでいて、バイオディーゼルを作っている。カトリーナのせいで建設途中の家が壊れてしまった土地を借りて、BDFを作っている。カトリーナがあってからニューオリンズに住み着いた一人だ。当時彼はVeterans for Peaceという元兵士の反戦運動をやっていて、テキサスにいた。カトリーナのことを聞き、いてもたってもいられずニュースの入った翌日ここへやってきた。

救急隊員として軍隊などで働いた経験を生かして、できることから始めたという。もちろん町に入ることはできなかったので、ここの土地の所有者とかけあって借りることができ、テキサスから持ち帰った道具や物資を使って、復興作業の手伝いをしながらブログで毎日ニューオリンズの様子を報告した。そこへ友人でドキュメンタリー映像作家・活動家のフラックスがやってきて加わった。

そのうち、マイケル・モーアという革新派のドキュメンタリー映画の製作者がこれに気づき、彼の援助もあってかなりの資金が集まり、250人のボランティアをかかえる大きな復興援助グループへと発展した。ここにキャンプしバスで町まで行って作業をする日々を過ごしたのだそうだ。

非難が解除されてボランティアが市内に泊まって作業できるようになり、スライデルのこの土地は、週末に彼らが心を体を休める保養地へとその役目を変えた。そこでゴードンも、前から気になっていたバイオディーゼルの精製を本格的に始めたのだそうだ。アイリーンの会社が35軒のレストランから回収する廃油を引き取り、燃料を精製する。まだ一週間に500ガロンあまり(約2000L)の生産だが、グリセリンの処理システムが整ったら、もう少し量を増やしたいと話してくれた。

「どこへ行っても、みんなひとつなのだと気づいて欲しい。そうしたら、地球はもっと住みやすい場所になるはずさ。」「ビデオに撮られるとわかっていたら今朝髭をそったのに。」アンダーグラウンドの一線で生きてきた人の厳しさとやさしさをたたえる、魅力的な笑顔だった。



廃油回収量 20L
メタノール 20L
KOH 2.8kg
お世話になった人たち:アイリーン、デイビッド、ベス、ジーン、ゴードン、フラックス

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フレンチクォーター

4月7日(月) 晴れ ビューモント→ニューオリンズ

今日の走行予定距離は400kmちょっとだ。比較的楽な日程なので、インターステイトを避けて少し小さめの90号線を走りたいと考えていた。僕らは燃費走行を守っているので、時速100kmがいいところで、制限速度の120kmぐらいで走るほかの車とはスピードのギャップがある。それに何かが目に留まった時、インターステイトではすぐに引き返しづらい。そこでインターステイトから降りて南部の田舎道をゆっくり景色を眺めながら走ることにした。

ルイジアナに入りGuydanという村で、さらに一般道を走ってみた。農業機械(トラクターなど)をバイオディーゼルで動かしているひとはいないか、バイオディーゼルを作っているひとがこんな田舎の村にいるだろうか、そんな疑問がふと湧き寄り道することにした。農具店を見つけ駐車していると、男の人が声をかけてきた。「バイオディーゼルか。だれも知らないな。でも、妻とレストランを開くので、内装を自分たちでやっていることろなんだ。もう少し後だったら、油をあげることぐらいできたのにね。」農具店でバイオディーゼルが何かも知らなかった。その彼は、「市役所に行ってみたら?あそこの女の人たちは、村人のことなら何でもしっているから。」と励ましてくれた。

さっそく小さなシティホールを訪ねてみると、職員の女性たちはいろいろ話した結果、この村では聞いたことがないけれど、隣のMermnentauという村では誰かがバイオ燃料に手を出そうとしていると聞いたことがあること、G&Hというハンティング・グッズ店に大抵の男たちは出入りしているから何か知っているかも知れない、と教えてくれた。善は急げと、G&Hに行くと、壁一杯にライフルや鹿首の剥製が並んでいるハンティングの店だった。一見、恐そうな店の若主人ポールさんに話かけてみると、とても親切に何本か電話して聞いてくれた。しかし残念ながら、だれも見つからなかった。その後もトラクターを売っているショップを見ると飛び込んで話を聞いてみたが、やはりバイオディーゼル燃料はこのあたりでは誰も使っていないようだ?!


気を取り直してハイウェイに戻る。でも、こういった地域ごとに違う雰囲気を持った景色を体験し、見ず知らずの地元のひとに話かけ、出会うチャンスをくれるのも、このアドベンチャーのよいことろだと思う。

移動中、携帯電話を使ってコンタクトしていたニューオリンズでBDFを作っている唯一の人物と、やっと連絡がとれた。NOBIという会社だ。ネットの検索で行き当たるのも、カリフォルニアのケントが紹介してくれたのも、このNOBIのオーナーだった。他のコンタクトが、日程が変わったことであえないということだったので、ぜひこのグループは会いたいと思っていた。だから、電話番号がわかり絶妙のタイミングで連絡がついた時は、うれしかった。すでにエンプティランプが点灯していた。精製が終わった燃料がもうひとつのタンクにあるから心配はないが、タンクからポンプで給油するには電源が必要だ。できることなら、彼女の家までもってほしい。ハイウエイでガス欠症状が起き、走行が怪しくなってきていたが市内をなんとか通り抜け、なんと彼女の家の前に止まった瞬間に燃料がきれいになくなった。

ピンク色の家から裸足のアイリーンがニコニコしながら出てきた。大学を出たばかりと言ってもおかしくない年頃の、(失礼かもしれないが)若い元気な女の子だ。さっそくバスコファイブの後部ドアを開けてプラントを見せると「ワオ! 気に入ったわ。」と大喜びだ。僕らのシステムを説明し始めると、次から次へと質問の山で、彼女も僕らが今まであってきた「バイオディーゼル・フリーク」の一人なのだと確信した。彼女は前のパートナーと別れ、BDFを作るのからはなれ廃油の回収業に転向する最中なのだそうだ。彼女はバイオディーゼル燃料を作るのにアップルシードとマエストロの機械を使っていたが、今は友人に譲って(もしくはあずけて)るらしい。大きなバンには300ガロンのタンクが入っていて、現在35軒くらいのレストランと契約があるとのことだった。ボーイフレンドのデイビッドは、自分の車をSVO(フィルターにかけた廃油)で走らせるため、改造中だ。ちょうど遠心分離機を注文したばかりらしく、僕らの遠心分離機にいたく感心して、盛んに写真を撮ったり質問をしてきた。

アイリーンのところへ泊めてもらえることになったので、場所探しをしなくてよくなった。そこで、せっかくなので暗くなる前にニューオリンズらしいところへ行って夕食をとることにした。当然フレンチクォーターだろうというので、バスコに乗っていざ出陣。駐車に時間がかかりそうなのでちょっとスナップ写真を撮ろうと、車を停めて通りの反対へ渡った。向かいの店の呼び込みをしている黒人の男性二人が何か言っている。「何をやっているんだい?」と興味津々だ。バイオディーゼルの説明を始めると、「何だ、何だ?」と知らない間に人だかりができてしまった。南部独特の母音の長いリズミカルな英語が飛び交う。みんな陽気で冗談を言っては笑い、他の人に説明し始めたりして、人が後を絶たない。さらに移動しながらパーキングをさがすがなかなかない。車を止めるたびにバイオディーゼルを知っているよ。とか、家の店の廃食油を持って行ってくれる?などちょっとフレンチクォーターの中を移動するだけで大人気だ。

やっと理想的な駐車場が見つかり、僕らは街並みを徘徊した。ニューオリンズの気候と歴史がこの町を生んだのがなんだかちょっとだけわかった様な気がした。みんな陽気でたのしそうだし、音楽が絶えない。オイスターをつまみながら、しばしンニューオリンズの空気を楽しんだ。




廃油回収 0L
走行距離 478km
サポーターたち:アイリーン、デイビッド、ルイス、ウォレス

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